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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

広島護國神社

名城・廣島城の本丸に広島護國神社が鎮座しています。
拝殿 (2) 広島護国神社(広島)

【参拝日時】
平成17(2005)年10月25日、平成27(2015)年2月22日
平成28(2016)年6月7日、令和3(2021)年7月25日





広島護國神社は戊辰の役(奥羽追討)以降、大東亜戦争に至るまで公務中に原子爆弾により散華した方を含む国難に殉じた広島県出身、及び縁故のある英霊92,000余柱(現在も増加しているため)を祭祀しています。
拝殿 (2) 広島護国神社(広島)
▲二の鳥居と境内

拝殿 (1) 広島護国神社(広島)
▲境内

拝殿 広島護国神社(広島)
▲拝殿内

-境内に建立の石碑-
廣島護國神社 原爆被災 再建記念碑
昭和31(1956)年11月23日の廣島護國神社復興を記念し建立されます。
再建記念碑 広島護国神社(広島)

英霊にささぐ
大東亜戦争における英霊の慰霊顕彰のため昭和53(1978)年10月、広島市遺族会青年部の主唱、広島県遺族会青年部、広島市遺族会、広島県遺族会の後援で建立されます。
英霊にささぐ 広島護国神社(広島)

宝祚無窮
昭和51(1976)年11月10日、天皇陛下御在位五十年奉祝廣島縣民大會に際し建立されます。
御親拝記念
昭和46(1971)年4月16日の天皇皇后両陛下の御親拝を記念して建立されます。
御親拝記念・宝祚無窮 広島護国神社(広島)

ノモンハン事変十五周年記念植樹 靖國神社神木苗木
いつ植樹されたのか不明です。
恐らく背後の樹木が植樹と思われます。
ノモンハン事変十五周年記念植樹 広島護国神社(広島)

鎮魂植樹 彼我戦没者之霊
いつ建立されたのか不明です。
鎮魂鎮魂植樹彼我戦没者之霊 広島護国神社(広島)


廣島護國神社 由来
明治元(1868)年12月22日、広島藩主・浅野長勲(茂勲)は 明治帝の「明治維新以来の殉国の英霊を奉祀するべき」との勅旨を奉じ饒津神社(二葉の里)境内に水草霊社を建立、奥羽追討に従軍し散華した藩士・高間省三命以下78柱を祭祀します。

明治7(1874)年8月、暴風のため社殿が倒壊したため、一時鶴羽根神社に遷座します。

明治8(1875)年10月28日、広島県令達により官祭招魂社に改称します。

明治10(1877)年9月、旧藩士石井櫟堂ほか10名が発起人となり有志より寄付を募集、社殿の再建に着手、明治11(1878)年11月5日、境内地563坪、本殿、幣殿、拝殿、廊下、社務所が竣工します。

明治34(1901)年7月10日、訓令乙第五百十五號により官祭廣島招魂社(当時の御祭神4,340柱)に改称します。

昭和3(1928)年、神職・石井博光は郷土の英霊を祭祀する招魂社の規模が小さく、且つ鬱蒼とした森の奥にあり世間より忘れられるのではと危惧、国民道義の観点からも然るべき場所への移転を計画、石井要吉氏とともに関係市町村を始め東京方面まで有志を歴訪し発起人を要請します。
氏の志に共感した広島市出身の田部正壮・元広島市長(陸軍中将)は移転用地について第五師團司令部と折衝中の昭和7(1932)年4月、第五師團、広島県、広島市、広島商工会議所主催の勅諭拝受五十周年記念時局博覧会が広島市において開催され、非常時局に対する一般県民の認識が深まり、且つ軍官民の親善が推進され、当博覧会の余剰金を招魂社移転費用に充当する事が決定するとともに、第五師團より廣島西陸軍練兵場の一画1,500坪の提供が決定します。

昭和8(1933)年3月6日、第五師團、広島県、広島市、広島商工会議所の関係者は廣島偕行社において発起人(田部奉賛会長、第五師團長、知事、市長)、会計、設計、工事、寄付金、御祭神合祀、社名、奉賛会について決議され、5月5日、広島市公会堂において官祭招魂社移転改築期成委員会が開催され趣意書、要綱を決定します。

昭和7(1932)年6月、第五師團経理部、陸軍省は敷地の無償譲渡手続きを開始、昭和8(1933)年5月、内務省は土地移管を認可、11月21日、官祭廣島招魂社移転改築造営実行委員会(広島市長)に移管手続きが終了します。

昭和8年7月23日、招魂社造営を開始、境内地を地上げ、8月18日、地鎮祭を斎行、11月21日、釿始式を斎行ののち社殿の建設を開始、昭和9(1934)年11月5日、神殿、拝殿、神饌所、参列所2、渡殿2、社務所、倉庫が落成、7日、落成奉祝祭、続いて合祀祭が斎行され戊辰の役以降支那事変に至る広島県縁の英霊3,129柱が合祀されます。

広島県民多数の勤労奉仕、多額の寄付金を得て官祭廣島招魂社は竣成、収支残金(収入231,759円、支出209,273円、残金22,485円)を神社に引き継ぎ、昭和12(1937)年5月、実行委員会は解散します。

昭和14(1939)年3月15日、内務省令第十二號『招魂社ハ之ヲ護國神社ト改稱ス』発令により、4月1日、全国各地の招魂社が護國神社に改称、官祭廣島招魂社は廣島護國神社に改称します。

昭和20(1945)年8月6日0815、米軍により広島市に新型爆弾(原子爆弾)が投下され、廣島護國神社の社殿は全壊炎上、社掌・青砥章氏一家3名は爆死してしまいます。
9日、厳島神社宮司・足立達氏は種子田主典、岡田技師とともに護國神社に向かい、本殿付近より御神鏡を発見、宮島に捧持し厳島神社摂社・千畳閣に奉祀します。

8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、大東亜戦争は停戦を迎えます。

昭和21(1946)年2月1日、GHQにより『國家神道、神社神道ニ對スル政府ノ保証、支援、保全、監督及ビ弘布ノ廃止ニ關スル件』(所謂、神道指令)が公布され、護國神社は国との関係が断絶されてしまい、2月3日、発足した神社本庁に加盟します。

昭和22(1947)年8月5日、地元実業家を中心に結成された神社責任役員、神道同志会により護國神社跡地(以下「旧社地」)に仮社殿が建設されたため御霊代は千畳閣より奉還されますが、GHQにより護國神社に対し干渉・抑圧が加わったため廣島護國神社は廣島神社に改称、6日、第一回原爆関係戦没者並びに一般戦没者慰霊祭が挙行されます。

昭和26(1951)年9月8日、サンフランシスコ講和條約が調印(昭和27年4月28日、発効)され、我が国は主権を回復、国内情勢も徐々に安定し復興も進む状況に英霊の祭祀、遺族援護の気運が高まります。

昭和27(1952)年3月2日、復興奉賛会結成準備委員会は浜井信三・広島市長に対し広島市の復興計画で公園用地として指定された旧社地の除外を請願しますが、市長は旧社地の除外を認めず代わりに比治山、饒津公園を提示、4月5日、委員会は広島市議会に旧社地の公園用地除外を請願、満場一致で採択され、6月16日、市議会より市長へ善処が要望されますが、市長は同採択を承認しなかったため境内地は保留されてしまいます。

4月30日、廣島護國神社復興奉賛会(小谷傳一・広島県議会議長)が結成され、12月25日、大蔵省より旧社地1,500坪を地価の半額で取得、昭和28(1953)年5月30日、移転登記を完了します。

昭和27年6月下旬、関係者の中から県民敬仰の地、廣島城内に新社地を求める声が挙がり、7月9日、奉賛会内に識者を迎え文化委員会を編成、廣島城内、比治山、旧社地、その他の候補から選考の結果、廣島城内を最適地とし城内使用を文化財保護委員会に陳情しますが、昭和28(1953)年3月31日、廣島城跡が史跡文化財として指定された事により断念、旧社地への復興に計画変更します。

8月25日、県下各界、遺族からの早急な復興要望に奉賛会は市の了解を得て旧社地において地鎮祭を斎行、11月2日、外遊中の市長の帰国を待ち請願を再開、昭和29(1954)年2月11日、奉賛会の要請に市は市が組織した広島護國神社建設対策委員会の答申を待つように回答、7月8日、委員会よりの答申が伝達されますが、答申は護國神社の敷地を著しく制限するもので、数万に及ぶ参列者を収容できるものではありませんでした。

昭和29(1954)年9月18日、浜井市長より新社地について廣島城内の提案と最大限の協力を約する申し出があり、奉賛会は期限付きで了承、昭和30(1955)年1月26日、市は申請手続きを開始しますが、3月15日、中央文化財保護委員会は不許可では無いものの難色を示し、またも交渉は頓挫します。

3月31日、奉賛会は市長に旧社地使用の認可を迫りますが、市長は4月30日の市長選挙終了まで待つ様に回答、4月30日、新市長として渡辺忠雄氏が就任、5月14日、奉賛会は渡辺市長より旧社地の使用を許可されます。
7月15日、社殿復興計画を立案すべく開催された奉賛会役員会議において廣島城の使用可能の見通しがある旨報告されたため城内使用の請願再開を決定、8月22日、奉賛会、県社会教育課は文部省に陳情を開始、12月25日、廣島城内の使用が許可され、昭和31(1956)年4月21日、旧社地1,500坪と廣島城内3,000坪(社地1,500坪、隣接地1,500坪)の交換手続きが完了します。

昭和31(1956)年1月30日、地鎮祭を斎行し緑地建設㈱が敷地造成を開始、6月4日、起工式を斎行し㈱砂原組により社殿の建設が開始、11月、社殿が竣工、11月23日、遷座祭が斎行され廣島護國神社が復興します。

昭和46(1971)年4月16日、 天皇皇后両陛下の御親拝を契機に、昭和47(1972)年6月12日、社務所の新築、儀式殿の改築が決定、昭和48(1973)年4月7日、竣工祭が斎行されます。

平成3(1991)年2月28日、老朽化した社殿の建替え、境内の整理をすべく廣島護國神社御大典記念事業奉賛会(松田耕平会長)が結成され、11月7日、起工式ののち本殿、拝殿の建替えを開始、平成5(1993)年4月23日、御社殿竣工奉祝大祭が斎行され、現在に至ります。

- 祭事 -
歳旦祭 1月1日
二日祭 1月2日
元始祭 1月3日
とんど祭 1月15日
節分祭 2月3日
紀元祭 2月11日
祈年祭 2月17日
天長祭 2月23日
春分祭 春分の日
昭和祭 4月29日
万灯みたま祭 5月最終の金・土・日曜日
夏越大祓 6月30日
原爆慰霊祭 8月6日
英霊感謝祭 8月15日
秋分祭 秋分の日
明治祭 11月3日
七五三祭 11月15日
新嘗祭 11月23日
年越大祓 12月31日
除夜祭 12月31日
日供祭 毎日
月例祭 毎月5日(但し1月は10日、5月は3日)

- 例大祭 -
春季例大祭 4月第2日曜日
秋季例大祭 10月22日に近い日曜日


主要参考文献
『官祭広島招魂社造営誌』(昭和15年 官祭廣島招魂社移転改築造営実行委員会)

『広島護国神社戦後復興誌』(昭和58年7月 広島護国神社)

『御社殿造営誌 平成御大典』(平成7年 潮康史)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった精強帝國陸海軍、命をかけて国や家族を護ろうとした先人達に思いを馳せるとともに、祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の遺徳に触れ感謝すべく探索・訪問した軍事遺構、護國神社、資料館を紹介、併せて遺構の歴史、地域との関わり、関連部隊などの調査、研究成果を発表しています。

遺構は飽くまで「物」であり、そこに関わった「人」の存在、歴史を理解してこそ遺構の調査、研究は成立すると考えます。
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