FC2ブログ

当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

天地人 第9回「謙信死す」

今回は天正6(1578)年3月9日の謙信が倒れた日から13日の謙信死去までです。





謙信が養子のうちどちらに家督を継がせるか決めていなかったこともあり、御館の乱が起こります。
御館の乱は単なる後継者争いではなく、謙信の出た府中長尾氏や一門衆筆頭の上杉景信の古志長尾氏と上田長尾氏との長年の敵対関係や揚北衆同士の確執など越後に存在する豪族同士の争いも関係してくるため規模が大きくなってしまいます。しかしドラマでは上杉景信や揚北衆は登場しない事から、その辺は描かれない様子です。

あのような評定があったかは不明ですが、ドラマでは謙信が「景勝を後継にする」という遺言を妙椿尼(直江景綱未亡人)が独断で偽造し、諸将が評定している場で発表していました。
登場武将は相変わらず柿崎晴家、北条高広、吉江宗信、直江信綱だけでした・・・なんとも寂しい感は否めません。
先述の上杉景信や斎藤朝信、新発田長敦・重家、安田顕元、本庄繁長などなど、乱で活躍もしくは重要な位置を占める武将は多いのですが、フル無視でした。

妙椿尼が最期を看取るという話は小説等でよく見る場面で、大概は兼続も同席しており景勝に家督を継がせる為遺言を偽造しますね。
小説としては面白いですが、妙椿尼はともかく兼続は身分も低いですし実際はどうだったのでしょうか?
ただ、謙信が生前に明確な後継者を決めていなかったため遺言があったとしても乱は起こったでしょう。

謙信の後継者にどちらを考えていたかは資料が一切ないため不明であり、現在にいたるまで多くの方が色々な説を唱えていますが決定的なものはありません。
僕個人としては景勝が上杉景勝の名と「弾正少弼」の官途を譲られていること、他の一門衆が「殿」に比し、謙信と同じく「御」「居住場所(中城)」「様」で敬称されている事、景虎が実家である北条家との取り次に重要な位置にいたこと、天正3(1575)年の上杉家軍役帳から越後以外の外地在番衆とともに名前が除外されていること等から、景勝=越後上杉家の家督、景虎=関東管領職の相続を予定されていたのではないでしょか?
しかし、景虎側が両方を取ろうとして春日山に居座ったため騒乱状態になっていった、と思うのですが。

ドラマの最後で柿崎晴家が景勝屋敷に突撃してきましたが、実際は景勝側が春日山実城(本丸)を一気に制圧し、三の丸の景虎に攻撃を開始します。つまり、先制攻撃は景勝が先です。

晴家が木の棒を振り回していましたが、常陸の真壁氏幹の仮託でしょうか?
関連記事



最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
↓↓↓
宜しかったらクリックお願いします


人気ブログランキングへ

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ
検索フォーム
正定事件の真実
戦史検定を受けよう!
当ブログは
「戦史検定」を応援します
戦史検定
カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
御英霊の鎮まる処
殉国の御英霊に
感謝の誠を捧げましょう
靖國神社
兵庫縣神戸護國神社
大阪護国神社
プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

拙ブログを参照した際はリンクを張って頂けたら嬉しいです
(^o^)
--------------
※掲載写真・資料の
無断転載は禁止します。

リンク
最新コメント
埼玉西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる