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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

天地人 第10回「二人の養子」

今回は天正6(1578)年3月14日頃から24日前後の話です。





まずは冒頭で柿崎晴家が景勝屋敷を襲撃し、逆に討ち取られていました。
柿崎晴家は言わずと知れた越後随一の猛将・柿崎景家の二男です。
兄・祐家が加賀朝日山城攻めで討ち死にしてしまったため、景家の病没後家督を継ぎました。
晴家討ち死に後は居城・猿毛、柿崎両城で景勝派の弟・憲家が景虎派の晴家残党と戦い、乱後家督相続を許されます。
柿崎屋敷と景勝屋敷は隣接しているので、襲撃し易い位置にはあります。
一応景勝が次期当主として決まり、景虎がそれに対し従っている現時点での単独襲撃は明らかに理がなく単なる謀反で終わってしまいます。一体柿崎は何がしたかったのでしょうか?と感じます。
史実通り景勝、景虎両者の家督を巡っての対立関係を初めから描いておけば柿崎の行動も「柿崎らしい」と思えるのですが・・・。

春日山城実城(本丸)制圧を進言する樋口兼豊と、それに従う兼続と大国実頼・・・・はぁ!?
何だそれ?でしたね。
御館の乱と言えば兼続の最初の見せ場だっただけに、びっくり脚本でした。
確かに兼続が御館の乱でどの様な役割をはたし、活躍をしたかは明確な史料はありませんが後に執政として上杉家を差配し、何よりドラマとして主人公ですよ?多少大袈裟でも兼続の大活躍でいいのではないでしょうか。少なくとも兼続が実城制圧を発案→兼豊に相談→兼豊が景勝説得を引き受ける、の形でも良かったと思います。
今後の御館の乱では景勝側近として兼続は槍働きが期待できないため活躍としては武田勝頼の引き込みくらいしかありませんが・・・
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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