当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

まさにそれ!

旅行の記事でも書こうかと思いながら、新聞を読んでいると「まさにそれ!」と思うタイムリーな記事が載っていました






【風の間に間に】二・二六事件が消え去った街 2010.2.27 02:53



 「歩一って何ですか?」

 先日、東京・六本木(住所的には赤坂9丁目)の東京ミッドタウンに行ってきた女性から、尋ねられた。そこで「歩一の跡」という石碑を見かけたのだそうだ。

 3年前にオープンしたミッドタウンはかつて、防衛庁があった所である。さらに戦前までさかのぼると、陸軍歩兵第一連隊、略して「歩一」の駐屯地だった。

 だからそのように答えた。だが不覚にも、そんな石碑が建っていることは知らなかったから、確かめに出かけてみた。

 高さ248メートルのミッドタウンタワーを中心に、ホテルや美術館などからなる超近代的な街である。石碑はその一角の檜町公園の入り口付近にひっそり建っていた。

 裏に回り碑誌を読む。歩兵第一連隊が明治7年、この地に創設され、明治、大正、昭和の長きにわたって駐屯したこと、乃木希典将軍が2代目の連隊長だったことなどが記してある。

 昭和38年秋の建立だが、今、東京でも一、二を争う繁華街の近くで、懸命にその歴史を主張しているように見えた。

 だが、この「歩一」は碑誌に書かれていないもうひとつの歴史をもっている。昭和11年、二・二六事件を起こした決起部隊の主力を送り出したことだ。

 2月26日早暁、「歩一」の営門を出た数百の将兵は1キロ余り離れた首相官邸を襲撃する。さらに近くの陸軍省、陸軍参謀本部、陸相官邸などを占拠、4日間に及ぶ事件の幕を開けた。事件後、栗原安秀中尉ら連隊に所属する3人の青年将校が銃殺刑となった。

 しかし74年がたった今、その歴史を示すようなものは、この若者らでにぎわう街のどこを探しても見つからない。

 ならばと、300メートルほど南西の「歩三」の跡を訪ねた。歩兵第三連隊は「歩一」と同じ第一師団に属し、兄弟のような連隊だった。二・二六事件では双方の将校たちが近くの料理屋などで会合を重ね決起を図ったとされる。

 そして「歩三」からも数百の部隊が出陣、警視庁の占拠や要人襲撃を行い、安藤輝三大尉ら3人の将校が銃殺死、1人が自決した。事件はほとんど「歩一」と「歩三」によって起こされたのだ。

 「歩三」跡は今、国立新美術館と政策研究大学院大学とになっている。兵舎は当時としてはモダンなものだったといい、美術館にその模型が展示され、建物の一部は保存・公開されている。だがここにも二・二六事件の痕跡は残らない。まるで先日降った淡雪のように消え去ってしまっている。

 出撃基地だけではない。事件現場の首相官邸は現在、公邸として何とかその姿をとどめている。だが、決起部隊の「作戦本部」となった陸相官邸は今、国会議事堂の一部、陸軍省と参謀本部は憲政記念館になっているはずだが、それを示すものは何もない。

 恐らく戦前の軍の歴史をすべて暗黒とみなす歴史観のもと、痕跡すらすべて抹消されたのだ。

 二・二六事件について、その研究書は数多く出版されている。だが、その現場がことごとく失われてしまったのでは、研究者以外、誰もこの昭和の衝撃的事件に関心を寄せることはないだろう。

 かつてのできごとを現在の歴史観で裁くことは簡単だ。しかし当事者たちと同じ場所に立ち、同じ空気を吸ってみなくて、真に歴史を理解できるのだろうか。せめてその刻印のようなものだけは残してほしいと思う。
産経新聞論説委員・皿木喜久)


僕は周囲の人によく軍跡巡りの目的を聞かれます
まぁ趣味は人それぞれなので、趣味の目的を明確に説明しろと聞くのもナンセンスと思いますが・・・

ただ、僕も一応答えを用意しています
「戦争に興味があるから、そして実際の遺構に触れ、歴史の息吹を感じるため」です

我が国が近代化していく中で整備され、幾多の国難に立ち向かい、そして消滅した国軍、明日の暮らしがあるかどうか分からない極限状態のなかで先人達、それも近い祖父や祖母が国を護るために戦った時を感じ、理解を深めるためです。

僕は今まで数か所の聯隊兵営を訪ねてきましたが、この記事のように感じる事が多々ありました
昨日訪ねた歩兵第四十三聯隊兵営が正にこの「何も無い」状態だったので、タイムリー過ぎて驚きました

以下に、僕の訪ねた聯隊兵営の状態を記したいと思います
S・・・敷地、建物5棟以上残存、往時の状態が偲べる
A・・・敷地、建物5棟以下残存、往時の状態が何となく偲べる
B・・・敷地、少数の遺構(門柱、塀、外周水濠など)残存、往時の状態が辛うじて偲べる
C・・・敷地、石碑のみ、往時の状態を偲ぶのは厳しい
D・・・敷地(区画)のみ、往時の状態を偲ぶものは皆無

・歩兵第二十聯隊(福知山) A→陸自 駐屯地
・山砲兵第九聯隊(金沢)  A→陸自 駐屯地
・騎兵第九聯隊(金沢)   D→学校
・歩兵第七聯隊跡(金沢)  C→金沢城
・騎兵第十一聯隊(善通寺) B→学校
・山砲兵第十一聯隊(善通寺)A→陸自 駐屯地
・歩兵第二十二聯隊(松山) C→更地
・歩兵第三十三聯隊(久居) S→陸自 駐屯地
・歩兵第八聯隊(大阪)   B→史跡公園
・歩兵第三十七聯隊(大阪) C→病院
・工兵第十六大隊(伏見)  B→団地
・野砲兵第四聯隊(信太山) S→陸自 駐屯地
・歩兵第六十一聯隊(和歌山)B→学校
・騎兵第四聯隊(堺)    A→警察学校
・輜重兵第四聯隊(堺)   C→病院
・工兵第四聯隊(高槻)   B→学校
・歩兵第四十三聯隊(徳島) D→学校

最近ではこういった遺構を「戦争遺跡」として残していく運動が起きつつあり、有名なものは辛うじて保存されたりはしています。
しかし、こういった貴重な遺構に対する認識は非常に甘く、未だに破壊され続けており、開発でどうしようもないものなら、最悪「移築」でも良いので何とか保存してほしいものです

コラムの記事にもありますが、既に全てが破壊されてしまった場所であれば、説明板を立てて後世に残るようにしてもらいたいものです
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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