FC2ブログ

当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

天地人 第13回「潜入!武田の陣」

今回は天正6(1578)年5月中ごろから、武田勝頼が出陣した5月29日頃の話です。





景虎側はこの期間までに春日山城を2回攻撃(5/17、5/22)し失敗していますが、描かれていません(前回、北条高広が春日山を1度攻めていたような気がしますが・・・記憶が曖昧です)。
さらに、北条高広、景広親子が上野と武蔵の国境である三国峠を護る宮野城、小川城を奪取し北条勢を越後に引き入れる体制を構築していますが、せっかく高広を登場させているのにこれまた無視されています。

冒頭で、深沢利重と栗林政頼が坂戸城守備赴きましたが、これは自発的というより景勝の命です。
北条勢の侵入を上野国猿ヶ京で撃退し、その後も越後国境を守備しましたが、他の守備についた登坂安忠(討死)、樋口兼一、登坂清忠、登坂与五郎(安忠の子)等から、この両名が前線に出ないとして訴えられ景勝から叱責を受けています。
この事実があるので、ドラマのような悲壮な出陣は白けてしまいます・・・。

武田勝頼が出陣し、武田の陣に潜入した兼続らと高坂昌信が対面していますが、武田勢の先陣である武田信豊が出陣したのが5月下旬、信越国境付近に到着したのは29日頃ですが、昌信は5月7日に海津城で病死しています。兼続らが潜入したのが武田勢の出陣前の海津城なら話が合うのですが・・・。

仙桃院が北条勢の援軍を受けようとする景虎に「北条は今まで度々約束を反故に・・・」と北条は信用ならないと言っていましたが、越相同盟中に度々約束を反故にしたのは、謙信ですが・・・。

さて、来週は武田勢が黄金で寝返る下りですが、死せる高坂昌信が勝頼を説得するのでしょうか・・・。
関連記事



最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
↓↓↓
宜しかったらクリックお願いします


人気ブログランキングへ

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ
検索フォーム
正定事件の真実
戦史検定を受けよう!
当ブログは
「戦史検定」を応援します
戦史検定
カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
御英霊の鎮まる処
殉国の御英霊に
感謝の誠を捧げましょう
靖國神社
兵庫縣神戸護國神社
大阪護国神社
プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

拙ブログを参照した際はリンクを張って頂けたら嬉しいです
(^o^)
--------------
※掲載写真・資料の
無断転載は禁止します。

リンク
最新コメント
埼玉西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる