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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

天地人 第15回「御館落城」

規模小っさ!!な御館の乱もいよいよ終了です。
今回は武田勝頼と景勝が不戦同盟を結んだ天正6(1578)年6月12日から、上杉景虎が自害する翌天正7(1579)年3月24日の話です。





今まで長々と間のびした感があった御館の乱の描き方も今回はあっさり?と言うか、片付けた感がある描き方でした。

まずは景虎側の主力として活躍?していた北条高広が、神社の参詣中に暗殺されました・・・まったくの創作です
何度も書きましたが、高広は上野厩橋城にいてます。それに乱後も存命で、景虎敗死後は武田勝頼の仲介を経て再び景勝に仕えているはずです。
乱中に討ち死にするのは、高広の嫡男で家督の景広です。
とくに今回の大河で高広が活躍する場面はなかったので、最初から景広として出演させた方がしっくりきます。なぜに高広にしたのか疑問です?

高広(景広)討死後、求心力が低下、雪で北条宗家の援軍も望めなくなった景虎側が和睦のため嫡子・道満丸を景勝に差出しますが、途中で景虎側の主戦派に殺害されます。
なんだこれ?ですね
道満丸は講和を斡旋しようとした御館の主である前関東管領で謙信の養父である上杉憲政とともに景勝の陣営に向かう途中に、景勝の兵に殺害されます。
景勝が謙信の養父を殺害する描写が「義」を掲げるドラマにはふさわしくないため憲政を敢えて出さなかったのでしょう。・・・なんかヌルい脚本ですね・・・。
景勝の義を護るため、道満丸と憲政を兼続が殺害、敢えて汚名を着るという方がそれらしいと思うのですが?

そして、この乱の最大の突っ込みマンは・・・遠山康光ですね
終始策謀家として描かれており、景虎を常にけしかけ破滅に導き、最後は見捨てて北条へ去る、という悪人でしたが、名誉棄損もいいところです。
康光は越相同盟締結時に景虎に従い越後に入り、乱では特に活躍もなく最後は鮫ケ尾城で景虎とともに自害しています。
氏康の一字拝領を受け、景虎の母の姉を妻とし、氏康から後見人として配された康光にとって景虎とともに自害するのは当然でしょう。
ドラマのように、ニヤリと笑って去っていく意味が分かりません
このまま相模に帰って、当主氏政にどう説明するのでしょう?
ニヤリは何なのでしょう?

結局最後まで上杉一門、揚北衆、旗本、国人、重臣のほとんどは登場せず、規模の小さい単なる家督争いに終始した御館の乱でした。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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