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駿府城天守復元 、断念

以前から話の出ていた駿府城の天守復元ですが、残念ながら信頼できる資料が無いため断念することになったようです




天守閣復元見送り 委員会「資料の史実性低い」 天守台は検討



 駿府城天守閣の再建について討議していた静岡市の検討委員会(会長=志田直正・静岡英和学院大学副学長)は26日、現在の資料は史実性が低いとして天守閣の復元を見送るべきだとの報告書を小嶋善吉市長に提出した。一方、天守閣の土台となる「天守台」については、復元に向けて具体的な検討に入るよう求めた。長年続く天守閣再建論争も一応の決着をみた格好だ。

 検討委設置は、小嶋市長が2007年の市長選の公約に盛り込んだ。08年3月に発足し、市民委員も交えて2年間討議した。報告を受けた後、小嶋市長は記者団に「報告内容を市として受け止めて(今後の)対応を考える」と述べた。

 天守閣を巡っては、1990年代以降、市民団体から復元を望む声が起きたほか、市内観光の目玉にできるとの目論見(もくろみ)もあり機運が盛り上がった。ところが、肝心の寸法や構造を示す資料が見つかっていないことから、歴史的な裏付けがないまま百数十億円ともされる費用をかけて復元すべきかが焦点となっていた。

 報告書では、復元する天守閣のデザインを全国から募集するとした小嶋市長の提案も却下したうえで、「将来、史実性が確認できる新資料の発見も想定される」として、復元に必要な資料の収集は継続すべきとした。

 一方、天守台については、史実に基づいた資料がみつかっており、技術的、財政的課題についての検討を求めているが、市公園整備課によると、復元費用は100億円程度という。また、同城の歴史を強調するため、駿府公園を「駿府城公園」と改称することも提言している。

 駿府公園は91年に再整備計画を策定済みで、今後、坤櫓(ひつじさるやぐら)、清水櫓、清水御門などを順次復元する。志田会長は記者団に、「図面がある建物から復元し、駿府城への市民の関心を継続させることが重要だ」と語った。
(2010年3月27日 読売新聞


駿府城天守は3度に渡って建て替えられています。
天正年間(1573~1592年)、徳川家康が浜松城から居城を移した際に建てられた初代、家康の天下統一がほぼ確立した慶長12(1607)年の2代目、2代目天守は失火により完成直後に焼失し、慶長15(1610)年に再度建築された3代目です。

今回断念された復元計画ではこの3代目の天守を予定していたようですが、現在でも安土城天守同様に復元案が一定せず、様々な解釈があります。

記事中にある「天守のデザインを全国から募集する」といった「ゆるキャラ」のような提案は論外として、ぜひとも資料の収集は続け、図面など確実な資料が見つかれば復元してほしいものです
まずは資料のある「天守台」です

それにしても天下人・家康が隠居城として築いた駿府城の資料が皆無なのは驚きです

同じ家康の築いた「江戸城」の天守復元の話もあったと思うのですが、こちらはどうなったのでしょうか?
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復元されますよ

駿府城の資料は数少なく全景を描いたものは絵画でしか現存していないそうですが、それを元に復元されるそうですが予算が莫大にかかるので1世紀をかけて少しずつ復元していくそうです。ガウディのサクラダファミリアのような時間を長くかけた復元作業です。

現時点では反対

普通さん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

少しブログ記事の書き方がマズかったのですが、「資料」は仰るとおり名古屋市博物館が所蔵している『“伝”駿府城築城図屏風』と言う小屏風、紀州・日光両東照宮の『絵巻』がありますね。
私の記憶が確かならこの屏風は描かれた年代から「駿府城の築城を描いた物と“推定される”」程度の物で、確実な駿府城天守と言い難い物だと想います。
紀州・日光両東照宮の『絵巻』も外観は酷似しているものの、細部(破風の位置、外壁の柱の有無、窓の数など)は異なり、「大凡の形」は分かる程度の物だと想います。

ご存知の様に当時の我が国の絵画は非常に簡略化された物であり、屏風絵や絵巻が正確な縮尺で描かれているとは言えず、「歴史的な史料」とは言えるものの、復元の元になるような「建築史料」とは言えないのでな無いでしょうか。

大坂城の復興に際しても屏風が参考にされましたが、大坂城も「冬の陣図屏風」と「夏の陣図屏風」では外観が異なり、今でも論争になっています。

やはり、天守の復元となると柱位置や間取りを記した「天守指図」(設計図)や雛形(内部の縮尺模型)等の「決定的な建築史料」が必要と想います。

いち城郭ファンとしては参勤交代の大名を圧倒し、富士山とも並び称された駿府城天守はぜひ復元して欲しいところですが、私の一貫した意見は「史料の無い天守は復興(史料が無いので復元では無く「復興」)しても無意味」ですので、現時点では駿府城の天守再建は反対せざるを得ません。

たしかに復元なので「全てを正確に」と言うのは無理と思いますが、当時の設計図に基づき、現代の技法を駆使して、できる限り忠実に再現することは可能だと思いますし、我が国古来からの伝統工法を伝承するうえでも意味がある物だと思います。

他の駿府城再建の記事でも書きましたが、個人的には現段階では天守復元に確実な史料を探しつつ、確実な史料のある櫓や天守台の復元を行っていくのが最良だと思っています。

天守の復元には様々な意見がありますが、少なくとも昭和30年代の鉄筋模擬天守の粗製濫造のように遺構を破壊するだけの建設はやめて欲しいです。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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