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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

天地人 第16回「武田家の娘」

今回は御館の乱で景虎が自害した直後の天正7(1579)年3月24日から、直江信綱が殺害された天正9(1581)年9月9日の話です。





景虎自害後も御館の乱はあっさりかたずけられてしまい、結局「家督争い>豪族の争い」という構図で規模が小さいままでした。
これでは越後国内の疲弊の度合が微妙で、後々武田家に援軍を出せなかった理由、魚津城に救援に赴けなかった理由としての「国内の疲弊」が分かりずらいような気がします。

直江兼続の家老就任の話が出てきました。
兼続が資料に見えだすのが乱後の天正8(1580)年8月頃からですが、家格の低い樋口家からのいきなりの抜擢は苦しいように思います。
それに家老とは何を指しているのでしょうか?
確か兼続が辣腕を振るったのは景勝側近の「取次役」や「奏者」としてのはずです。ドラマの感じでは、家老=評定衆のような感じですが・・・
さらに当時の上杉家の大名権力構造としての家老と言う地位があったかも疑問です。
確かに家老=偉い地位との印象がありますので、分かりやすいと言えますが?
単純すぎるような気がします。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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