天地人 第20回「秀吉の罠」
天正10(1582)年6月13日の明智光秀が敗死したところから天正13(1585)年8月の落水の会談までです。

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まずは山崎の合戦(天正10:1582年6月)、清洲会議(天正10:1582年6月)、賤ヶ岳の合戦(天正12:1584年4月)、小牧・長久手の戦い(天正12:1584年)、紀州征伐(天正13:1585年3月~4月)、四国征伐(天正13:1585年)、大阪城築城(天正11:1583年築城開始)、関白就任(天正13:1585年8月)、富山の役(天正13:1585年8月)と、豊臣家と上杉家の外交的な駆け引きのあった時期があっさりとナレーションで終わってしまいました。
今回のドラマの主要部分が「落水の会談」で景勝に秀吉が上洛を約束させる確約を取り付けるものだったためか、小牧・長久手の戦いや富山の役で既に上杉家が秀吉の要請により出陣している史実は完全に無視されていました。もっと言えば、天正11(1583)年の時点ですでに上条(上条義春の子)義真を人質として秀吉に出しており、同盟関係にあります。
兼続が「従うか従わないかは秀吉の出方次第」などと言っていましたが、この時期の秀吉は最終期の信長の勢力を凌駕する強大なものになっており、上杉家が強気の態度で出れるような状況ではありません。上杉方が会談を受け入れた時点で臣従を了解したものとなります。
そもそもこの「落水の会談」は『北国太平記』(出典は『上杉三代日記』)など上杉方の記録にしかないので「虚構」と言われています。
会談が史実であってもドラマのように秀吉側に全くの護衛がおらず丸腰というのは頂けません。近所の知り合いの家に飲みに行くような全くの緊張感が感じられません。
今回から僕の好きな武将の1人、石田三成が本格的に登場しました。
初回も登場しましたが、あの服装に髪型・・・ゲームか!
ビジュアル系にも程があります。
今回のドラマの主要部分が「落水の会談」で景勝に秀吉が上洛を約束させる確約を取り付けるものだったためか、小牧・長久手の戦いや富山の役で既に上杉家が秀吉の要請により出陣している史実は完全に無視されていました。もっと言えば、天正11(1583)年の時点ですでに上条(上条義春の子)義真を人質として秀吉に出しており、同盟関係にあります。
兼続が「従うか従わないかは秀吉の出方次第」などと言っていましたが、この時期の秀吉は最終期の信長の勢力を凌駕する強大なものになっており、上杉家が強気の態度で出れるような状況ではありません。上杉方が会談を受け入れた時点で臣従を了解したものとなります。
そもそもこの「落水の会談」は『北国太平記』(出典は『上杉三代日記』)など上杉方の記録にしかないので「虚構」と言われています。
会談が史実であってもドラマのように秀吉側に全くの護衛がおらず丸腰というのは頂けません。近所の知り合いの家に飲みに行くような全くの緊張感が感じられません。
今回から僕の好きな武将の1人、石田三成が本格的に登場しました。
初回も登場しましたが、あの服装に髪型・・・ゲームか!
ビジュアル系にも程があります。
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