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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

信太山駐屯地創立53周年記念行事

今日は今年1つ目の自衛隊祭りに行ってきました




去年は友人の都合がつかず、1人で行ったのですが今年は休みを合わせて一緒に行きました

6:45に起床し、7:15に待ち合わせて信太山に向かいます。
去年は「車での来場はご遠慮下さい」となっており付近の駐車場を調べて行きましたが、いざ行ってみると駐屯地内に停めさせてもらえました。
今年はどうかなと思いHPの案内を見ると「車でお越しの方は」となっているので安心して向かいます。

明け方まで天気が悪かったので心配でしたが、家を出るころには殆ど雨もやんで次第に晴れてきました
「昭和の日」という佳日にきっと祖父が晴れさせてくれたのに違いない

1時間程で駐屯地に到着、並ぼうとすると整理の方が「車は臨時駐車場(信太山演習場)に回してもらい、シャトルバスで来て下さい」とのこと
僕ら同様、西側から来た車は漏れなく演習場に回されていましたが、東側(駐屯地に沿って並んでいる)から来た車はそのまま並んでいました
仕方ないので友人が下りて席取りをしてくれると言うので、釈然としないまま演習場に向かいシャトルバスで引き返してきました

まぁおかげで、普段入れない信太山演習場の中に入る事ができたので良しとします。
去年も書きましたが、この信太山駐屯地は大正8(1920)年11月から昭和20(1945)年の大東亜戦終戦まで大阪の第四師團隷下の野砲兵第四聯隊の兵営があった場所で僕の母方の祖父が入営した場所でもあり、また隣接する信太山演習場は規模こそ縮小されていますが父・母方の両祖父も陸軍時代に演習に励んだ場所です。
信太山演習場
~信太山演習場

友人が席を取ってくれていた、しかも気を利かせて最前列とスタンド席ので難なく座れました
事前に僕が運動場が観客席より低くなっていて、見づらいと言っていたのを考慮してくれたようです
ありがとぅ~

式典開始まで1時間程時間があるので、この時間を利用してまずは模擬戦が終わってから行くとカオスになる模擬店で食事をします
朝一なのでどの店もすいており、焼きそば350円、フランクフルト100円、唐揚げ350円、コロッケ100円を食べます
次いで、アンケートに答えてカレンダーをGETします
去年は行く時間が遅く1枚物しか残っていませんでしたが、今年は学習して早めに行ったので6枚物を頂きました
家に帰って早速、吊りましたなかなか迫力ある写真でカッコいい~

続いて去年はカメラの性能が悪く、良い写真が撮れなかった資料館に入ります。
資料を見学し、写真を撮っているとそろそろ式典が始まるとのことで席に戻ります。
まずは去年と違いスタンド席にて見学します
去年は見逃した部隊入場が始り、隊員の方々が整列します。
①部隊整列

しかし、いつも思うのですがここからが長い
ややあって簡閲部隊指揮官が入場、さらにややあって国旗登壇、簡閲指揮官・第37普通科連隊長兼信太山駐屯地司令 大庭秀昭1等陸佐が登壇、しばらくして来賓が到着しようやく始まります。
②観閲部隊指揮官入場
~簡閲部隊指揮官が入場

③国旗入場
~国旗入場

④観閲指揮官 順閲
~観閲指揮官 順閲

式典はいつも通り観閲官巡閲、観閲官式辞、来賓式辞、国旗降壇、観閲官退場、部隊退場の順に進みました。
去年の来賓には僕の尊敬する西村眞悟先生が式辞を述べられていましたが、今年は残念ながら先の衆議院選で落選されてしまったのでお見えになりませんでした
代わりにではありませんが、今年は「ヒゲの連隊長」として有名になった元自衛隊員の佐藤正久参議院議員が式辞を述べられていました。
他のどの式辞よりも熱のこもった、良いものでした
⑤来賓祝辞 佐藤参議院議員
ヌカッた!
この時間を利用して建物の写真撮影に行ったらよかった!!

ここで、動画を撮るべくスタンド席から一般席の最前列に移動、しばらくすると分列行進曲の勇ましい曲に合わせ徒歩部隊の行進が行われます
分列行進曲は僕も着メロにしていますが、いつ聞いても良いものです
⑧観閲行進(音楽隊)



続いて車両行進が行われます。


その後、運動場で模擬戦の準備が行われる間、隊員の方々による太鼓演奏があり、横隔膜にゴリゴリ響く非常に迫力のある演奏でした
⑨菊水太鼓

さらに去年は無かった音楽隊とラッパ演奏の演舞がありました
ラッパは陸軍時代と同じと思っていましたが、異なるものでした
⑩ラッパ演舞

そして、いよいよ訓練展示です。
まずは今年、運動場奥に新設された「レンジャー塔」でロープを用いての急斜面登坂、塔間移動、急斜面降下です。
場所が遠いので見えづらかったですが、見事なものでした
簡単そうにやっているように見えましたが、体重の重い僕にはもちろん普通の人でも到底マネ出来ないワザです
②渡る

続いて敵陣地攻撃の展示です。
構成はヘリ、バイクによる偵察に続き榴弾砲、迫撃砲、戦車による制圧、地上部隊前進、負傷者の収容、地雷原処理、鉄条網突破、突入という順で進行しました
ほぼ去年と同様の内容ですが、バイクが客席直前で旋回するサービスあり、負傷者の収容あり、ヘリからのりベリング降下ありと去年より充実していました
榴弾砲と戦車の空砲射撃も去年より多かった?と思います。
また、地雷原処理に破壊筒を使っているのも初めて観ました
破壊筒と言えば昭和7(1932)年2月22日の上海事変・廟行鎮の敵陣を強行爆破して散華した爆弾三勇士を思わず思い出します。
④ヘリ偵察
~ヘリ偵察

⑥バイク偵察 (6)
~バイク偵察

⑨負傷者発生 救助 (3)
~負傷者発生 救助

⑪破壊筒にて地雷原処理
~破壊筒にて地雷原処理

訓練展示終了後は資料館の続きを見学、昨年撮影に失敗した建物を再度撮影、お土産を買ったり、太鼓の演奏を観たり、兵器・車両展示を観たりして駐屯地を後にしました
⑰大阪陸軍病院 信太山分院 南東から
~大阪陸軍病院 信太山分院 南東から

三八式七糎野砲
~三八式七糎野砲

帰りに隣の黒鳥山公園にある忠霊塔を参拝、昭和帝駐蹕碑を見学して家路に着きました
忠霊塔
~忠霊塔

天皇駐蹕碑
~天皇駐蹕碑

この忠霊塔は、昭和16(1941)年11月21日に建設が開始され、翌昭和17(1942)年4月23日に完成します。
全高は13mで塔部分は幅2m、奥行2.25m、塔下部の納骨堂は幅9.5m、奥行5.5mのコンクリート製花崗岩張りでできており、前庭や展望台などの浄域の総面積は約2000㎡あります。
昭和17年5月8日に納骨式が行われ、我が国開国から支那事変・大東亜戦争において国難に殉じた御英霊、野砲兵第四聯隊関係および地元出身の御英霊もお祭りされています。

今日も充実した駐屯地際でした
自衛隊員のみなさま、お疲れ様でした
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プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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