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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

天地人 第21回「三成の涙」

前回に続き天正13(1585)年8月の落水の会談です。





番組冒頭で、ドラマの三成像を肯定する狙い?で三成が女性のように華奢で綺麗だったとの話が出てきました。
明治40(1907)年、東京帝國大学の渡辺世佑が三成の伝記執筆のために、三玄院にある三成のものと思しき墓を発掘、京都帝國大学解剖学教室の足立文太郎が遺骨を鑑定調査した話ですが、「優男の骨格、頭形は木槌型反っ歯、没年41歳相当」という下線部の結果は無視されていました。
有名な津軽杉山家蔵の三成肖像画(三成の死後作成)もこの調査結果と同様のものとなっており、小栗旬とは???です。

同様に冒頭で三成が秀吉に仕官のきっかけとなった「三献の茶」(正徳6(1716)年『武将感状記』) の話も出て来ましたが、三成の優れた才知を物語るものとして面白いものですが、この伝承は残念ながら真実かどうか疑わしいものです。

秀吉の話の中に「幼くして一人で寺で暮らしてた三成が家族の情愛に恵まれず、秀吉夫人の寧々の情愛に触れて涙した・・・云々」とありましたが、当時の武将の子弟の多くが幼少期に寺で修行するのは別段変ったことではありません。
三成は母(瑞岳院)の供養もよくやってるし、父・正継の為に菩提寺も建立していますし、両親には孝養を尽くしています。
それに関ヶ原の合戦の際の一丸となった行動は石田一族の結束を表していると思います。

ただ今回の話には三成と寧々の交流が描かれており、従来の寧々と三成の対立構造からは進んだものとなっており、今後の展開が期待されます。

兼続邸を訪れた三成(単独で来ていましたが、暗殺されたらどうするのでしょうか?)の前に多くの農民が訪れてくる場面がありましたが、今までに兼続が農民を慈しむ場面が1度でも出てきたでしょうか?
そういった伏線もないのに取って付けたような今回の農民慈愛話はアザトサを感じてしまいます。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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