当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

最強武将伝 三国演義 第7話「呂布と劉備」

今回は徐州に攻め込んだ曹操が本拠地・兗州を呂布に奪われた為、劉備の和議の提案を受け入れて撤退するところから、曹操による劉備・呂布の離間の策「二虎競食の計」まで(『演義』第11回途中~第14回途中)までです。





兗州を攻め落とされた曹操は、仕方なく劉備の申し入れをのむ形で徐州から引き上げ、兗州救援に向かった。

曹操軍から解放された徐州は歓喜した。
陶謙から徐州長官に任命されるも、劉備は固く辞退したが、陶謙の請いを入れ小沛に留まった。

曹操軍の逆襲を受けることとなった呂布は、陳宮の知恵もあり、優位に戦っていたが、傲慢な呂布の性格が災いして、兗州を支えきれなかった。

兗州を再び手に入れた曹操に、都からの特使が現れる。
皇帝が曹操に長安の平定を依頼してきた。長安を制圧した李傕と郭が仲間割れをした挙句、共倒れとなり、都が混乱しているというのだ。
これを利用し、曹操は宮廷の権力を掌握し始めることとなった。

やがて陶謙が病に倒れ、遺言により徐州は劉備のものとなった。
その劉備の下に、呂布が身を寄せてきた。
そのことを知った曹操は危惧を覚え、呂布を討伐するよう劉備に伝え、呂布と劉備の仲を裂こうとするが、劉備は快く呂布を保護した。
そこで曹操はある秘策を思いつく。


今回は『演義』では約「1回分」を費やして描かれる李傕・郭の乱が勅使のセリフ一言で片付けられてしまったので、大幅に話が進みました

>陶謙から徐州長官に任命されるも、劉備は固く辞退したが、陶謙の請いを入れ小沛に留まった。
戦勝の宴席でしたが、前回も指摘しましたが援軍に来ているのは劉備以外にも孔融、田楷がいましたが当然省略されていました
徐州の牧(アニメでは「長官」)を譲ろうとする陶謙に対し、劉備は袁術を推薦しますが、これもアニメでは省略されていました。
どちらも省略しても差し支えないでしょう。

>曹操軍の逆襲を受けることとなった呂布は、陳宮の知恵もあり、優位に戦っていたが、傲慢な呂布の性格が災いして、兗州を支えきれなかった。
進軍してきた曹操軍が城下に迫りますが、場所が明確ではありませんでした。
『演義』では呂布は陳宮の進言を聞かず、兗州を薛蘭と李封に任せ自身は濮陽に進軍します。
また陳宮は曹操が陣構えをする前に叩くよう進言しますが自身の武勇に頼る呂布に却下され、結局陣を構えてからの戦いになります。
アニメではこの場面が描かれているようで大要は『演義』の通りです。
呂布が自陣より1騎で飛び出し曹操軍を蹴散らしていました。
『演義』ではこの時、呂布軍は張遼、臧覇、郝萌、曹性、成廉、魏続、候成、宋憲が、曹操軍は夏侯惇、楽進が出て戦いますが全て省略でした。

「西の砦」襲撃はかなり省略されていましたが、アニメの通りです。
『演義』では高順、魏続、候成が守備に就き曹操軍に攻められて敗走、援軍に駆けつけた呂布と一騎打ちするのは楽進と于禁(アニメでは于禁のみ)、最終的に典韋が防ぎます。呂虔や曹洪、夏侯惇も防戦に努めますが全て省略されていました。

呂布が陳宮の策で濮陽城内に曹操を引き入れるのに田氏を使います。
アニメでは田氏を説得するのに呂布が言いがかりを付け、半ば強引に話を進めていましたが『演義』には一切登場しない話です。
出典が何かあるのでしょうか?

陳宮の計略にはまった曹操に于禁が警戒するように言いますが、『演義』では出陣前に劉曄が、城外で李典が進言します。
場所からして李典の進言を于禁に置き換えているようです。

さらに『演義』では曹操が濮陽城内に突入する前に呂布側から高順と候成が迎撃に出ますが、アニメでは無抵抗で城内に入ります。
また、火計にあった曹操軍に呂布軍が突入しますが、呂布軍、曹操軍ともに武将はほぼ省略されており、炎上する濮陽城から曹操を助け出すのも典韋(実際は夏侯淵と典韋)だけでした。

曹操死亡を信じた呂布が曹操軍を追撃し兗州を失っていましたが、かなり省略されていました。
この時は「大敗」しただけで、濮陽に撤退、直後に発生した蝗害(いなご)により双方兵糧不足に陥り曹操は鄄城、呂布は兵糧を求めて山陽に屯営します。
その後、曹操は陳国、汝南郡、潁川郡を攻略し黄巾の残党・何儀、黄邵を討ち取り、許褚を配下に加え、さらに略奪に出た呂布配下の薛蘭、李封を討ち取り兗州を奪還、さらに陳宮の反対を押し切って出撃した呂布の留守中に寝返った田氏の手引きで濮陽をも奪還します。

アニメの省略は妥当な線ですが、田氏を濃いキャラに仕立てて呂布による説得をあそこまで描くのなら、再度の寝返りも使者のセリフのみでも良いので描いた方が良かったように思います。

>やがて陶謙が病に倒れ、遺言により徐州は劉備のものとなった。
アニメでは曹操が兗州を奪還し、呂布を駆逐した後に劉備が徐州を領したことが伝えられますが、実際は曹操が鄄城に撤退した時に伝えられ、徐州に再度攻め込もうとする曹操が荀の進言で思い直します。
アニメでは郭嘉の進言になっていました。

>兗州を再び手に入れた曹操に、都からの特使が現れる。
>李傕と郭が仲間割れをした挙句、共倒れとなり、都が混乱している
李傕・郭の乱は先述したように省略されていました。
この乱も李傕、郭という小物同士の争いにさらに韓暹、李楽、胡才、楊奉などの小物が加わって面白いのですが、アニメのように「仲間割れをした挙句、共倒れとなり」で片付く事なので省略されても仕方ないでしょう。

特使が「袁紹に帝を助けるよう上洛を促したが、第二の董卓になるのを恐れて断った」と言っていましたが、全くの創作です。
『演義』では献帝の詔書は楊彪の進言により曹操にのみ届けられています。
袁紹の時局を見抜けない様を強調するための演出と思われます。

>これを利用し、曹操は宮廷の権力を掌握し始めることとなった。
献帝の庇護について、アニメでは終始郭嘉が助言していますが、正しくは荀です。

>劉備の下に、呂布が身を寄せてきた。
『演義』では呂布は初め袁紹を頼ろうとしますが、袁紹は審配の進言を受けて逆に呂布を討伐しようとしたため、陳宮の進言を受けて劉備を頼ります。

一方、呂布を受け入れるか劉備が関羽に相談していましたが、『演義』では糜竺と相談しているところに張飛がやって来ます。

>呂布を討伐するよう劉備に伝え、呂布と劉備の仲を裂こうとする
有名な「二虎競食の計」です。
アニメでは「両虎相い戦うの計」と何やらモッサイ名前になっていましたが、まぁ良いでしょう、ただ進言したのが郭嘉になっていました
この計略は次に続く「駆虎呑狼の計」と並んで荀の見せ場の一つなのでこの置き換えは頂けません

さらに二虎競食が失敗したところに程が「勅命を出してもらい徐州に攻め入りましょう」と進言していましたが、これは創作です。
実際はただちに荀が駆虎呑狼の計を進言します。

呂布と張飛が言い争う場面が度々出てきましたが、セリフはほぼ創作でした。
ただ、ここは呂布を受け入れようとする劉備、調子にのる呂布、反対する関羽、強く反対する張飛、という構図がわかれば良いので問題ないでしょう。

それにしても二虎競食の計を進言する郭嘉の悪そうな顔に曹操の目が光るのはワザとらしいというか・・・
関連記事



最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
↓↓↓
宜しかったらクリックお願いします


人気ブログランキングへ

コメントの投稿

非公開コメント

戦史検定を受けよう!
当ブログは
「戦史検定」を応援します
戦史検定
カテゴリ
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
カウンター
最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
御英霊の鎮まる処
殉国の御英霊に
感謝の誠を捧げましょう
靖國神社
兵庫縣神戸護國神社
大阪護国神社
プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

拙ブログを参照した際はリンクを張って頂けたら嬉しいです
(^o^)
--------------
※掲載写真・資料の
無断転載は禁止します。


●Facebookやってますので本名ご存知の方はぜひ。
目印は水木しげる先生風の自画像です(笑)

検索フォーム
リンク
地図・史資料
埼玉西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ
ライオンズニュース
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる