当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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長宗我部家の伝来史料、山内家宝物資料館に寄託

いつも巡回している歴史系のブログを見ていてコノ記事を発見しました
長宗我部ファンとしては見逃せない記事です




長宗我部家の伝来史料、山内家宝物資料館に寄託 高知 2010.6.12 02:45


 戦国時代に土佐(高知県)を治めた長宗我部家の子孫に伝わる史料が、土佐山内家宝物資料館(高知市)に寄託された。江戸時代に土佐藩主となった山内家は厳しい身分制度で長宗我部家の旧臣らを冷遇したとされるが、史料の中には長宗我部家の一族が山内家に仕え、役職も任されていたことなども記されており、対立したといわれる両家の関係を研究する上で貴重な史料になりそうだ。

 四国に一大勢力を築いた戦国大名・長宗我部元親の息子、盛親が大阪の陣後に殺され、宗家は途絶えたが、元親の弟、親房の家系は江戸時代に島姓を名乗り、明治時代に長宗我部姓に戻し存続した。

 寄託されたのは、親房から数えて17代目当主になる東京在住の長宗我部友親さん(68)が保管していた計16点の史料。

 親房の家系を継いだ島五郎左衛門の嫡子、與助が貞亭5(1688)年に藩に提出した勤務記録「差出」には、五郎左衛門が大阪の陣で豊臣方に参戦し、4年間ろうに入った後に山内家に召し抱えられた経緯、與助が留守居組に登用されたことが記されている。

 このほか、明治3(1870)年に長宗我部家ゆかりの神社の創建を藩庁に求めた文書、江戸時代に島家と周辺で起きた出来事を記した文書などがある。

 友親さんは「山内家は長宗我部家の一族を最大限処遇していたのでは。山内家の史料と比べることで、新たな発見もあるはず」と話した。

 史料は7月9日から、高知県立文学館(同市)で公開される。(産経新聞


僕は今まで2回高知を訪れ、長宗我部家ゆかりの神社仏閣や墓所、城跡、資料館等を訪ねてきましたが、山内は大っ嫌いなのでその関連場所は高知城(いや、長宗我部ファンなら大高坂城と呼ぶべきか)何一つ行った事がありません
また高地は行くつもりなので、コノ貴重な資料を見てみたいのですがよりによって長宗我部ファンの聖地・岡豐城跡に建つ「高知歴史民俗博物館」ではなく、にっくき山内家の「山内家宝物資料館」なのでしょうか・・・
まぁ色々大人の事情があるのかも知れませんが・・・

それはさて置き、長宗我部友親氏の家系が気になります
長宗我部家は御存じの通り、元親の跡を継いだ盛親が関ヶ原の合戦で西軍に就き改易、さらに大坂の陣で大坂方に就き敗戦、戦後斬首され、その子6人(信憑性は別として)も全員斬首されて本流は途絶えてしまいます。
しかし、元親の次弟親貞の家系(三男の貞実(貞実は戸次川で戦死)の子、亦五郎(町源右衛門))が肥後細川藩士として、また元親の四弟親益の家系(親益は暗殺されるも後、島五郎左衛門(親貞の子?)が家督を継ぐ)が残ったのが有名です。

僕の知る限りでは肥後細川藩士の町源右衛門(肥後長宗我部家)は系図があり、一応系譜は明らかでしたが、土佐藩士(土佐藩士となっていたのも上記の記事で知りました)の島五郎左衛門の系譜はイマイチ不明でした。

島五郎左衛門が元親の四弟である島親益の実子かどうかは不明(通称である“五郎”から次弟である吉良親貞の四男、親英と同一人物とも言われる)でしたが、上記の記事にヒントが隠されていました

島親益の生年は不詳ですが、没年(1571年)、直上の兄・親泰の生年(1543年)、父・国親の没年(1560年)から計算して最低で11歳、最上で27歳となります。
確かに当時なら子供がいてもおかしくない年ですが・・・

赤色で記した
>親房の家系を継いだ島五郎左衛門の嫡子、與助
島五郎左衛門の子である與助には「嫡子」という表現を使っていますが、島五郎左衛門には親房の「嫡子」とは書いておらず、単に「跡を継いだ」となっています。
察するに「島五郎左衛門が島親益の子供ではない」という事ではないでしょうか?
山内家宝物資料館に聞いてみよかな?

僕はファンが高じて、独自で「長宗我部家臣団辞典」を造っていますが(内容は資料やネットの情報をまとめたもの・・・)「島親益」と「島五郎左衛門」の項目が今回の記事で少し充実しました
 ★吉良 貞実 きら さだざね ( ? ~ 天正十四・1586 )
播磨守。
姓名での名乗りは平 貞実(たいらの さだざね)。
吉良親貞の三子。
天正十四(1586)年十二月十二日、豊後戸次川の合戦で討ち死。
(「吉良播磨守」の名は秦神社に安置の戸次川の合戦で討ち死した長宗我部家の将士を記載した『信親公忠死御供之衆鑑板』の先頭に見える。また、「貞実」の名は『肥後長宗我部氏(町氏)の子孫宅に伝来する系図』に見え、端書に「播磨守を名乗る」との記述があり「播磨守」と「貞実」は同一人物と思われる。)
子は吉良亦五郎(町源右衛門)。

 ★吉良 親英 きら ちかひで ( 生没年不詳 )
姓名での名乗りは平 親英(たいらの ちかひで)。
五郎左衛門尉、戸波五郎、長宗五郎、島五郎左衛門?。
吉良親貞の四子。
讃岐金毘羅の棟札に兄・左京進(親実)とともに名が記載されており、天正十四(1586)年十二月十二日、豊後戸次川の合戦で討ち死した吉良播磨守の弟か?
地検帳の記載によると、親貞には親実、真西堂如淵、吉良播磨守の他にもう一人男子がおり、検地役人の筆頭であった五郎左衛門尉親英と思われる。
地検帳に「吉良五郎」の記載が無いものの、「戸波五郎」、「長宗五郎」の記載地が給地であったと思われる。
元親の四弟・島親益の後を継いだ島五郎左衛門と同一人物か?

 ★島 五郎左衛門 しま ごろうざえもん ( 生没年不詳 )
長宗我部元親の弟・島親益の子? 
吉良親貞の四子・吉良親英と同一人物か?
島家の名跡を継ぐ。
慶長五(1600)年十一月、長宗我部家改易後に土佐に入封した山内一豊に仕えるが、慶長十九(1614)年、大坂の陣が始まると長宗我部盛親に従い大坂城に入城する。
元和元(1615)年、大坂夏の陣において大坂落城後、豊臣方に着いたかどで投獄される。
元和四(1619)年、許されて山内家二代藩主・忠義に仕える。
子孫が明治期に長宗我部姓に復す。現当主は十七代目・長宗我部友親氏。

 ★島 親益 しま ちかます ( ? ~ 元亀二・1571 )
長宗我部親房、弥九郎。
長宗我部国親の四子、元親の弟。
国親が家臣の島某の妻に手をつけ産ませた子であったため、島姓を称したと言われる。
(母が島氏の出であったので島姓を称したとも言われる。)
武術に優れ、大柄で快活であった(病弱であったという説もある)。
幼少時は一条兼定の人質となり土佐中村で暮らす。
土佐七雄の本山茂辰、安芸国虎討伐に出陣する。
元亀二(1571)年三月四日、結核療養のため有馬へ湯治に向う途中、荒天に見まわれ阿波海部郡那佐湊に避難した際に長宗我部勢の奇襲(密偵とも)と勘違いした海部宗寿(友光)の軍勢に襲撃され、一行は三島に上陸して防戦するも従者三十名は討ち死、親益も自刃した。(襲撃したのは安芸国虎の遺臣(国虎の子は細川家、三好家を頼ったといわれる)との説もある)
親益襲撃事件がのちに、元親が阿波に侵攻する口実となる。

 ★町 源右衛門 ちょう げんうえもん ( 生没年不詳 )
吉良亦(また)五郎。
吉良貞実の長子(『肥後長宗我部氏(町氏)系図』)
(通説では吉良親実の子(『細川家家臣略系譜』他)と言われるが、上意により自刃させられた親実の実子が生かされる可能性はほとんどないと考えられる。)
初め吉良姓を称した。
細川家中屋敷留守居役。
慶長五(1600)年十一月、長宗我部家改易後の事績は不明。
元和二(1617)年、江戸において細川忠興に三百石で仕え、のち四百石に加増される。
仕官時に改姓し町源右衛門と称したか?
寛永十三(1636)年十月二日、忠興の孫・細川光尚(忠利の長子)の正室・禰々(寧々、正受院)が男子出産後の十月十四日に死去した事について、忠興に報告不行届として罷免される(忠興に心配させぬ様にとの光尚の配慮があり口止めがあったといわれる)。
その後、下総佐倉・堀田正盛に仕える。
子は町三右衛門、町市之丞。
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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