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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

和歌山陸軍墓地

和歌山県和歌山市には和歌山陸軍墓地があります。
和歌山陸軍墓地 全景(和歌山)
▲和歌山陸軍墓地 全景

【探索日時】
平成21年5月31日、平成24年2月10日

【更新情報】
平成24年11月15日:大幅改訂(地図訂正、写真追加、記事分離、書式変更)






歩兵第六十一聯隊兵営周辺の陸軍施設配置
歩兵第六十一聯隊 和歌山~歩六十一(和歌山市街圖 昭和14)(和歌山)
▲昭和14年頃の地図(和歌山市街圖)
 ※地図は施設に色付け加工しています。

歩兵第六十一聯隊 国土地理院 歩61(NI-53-15-15 22922)(和歌山)
▲昭和22(1947)年9月22日の砂山周辺の空撮(国土地理院 NI-53-15-15
 ※空撮は加工しています。

歩兵第六十一聯隊 歩61(現在)(和歌山)
▲現在の地図に施設を転写

※緑文字が当記事の紹介施設
①歩兵第六十一聯隊
②旧歩兵第三十二旅團司令部
③和歌山陸軍病院
④和歌山聯隊區司令部
⑤和歌山陸軍練兵場
⑥和歌山陸軍射撃場
⑦和歌山憲兵分隊
⑧和歌山陸軍墓地
名称については一般的な昭和17(1942)年頃のものです。


遺構について※青字は地図にリンクしています
(カタカナは遺構など、上掲地図参照)
⑧ 和歌山陸軍墓地
明治40(1907)年9月、用地買収が決定、明治41(1908)年7月、敷地の造成、番宅の建設が開始され、明治42(1909)年3月、歩兵第六十一聯隊の和歌山転営に伴い和歌山陸軍埋葬地が開設されます。
昭和13(1938)年5月5日、『陸軍墓地規則』により和歌山陸軍墓地と改称します。

昭和12(1937)年7月7日、支那事變が勃発、第四師團司令部は、事變により散華した英霊の遺骨を収容し顕彰するため、陸軍墓地内に忠霊塔の建立を企図、資金調達等を和歌山県に依頼します。
和歌山県から忠霊塔建立を委任された和歌山縣佛教會は建立運動を啓蒙すると共に広く募金を募り、昭和15(1940)年9月、寄付金17,000円を元に忠霊塔建立工事を起工、埋葬されている英霊の遺骨を本願寺鷺森別院・万性寺に安置、さらに「忠霊塔外苑建設期成會」(委員長・今松治郎県知事)が発足し外苑広場の建設が開始され、歩兵第六十一聯隊補充隊・縣佛教會・近隣学生・他各種団体の勤労奉仕による作業協力が行われます。
昭和16(1941)年1月、高さ37尺5寸(約11.3m)の鉄筋コンクリート製忠霊塔が完成、安置の英霊を塔内に納め、陸軍省への献納式が挙行されます。
昭和16(1941)年5月、外苑2,000坪の工事が完成、その後、和歌山県により忠霊塔外苑入口から中央通り(国道42号線)まで250mの参道が開設されます。

陸軍墓地・忠霊塔は陸軍省、外苑・参道は県が所管、忠霊塔奉仕委員會が維持管理し、和歌山縣佛教會が招魂祭と祭祀を斎行しました。

昭和20(1945)年8月15日、大東亜戰争停戦により忠霊塔奉仕委員會は解散、維持管理は縣佛教會が引継ぎ、昭和22(1947)年4月、外苑も縣佛教會に移管、破壊を防ぐため忠霊塔は平和塔と改称します。
昭和24(1949)年、外苑の一部を大蔵省に売却、代金で財団法人和歌山県平和塔護持会を設立、忠霊塔・附属施設の維持管理と祭祀が継続されます。
昭和54(1979)年10月、平和会館建設奉賛会が結成され、募金により昭和56(1981)年6月、平和会館が完成、英霊の御遺品・史資料の保存展示、祭典実施、遺族・一般の集会等に供されています。

現在、忠霊塔には37,500柱の英霊を合祀し、1月1日、年始慰霊祭法要、5月5日、県仏教会員奉仕による追悼法要、
8月17日、みたま祭、10月5日、秋季追悼法要が斎行されています。

ク 忠霊塔
昭和16(1941)年1月、和歌山縣佛教會により建立、陸軍省に献納されました。
高さ約11.3mの鉄筋コンクリート製です。
和歌山陸軍墓地 ク 忠霊塔(和歌山)

ケ 合葬碑
昭和16(1941)年11月30日に建立されました。
時期的に忠霊塔とかぶる事から、何の合葬碑か不明です。
和歌山陸軍墓地 ケ 合葬碑(和歌山)

コ 陸軍用地(移設)
  兵器ハ命

敷地に入ってすぐ左にあります。
和歌山陸軍墓地 コ 陸軍用地、兵器ハ命(和歌山)
▲陸軍用地(移設)と兵器ハ命(左から)

陸軍用地の境界石標は陸軍墓地周囲にあった物と思われます。
兵器ハ命の石碑は歩兵営にあった物でしょうか?


その他(戦後建立)
弥陀三尊像
ビルマ戦線戦没者の慰霊のため、昭和55(1980)年6月に建立されました。
和歌山陸軍墓地 ビルマ戦線慰霊碑(和歌山)

母子像
昭和45(1970)年5月16日に建立されました。
台座の銘板が外れ落ちています。
和歌山陸軍墓地 母子像(和歌山)


和歌山県平和会館
昭和56(1981)年6月に建設されました。
1階に平和祈念資料館、2階に会議室があります。

展示内容は郷土部隊の歩兵第六十一聯隊、歩兵第二百十八聯隊を中心に和歌山県にゆかりの陸海軍史資料、英霊の御遺品、遺族からの寄贈品、関係者個人アルバム等が多数展示されています。
和歌山陸軍墓地 軍旗の一部(和歌山)
▲歩兵第六十一聯隊 軍旗の一部

和歌山陸軍墓地 資料館内部(和歌山)
▲展示の一部

和歌山陸軍墓地 資料館内部 (2)(和歌山)
▲展示の一部

開館時間 9:00~16:00
休館 毎週月、年末年始


あ 境界石標
上掲の『和歌山市街圖』(かなりいい加減な地図なので何とも言えませんが)によると、和歌山陸軍墓地の敷地は現在よりも南側に広かった様に見えます(上掲「現在の地図」の緑線部分)。
この地図の通りの境界に沿って石標らしき花崗岩製の物がありますが、殆ど地面に埋まっており詳細は不明です。
和歌山陸軍墓地 あ 石標?(和歌山)

い 境界石標
“あ”と同じく境界に沿って石標らしき物がありますが、殆ど塀に埋まっており詳細は不明です。
和歌山陸軍墓地 い 石標?(和歌山)


主要参考文献
和歌山県忠霊塔護持会の冊子
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No Title

和歌山61連隊の門柱は見に行ったのですが、忠霊塔と有ったのですね・・・
見逃していました。
さて、米軍が日本に進駐する際に作ったと思われる地図には、忠霊塔付近に陸軍墓地の記注が有るので、「陸軍用地」の境界石は、陸軍墓地の物ではないでしょうか?

Re: No Title

kanさん、こんばんは。
記事内に掲載した大正13年の地図の原本を良く見ると、忠霊塔の位置に「陸軍墓地」と書かれていました(汗)
普通に考えて「陸軍用地」の境界石は陸軍墓地の物ですよね・・・
ご指摘ありがとうございます、近々記事の訂正をしておきます。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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