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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

宇治山田憲兵分遣隊

4年後の平成25(2013)年に式年遷宮を迎える豊受大神宮(外宮)の東側、三重県伊勢市岡本に宇治山田憲兵分遣隊がありました。
京都憲兵隊津分隊 宇治山田分遣隊  イ 門 北西から(三重 宇治山田) (2)
▲通用門

【探索日時】
平成21年7月15日






宇治山田憲兵分遣隊周辺
宇治山田憲兵分遣隊  『宇治山田市街全圖 神都』(昭和6)(三重 宇治山田)
▲昭和6年頃の地図(『神都 宇治山田市街全圖』帝國交通社)

京都憲兵隊津分隊 宇治山田分遣隊  『宇治山田市街全圖 神都』(昭和6)・現在(三重 宇治山田)
▲現在の地図に施設を転写


遺構について※青字は地図にリンクしています
(アルファベット・カタカナ等は上掲地図の表記)

宇治山田憲兵分遣隊
大正13(1924)年8月1日、『大正十三年 軍令陸乙第十號』により名古屋憲兵隊津憲兵分隊において編成完結、宇治山田市浦田町(現、伊勢市宇治浦田)の仮事務所において業務を開始します。
15日、『大正拾參 陸軍省令第二十六號』により宇治山田市(現、伊勢市)に憲兵分遣所の設置が決定、神宮司庁より神宮雑種用地を無償にて借受、庁舎の竣工とともに移転、名古屋憲兵隊 津憲兵分隊 宇治山田憲兵分遣隊が発足します。
大正14(1925)年5月1日、歩兵第五十一聯隊の復帰、歩兵第三十三聯隊の移駐に伴い津憲兵分隊は京都憲兵隊管區に移管、京都憲兵隊津憲兵分隊 宇治山田憲兵分遣隊となります。

昭和20(1945)年2月28日、第百五十一聯隊補充隊に復員下令、名古屋師管區歩兵第四補充隊が編成されたのに伴い、津憲兵分隊が再び名古屋憲兵隊管區に移管され名古屋憲兵隊 津憲兵分隊 宇治山田分遣隊となります。

3月30日、『憲兵令 改正』により名古屋憲兵隊津憲兵分隊は東海憲兵隊司令部隷下となったのに伴い、津地區憲兵隊宇治山田憲兵分隊と改称し、8月15日、停戦を迎えます。

停戦後、敷地は神宮司庁に返還、建物は譲渡され、現在は神宮育成会館になっています。


ア 正門
白色に塗装されており神宮育成会館の門として使用されています。
京都憲兵隊津分隊 宇治山田分遣隊  ア 正門 北東から(三重 宇治山田)
▲片側の門柱に袖門を持ち、内側に控柱を持つ格調高い構造です。

京都憲兵隊津分隊 宇治山田分遣隊  ア 正門 南東から(三重 宇治山田)
▲正門裏側


イ 通用門
正門と同じくらいの高さがあり、花型の意匠が施されています。
京都憲兵隊津分隊 宇治山田分遣隊  イ 門 北西から(三重 宇治山田) (2)

京都憲兵隊津分隊 宇治山田分遣隊  イ東側門柱の門札「電話二八二番」(三重 宇治山田)
▲左側の柱には「電話二八二番」と書かれた表札が遺ります。

京都憲兵隊津分隊 宇治山田分遣隊 イ 門(北側) 門札跡(三重 宇治山田)
▲右側の柱は大小の門札の跡が遺ります。


ウ 門
敷地東端にあり、閉鎖されています。
イ通用門と同じ意匠の門柱ですが、やや小振りです。
京都憲兵隊津分隊 宇治山田分遣隊  ウ 門 東から(三重 宇治山田)


エ 門
敷地東端にあり、閉鎖されています。
イ通用門と同じ意匠の門柱ですが、やや小振りです。
京都憲兵隊津分隊 宇治山田分遣隊  エ 門 東から(三重 宇治山田)


建物
写真を整理していて気付いたのですが、神宮育成会館と使用されている建物がかなり改築?されているものの、寄棟造の屋根、縦長の窓等、結構古い形状をしています。
もしかして当時の庁舎を改装した物でしょうか?
京都憲兵隊津分隊 宇治山田分遣隊 建物 西から(三重 宇治山田)(饗庭野陸軍演習廠舎)
▲憲兵隊庁舎によくある形状をしています。


A 地下壕
素掘りの地下壕で内部は崩落しています。
京都憲兵隊津分隊 宇治山田分遣隊  A 地下壕(三重 宇治山田)
▲壕口

京都憲兵隊津分隊 宇治山田分遣隊  A 地下壕(三重 宇治山田) (2)
▲地下壕内部

※平成27年5月28日、確認したところ残念ながら崩落していました。


B 地下壕
同じく素掘りの地下壕で、入口は土嚢で閉鎖されていますが、隙間から覗くと内部は殆ど崩落しています。
京都憲兵隊津分隊 宇治山田分遣隊  B 地下壕(三重 宇治山田) (2)
▲壕口は土嚢で塞がれています。

京都憲兵隊津分隊 宇治山田分遣隊  B 地下壕(三重 宇治山田)
▲隙間から内部を覗く

これらの地下壕は空襲に際し、伊勢神宮の御神体である八咫鏡(三種の神器の一つ)に遷座頂くため掘削された様ですが使用されず、宇治山田憲兵分遣隊の重要書類等の避難に使用されていた様です。

※平成27年5月28日、確認したところ残念ながら崩落していました。
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プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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