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長宗我部元親の外交書状見つかる

元親が天正12(1584)~13(1585)年頃に南予の弱小豪族にあてた外交書状が見つかりました。




長宗我部元親は腰の低い外交家 丁寧な書状を公開、高知



 猛将元親は腰の低い外交家だった―。戦国時代に四国をほぼ統一した土佐の大名長宗我部元親が、南予(愛媛県)の豪族に送った書状が見つかり、高知県立歴史民俗資料館で公開されている。

 野本亮学芸員は「勇猛な武将と思われている元親が実は腰の低い外交家だったことが分かる」としている。

 公開されているのは、四国統一戦の終盤、天正12~13(1584~85)年ごろに南予の弱小豪族にあてた外交書状。書状の多くは、元親を破った豊臣秀吉の報復を恐れて捨てられ、見つかるのは珍しいという。

 初陣で自ら先陣を切るなど、勇猛な武将として現在も人気の元親。しかし四国の有力者でありながら、書状の末尾を「恐々謹言」と締め、使者に筆頭家老を立てるのは極めて異例。元親が腰の低い丁寧な人物であったことがうかがえる。

 また書状では「当弓箭、本意に属し候はば、相応の御知行分、申し合わすべし」と、相応の報償を約束して裏切りを念押し。現地勢力を取り込むことで、遠い土佐から大軍を出さずに戦いを有利に進める、したたかな外交手腕が見て取れる。 (2010/06/29 05:43 共同通信


長宗我部元親って「猛将」や「勇猛な武将」と思われているのでしょうか?
確かに初陣の「長浜の戦い」(長宗我部國親、元親×本山茂辰)だけを見ればそうかも知れませんが、どちらかと言えば「智将」の印象が強いのですが。

この書状が書かれた天正12(1584)年と言えば、6月に十河存保の籠る十河城を攻略、ほぼ讃岐を制圧、さらに南予では1月に御荘越前守の常盤城、秋には竹林院氏(実親か?)の籠る深田城、10月、西園寺公広の黒瀬城を落とし、翌13年には湯築城の河野道直を下し、四国をほぼ統一した時期です。

中央では羽柴秀吉がほぼ天下を手中にしており、元親としては早急に四国を統一、秀吉との決戦に備える必要がありました。
まだ大半が自分の勢力下になかった伊予をいち早く統一すべく、弱小豪族に対しても使者に筆頭家老を立て、自らへりくだって加勢を求めたのではないでしょうか。

なかなか当時の元親の置かれた緊迫した情勢が伝わってくる、興味深い資料です。
それにしても、この「弱小豪族」って誰でしょう?
南予の豪族なので、西園寺公広に従っていたと思うのですが・・・

また長宗我部ファンとしては使者になった「筆頭家老」も気になります。
長宗我部家の筆頭家老と言えば「三家老」が有名で、この時期は中内源兵衛尉、桑名親光、久武親直の3名と思われます。
久武親直は兄・親信討死後に南予の郡代に任命され南予攻略の総大将でしたが、総大将がワザワザ味方するかどうか分からん相手の使者になるとは考えにくいですし。

桑名親光は詳細は不明ですが、前年の天正12(1584)年に十河存保の援軍に来た秀吉配下の仙石秀久を讃岐引田で撃破しているので、讃岐に居たような気がします。

中内源兵衛尉もまた天正十(1582)年、阿波中富川の合戦に出陣しており、讃岐財田城の城番ですので可能性は低いと思います。

・・・ほな、結局だれやねん
答えは「高知県立歴史民俗資料館」に行かないと分からないようです。
実際見たら、全然違う武将かも知れません
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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