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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

天地人 第27回「与六と与七」

遅くなりましたが、1週間遅れでの記事です
今回は天正15(1587)年10月の新発田重家討伐から、天正16(1588)年の聚楽第での再度の秀吉との謁見までの話でした。





以前に1度セリフの中に出てきただけの新発田重家の乱が、あっさり冒頭のナレーションだけで終わってしまいました
そもそもこの乱は景勝が御館の乱の恩賞を上田衆にばかり熱く与えた為に起こった反乱でした。
しかも天正11(1583)年9月の「放生橋の戦」で景勝は大敗、翌天正12(1584)年に兼続も大敗しています。
この乱は景勝の上田衆偏重を顕著に表した事件だけに、史実通り描くと景勝陣営は常に正義という路線が完全に崩壊するため理由も経過も黙殺されたのでしょう
それにしても今年の大河は架空の話にダラダラ時間を割くくせに、史実の重要な事件は無理やり捻じ曲げられたり黙殺隠ぺいされたりと、陳腐なしあがりになっています・・・

兼続の父・樋口宗右衛門(兼豊)が新妻とのあいだに新たな子を儲けていました。
いよいよ3男の秀兼が登場して樋口家も安泰、史実とは違うけども帳尻を合わせたかと思ったら・・・・娘でしたなんでやねん
兼続が主役のドラマで弟、しかも樋口家(後継者)、大国家(秀兼の子・光頼が実頼の養子となり家督継承)にとっても重要人物にも関わらず出てこないのはおかしい
まるで「信長の野望」並みに有名武将の子息が出てきません

小国重頼(真将)とその家族(妻、娘:実頼の妻)が出て来ましたが、実頼が単なる婿養子のようになっていました
しかし、重頼には秀安という実子がおり(実頼が大国を称した後、小国家を継ぐ)実頼は小国家中の内紛が原因で景勝の命により小国家に入っています。ドラマのように兼続の計らいで入婿した訳でもなければ、ぞんざいに扱える存在でもありません。

今回でもっとも見どころ?は、その小国実頼が兄・兼続より先に景勝に無断で従五位下任官と大国への改姓を受け入れた場面でした。どこぞで聞いたことある話・・・源頼朝と義経の話を元にしたような陳腐な話でした
まったく事実ではありません
前回も書きましたが、兼続は最初の上洛時に景勝の従四位下 左近衛権少将任官と同時に本来なら(ドラマでは隠ぺいされていましたが)従五位下に任じられています
なるほど、前回は秀吉引き抜きに決死の兼続の場面を創るために隠された兼続の任官を、今回はこう言う形で捏造してきたか!です
もちろん茶々の進言で改名したという話も聞いたことありません。

実頼が上洛後、上杉屋敷造営を口実に兼続から離れるために京に滞在していましたが、これまた史実ではありません
聚楽第落成を祝すため上洛はします(今回のドラマと同様)しますが帰国し、その後、度々使者として上洛しています。

今回は大半が創作の話でした。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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