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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

天地人 第33回「五人の兼続」

今回は文禄4(1595)年春の豊臣秀次失脚から、文禄年間末の所謂「五大老」「五奉行」発足までの話でした。





前回危惧したように石田三成のニヤリっとした悪人顔はまったく生かされぬままでした無意味な演出するな!!です。
まぁ、史実通り三成が秀吉の命で秀次事件の処理をし、秀吉に向けられる批難を受け止めたという描かれ方でした。
妥当な線だと思います。
ただ伊達政宗だけに秀次事件連座の詰問を行くのはどうでしょう?ナレーションでも良いので事件の大きさや、政権に落とした影響を描けば危機感が増し、視聴者も三成の苦悩が分かったと思うのですが?

家康と北政所の密談?が描かれていました。
結局、関ヶ原は従来通りの古臭い解釈・・・家康+北政所対三成+淀の構図になるのでしょうか?

秀次を始末した秀吉が「秀頼を関白に」と言っていましたが、そんな事ありえるのでしょうか?
無位無官の秀頼は官位の昇進の問題があると思うのですが?

「五大老」(五人御奉行)と「五奉行」(五人御年寄)が制定されていましたが、兼続が発案したことになっていました
この合議制は秀吉が秀頼の補佐として発案したはずでしたが?
それに人数が・・・①徳川家康、②前田利家、③毛利輝元、④宇喜多秀家、⑤小早川隆景、⑥上杉景勝・・・・・6人やないかい
景勝は小早川隆景が慶長2(1597)年 に死去した後に就任したはずですが?
兼続が発案してもいない制度に無理やり兼続を参加させる為に、無理やり景勝を初回から加入させる、と言うおかしな脚本を書くから史実を捻じ曲げないとダメになるわけです。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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