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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

天地人 第36回「史上最大の密約」

今回は慶長4(1599)年閏3月3日の前田利家病没から同慶長3(1598)年3月10日の石田三成襲撃、三成蟄居までの話でした。





武断派7将(加藤清正、福島正則、黒田長政、細川忠興、浅野幸長、池田輝政、加藤嘉明)による三成の襲撃事件が起きましたが、イマイチ説明不足で何で襲撃したのかが分かりにくいものでした。
豊臣政権末期の武断派と文治派の対立と朝鮮出兵による対立の顕在化(実際はもっと複雑ですが・・・)のようなものをサラッとナレーション、または福島のセリフに数回前の回から入れておけばもっと分かりやすかったと思います。
そもそも朝鮮出兵の文禄の役は出て来ましたが、慶長の役はほとんど出てきませんでした。

7将に襲撃された三成が、俗説通り家康の屋敷に退避していました。
この話は明治時代以降に創作されたもので、実際は伏見の石田屋敷において7将と睨みあいになり、家康が調停に乗り出しました。

その後、蟄居を命ぜられて佐和山城で腐っていた三成に直江兼続が家康挟撃策を持ちかけ、三成も賛同していました。
石田・上杉による家康挟撃策の密約は無かったとする説もありますが、どうなんでしょう?
ドラマとしても史実としても挟撃策のような遠大な策略はあった方が面白いと思います。

ただ、あれだけ豊臣政権を護るために奔走していた三成があっさり蟄居して、そのまま腐っているのは頂けません。
佐和山で計を巡らしつつ、帰国する兼続に打ち明け、兼続も実はそれを考えていた、とする方が良かったのではないでしょうか?
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プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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