当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

第二徳島海軍航空基地 (市場牧場)

徳島県阿波市市場町には海軍の秘匿航空基地である市場牧場(まきば)こと、第二徳島海軍航空基地がありました。
第二徳島海軍航空基地 こ 壕口(徳島・市場)
▲第二徳島海軍航空基地跡に遺る地下壕跡

【探索日時】
平成22年9月15日、平成25年3月27

【更新情報】
平成27年7月23日:大幅改訂(遺構追加、地図訂正、加筆訂正)






第二徳島海軍航空基地の場所と名称
第二徳島海軍航空基地は徳島海軍航空基地から西に30km、決號作戰(本土決戦)に向け紀伊水道からの侵攻が予測される敵艦の艦砲射撃射程外に徳島海軍航空隊の人員・機材を疎開するべく徳島縣阿波郡市場町(現、阿波市市場町)に設営されました。

現在は一般的に市場飛行場と呼ばれていますが、正式名称は第二徳島海軍航空基地で、海軍の秘匿名称は市場牧場(まきば)、当時は市場農場や最寄駅から(がく)飛行場とも呼ばれていた様です。
第二徳島海軍航空基地『飛行場水上機基地平面図(鳴尾・姫路・大和・徳島・小松島・串本各基地)』より(徳島・市場)
▲『飛行場水上機基地平面図(鳴尾・姫路・大和・徳島・小松島・串本各基地)』より

第二徳島海軍航空基地『兵器軍需品引渡目録 第二徳島航空基地』(徳島・市場)
▲『兵器軍需品引渡目録 第二徳島航空基地』より

第二徳島海軍航空基地(徳島・市場)
▲現在の地図に施設と転写

第二徳島海軍航空基地 要目
・用地:2,560,000㎡
・滑走路:1,200×100m芝張り1本(2,000mまで拡張予定)
・誘導路:1,000m
・隧道16本(総延長418m)
・整備場4ヶ所


遺構について※青字は地図にリンクしています
第二徳島海軍航空基地
昭和19年下旬、大阪警備府は決號作戰(本土決戦)に向け、沿岸部にあり早期に敵の攻撃に晒される危険性がある徳島海軍航空基地の機能を移転、疎開すべく阿讃山地の扇状地である徳島県阿波郡市場町に秘匿航空基地用地選定し、測量を開始します。
昭和20(1945)年3月下旬から4月、5月から6月、2回に分け地権者に航空基地設営の意義を説明、家屋、土地の買収承諾書を受領、一部の住居は兵舎、弾薬庫、糧食庫、烹炊所、通信所などに転用します。
4月上旬、大阪海軍施設部第六〇一部隊の指揮のもと、地元土木業者、徳島海軍航空隊から選抜の練習生、在郷軍人会、青年団、勤労報国隊、学校報国隊、近隣住民など約1,000名により滑走路の設営が開始されます。
5月下旬、1,200×100mの芝張り滑走路が完成、27日、徳島空より白菊が移駐し錬成を開始します。

6月18日、第五八四海軍設營隊が進出し、付帯施設(隧道、退避壕、誘導路)の設営、滑走路延伸を開始します。
7月1日、第五八一〇海軍設營隊が進出し、設営を急ぐなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

10月、米軍により接収され航空機、兵器、軍需物資等が焼却、弾薬類が爆破、海中投機されたのち、航空基地用地は大蔵省四國財務局に移管、元地権者の要請を受け、元地権者に払い下げられ現在に至ります。

① 滑走路
② 滑走路延長工事中
③ 滑走路延伸予定

昭和20(1945)年5月下旬、1,300×100mの芝張り滑走路が完成、引き続き延伸工事中に停戦を迎えます。
最終的には2,000mまで伸ばす予定でした。
現在は元の農地に戻され、区画どころか痕跡すらありません。
僅かに滑走路東端・西端を示す石碑が建てられています。
第二徳島海軍航空基地 滑走路中央から東を見る(徳島・市場)
▲滑走路中央付近から東側
 一面畑に戻り、痕跡はありません。

ア 市場飛行場滑走路跡東端の地(以西千三百メートル) 碑
第二徳島海軍航空基地 ア 滑走路東端の碑から滑走路内側を見る(徳島・市場)

イ 市場飛行場滑走路跡西端の地(以東千三百メートル) 碑
第二徳島海軍航空基地 イ 滑走路西端の地碑から東側を見る(徳島・市場)

ウ 市場飛行場跡記念碑
第二徳島海軍航空基地 ウ 市場飛行場記念碑(老人センター内=滑走路中央付近)(徳島・市場)


④ 飛行機駐機場・整備場
滑走路両端にほぼ完成し木造格納庫2棟(場所不明)があった様ですが、現在は元の農地に戻され、区画どころか痕跡すらありません。


⑤ 飛行機運搬路(誘導路)・飛行機掩蔽地
停戦時は設営中だった様です。
誘導路跡の一部が道路(農道が誘導路に転用か?)として遺されています。


⑥ 隧道地区
航空基地北端付近の金清向(かねきよむかい)地区の斜面に幅2.5×高さ3mの隧道16本(総延長418m)が設営され、第一弾庫、第二弾庫、隧道送信所、兵器壕等に使用されていた様です。
道路整備、徳島自動車道建設に伴う擁壁工事で全て破壊されてしまい、僅かな痕跡が遺る程度です。
第二徳島海軍航空基地 地下壕地区(徳島・市場)
▲隧道地区 遺構配置図

あ・い 第二弾庫
道路から徳島自動車道北側の谷を少し入った斜面にあります。
位置からして『兵器軍需品引渡目録 第二徳島航空基地』に記載の第二弾庫と思われます。
第二徳島海軍航空基地 あ 壕口(徳島・市場)
▲殆ど崩落した“あ”壕口

第二徳島海軍航空基地 い 崩落跡(徳島・市場)
▲完全に崩落して溝状になっている“い”壕
“あ・い”の壕の前には地下壕掘削の痕跡としてズリ山があります。


“う~さ”の壕があった斜面(左)
第二徳島海軍航空基地 全体を北から(徳島・市場)
『兵器軍需品引渡目録 第二徳島航空基地』によるとコの字型の壕2個、ヨの字型の壕3個が並んでいた様で、現地踏査の結果、上掲の配置図の様にう・え・おで1個、か・き・くで1個、け・こ・さで1個だった可能性が高いです。
残念ながら地下壕は道路改修に伴い全て破壊されてしまいました。
特に最も北にあったコの字型2個は徳島自動車道建設に伴い、完全に破壊されてしまったと思われます。

現在、徳島自動車道の高架下辺りからこの擁壁の上に登る事ができ、この擁壁の上を歩いて行くと斜面に点々と地下壕の痕跡が遺ります。

う・え・お 壕口
第二徳島海軍航空基地 う 崩落跡(徳島・市場)
▲完全に崩落して溝状になっている“う”壕
 写真では何だか分かりません・・・

第二徳島海軍航空基地 え 崩落跡(徳島・市場)
▲完全に崩落し、岩盤が露出している“え”壕

第二徳島海軍航空基地 お 崩落跡(徳島・市場)
▲半円形に崩落している“お”壕


か・き・く 壕口
第二徳島海軍航空基地 か 崩落跡(徳島・市場)
▲半円形に崩落している“か”壕

第二徳島海軍航空基地 き 壕口(徳島・市場)
▲地下壕の痕跡が僅かに遺る“き”壕

第二徳島海軍航空基地 く 崩落跡(徳島・市場)
▲半円形に崩落している“く”壕


け・こ・さ 壕口
第二徳島海軍航空基地 け 崩落跡(徳島・市場)
▲完全に崩落し、岩盤が露出している“け”壕

第二徳島海軍航空基地 こ 壕口(徳島・市場)
▲地下壕の痕跡が僅かに遺る“こ”壕

第二徳島海軍航空基地 さ 崩落跡(徳島・市場)
▲完全に崩落し、岩盤が露出している“さ”壕


“う~さ”の壕があった斜面の南側にある谷間の奥に地下壕跡と思しき大きな溝が遺ります。
一見、谷底にある小川に見えますが、奥に人為的に削られた方形掘り込みや通路の様な削平地があります。
“た”の掘り込み(地下壕?)側面から”ち”の掘り込み(地下壕?)に上がる構造になっています。
さらに北側には“つ”の掘り込みがあり、彫り込みの上部に円形の窪地があります。
第二徳島海軍航空基地 地下壕地区(徳島・市場)

第二徳島海軍航空基地 た 全体(徳島・市場)
▲“た”の掘り込み(地下壕?)

第二徳島海軍航空基地 た入口北側の方形窪地(徳島・市場)
▲“た”の掘り込みにある方形の掘り込み

第二徳島海軍航空基地 ち 全体(徳島・市場)
▲“た”の掘り込みの上段に直角に位置する“ち”掘り込み

第二徳島海軍航空基地 ち入口北側の方形窪地(徳島・市場)
▲“ち”の掘り込みにある方形の掘り込み

第二徳島海軍航空基地 ち から つに上がる通路 上から(徳島・市場)
▲“ち”から“つ”に上がる通路

第二徳島海軍航空基地 つ 全体(徳島・市場)
▲“た”の掘り込みの北側にある“つ”の掘り込み


第二徳島海軍航空基地 略歴
昭和19(1944)年7月7日、我が国は絶対国防圏の要所であるサイパン島を失陥、10月20日、フィリピンのレイテ島に米軍が上陸してきます。
逼迫する戦局に海軍は来るべき本土周辺の戦闘に備えるべく、沿岸部にある徳島海軍航空基地は紀伊水道からの侵攻が予測される敵の目標になり易く、かつ空襲、艦砲射撃により早期に無力化される可能性が高い事から、敵機、敵艦の射程外に基地機能を疎開移転し戦力維持のため秘匿航空基地設営を決定します。

同年下旬、徳島海軍航空基地を所轄する大阪警備府は地形を熟慮の結果、紀伊水道から30Km離れ敵艦の射程外にあり、阿讃山地の扇状地で秘匿に適している徳島縣阿波郡市場町の農耕地を選定し、測量を開始します。

昭和20(1945)年3月末から4月、5月から6月、大阪海軍経理部は航空基地用地に該当する地権者を町役場を通じて警察署に招集、時局の推移から当地への航空基地設営の必要性を説明、地権者も国のためと家屋、土地の立退き承諾書に押印します。

急遽の航空基地設営決定に1週間程の立退き期限と言う事もあり、対象住民は立退き保証料を受け取ると縁故を頼って早々に退去を開始します。

4月上旬、大阪海軍施設部第六〇一部隊が徳島縣板野郡松茂村(現、徳島県板野郡松茂町)の徳島海軍航空基地に進出、大阪海軍施設部徳島地方事務所を開設、地元土木業者、徳島海軍航空隊から選抜の練習生、在郷軍人会、青年団、勤労報国隊、学校報国隊、近隣住民など約1,000名を指揮し、滑走路の設営を開始します。
滑走路、誘導路予定地上の住宅33戸は取り壊し、航空基地用地内の87戸は航空隊本部、兵舎、指揮所、弾薬庫、糧食庫、烹炊所、通信所などに転用します。
また、航空基地内の残存農地については地権者に「入門札」を発効、耕作を許可しました。

5月下旬、1,200×100mの芝張り滑走路がほぼ完成、27日、徳島海軍航空基地から白菊が移駐し錬成を開始します。

滑走路上には擬似農道を造り、迷彩として炭の粉を散布、指揮所周辺には輿状の移動式家屋を配置し偽装しました。

6月1日、大阪海軍施設部において第五八四海軍設營隊が編成(三木久壽技術大尉)、大阪警備府(岡新中将)麾下に編入され、2日、第二徳島海軍航空基地への進出が下令、18日、市場町に進出、航空基地付帯施設である隧道、退避壕、誘導路の設営、滑走路の延伸を開始します。

7月1日、大阪海軍施設部において第五八一〇海軍設營隊が編成(森義弘技術大尉)、大阪警備府麾下に編入され、第二徳島海軍航空基地に進出、航空基地設営に加わります。

軍人・軍属は士気弛緩や機密保持の観点から近隣住民との交流は禁止されていましたが、住民からは農作物や料理などの慰問品の差し入れが行われたりと急迫する戦局の中でも黙認の交流があったようです。

8月15日、航空基地完成を急ぐなか、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時の第二徳島海軍航空基地の工事進捗率は約40%でした。


残存航空機
・白菊×7(内1機解体、1機小破)
・九七艦攻×2(ともに小破)
・彩雲×4


展開部隊
徳島海軍航空隊
徳島海軍航空基地の記事参照


大阪海軍施設部第六〇一部隊
昭和20(1945)年4月、大阪海軍施設部において編成され、徳島縣板野郡松茂村(現、徳島県板野郡松茂町)の徳島海軍航空基地に進出、大阪海軍施設部徳島地方事務所を開設、地元土木業者、徳島海軍航空隊から選抜の練習生、在郷軍人会、青年団、勤労報国隊、学校報国隊、近隣住民など約1,000名を指揮し、滑走路の設営を開始します。
6月2日、第五八四海軍設營隊が、7月、第五八一〇海軍設營隊の一部が第二徳島海軍航空基地に進出、分担して設営にあたります。
7月5日0730、F6F、F4U、P51など約100機が徳島海軍航空基地に来襲、大阪海軍施設部徳島地方事務所も被災、甚大な被害を受けた徳島海軍航空基地の復旧にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


第五八四海軍設營隊
昭和20(1945)年6月1日、大阪海軍施設部において編成(三木久壽技術大尉、4個中隊+醫務隊+主計隊、計705名、)され、大阪警備府麾下に編入されます。
2日、大阪警備府司令長官・岡新中将より第二徳島海軍航空基地進出を受命し、18日、市場町に進出を完了、航空基地設営作業、主に退避壕、隧道、誘導路設営を開始します。
7月、第五八一〇海軍設營隊が第二徳島海軍航空基地に進出し、作業を分担し設営にあたります。
第一中隊:資材運搬、電気・鍛冶作業
第二中隊:誘導路設営
第三中隊:誘導路・航空機整備場設営、各種木工事
第四中隊:隧道設営
8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎え、22日、復帰します。


第五八一〇海軍設營隊
昭和20(1945)年7月1日、大阪海軍施設部において編成(森義弘技術大尉、4個中隊+醫務隊+主計隊、計705名、)され、大阪警備府麾下に編入されます。
同月、第二徳島海軍航空基地、第二十二突撃隊(小勝島)に進出、設営を開始します。
8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎え、22日、復帰します。


主要参考文献
『白菊と彩雲の軌跡』(平成7年8月 大塚唯士 私家版)

『兵器軍需品引渡目録 第二徳島航空基地』 (アジア歴史資料センター)

『飛行場水上機基地平面図(鳴尾・姫路・大和・徳島・小松島・串本各基地)』 (アジア歴史資料センター)

『昭和20年6月1日~6月30日 第五八四設營隊戦時日誌』 (アジア歴史資料センター)

『昭和20年7月1日~7月31日 第五八四設營隊戦時日誌』 (アジア歴史資料センター)

・Yahoo!の地図
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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