当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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最強武将伝 三国演義 第29話「劉備の結婚(後編)」

今回は甘露寺において呉国太が劉備を引見するところから、劉備が孫夫人を伴い荊州に戻るところ(『演義』第54回途中~第55回最後)です。





甘露寺には暗殺者が待機している。
劉備は趙雲率いる兵士に護衛されながら甘露寺に到着した。
劉備に面会した呉国太は、娘に見合う人物だと劉備を評し、喬国老も賛同した。

すぐさま開かれた歓迎の宴では、劉備、喬国老、呉国太が和やかに談笑しているが、孫権はやけ酒をあおっている。
趙雲は甘露寺内の只ならぬ雰囲気を感じ警戒していたところ、暗殺者を発見した。
劉備に耳打ちすると、突然劉備は涙を流して自分を早く殺せと叫びだした。
暗殺者が甘露寺にいることを知った呉国太は激怒し、孫権を責め、劉備を護るため自邸に住まわせることにした。

呉国太の庇護のもと、劉備と孫権の妹・玉錦は結婚した。
ここに周瑜の計画は完全に狂ってしまったのだ。
しかし、周瑜は諦めなかった。
劉備を栄華に浸らせ、骨抜きにしてしまい、その間に荊州に進軍する計画を孫権に伝えた。
そこで孫権は、劉備に贅沢な生活を遅らせた。
果たして劉備は贅沢に溺れ、趙雲に会おうともしなくなった。
危機を感じた趙雲は諸葛亮から受け取った2つ目の錦の袋を取り出し、指示を仰いだのであった。

趙雲が客間で劉備を待ち受けていた。
緊迫した様子の趙雲は、曹操が50万の兵を連れて荊州に進軍していることを告げる。
劉備は焦り、荊州に戻る決意を固めた。

新妻に嘘の言い訳をして荊州に連れて帰ろうと考えていた劉備であったが、玉錦は全てを見通していた。
その上で玉錦は、呉国太や孫権を欺いてでも劉備について荊州に赴く決意をする。
こうして劉備は玉錦を連れ荊州ヘと出発した。

劉備が逃走したことを知った孫権は、諸将に追わせた。
また、周瑜も劉備が逃走することを見越して伏兵を置いていた。
追い詰められた劉備一行であったが、趙雲が最後の錦の袋を取り出し、諸葛亮の指示を見た。
それは、幼少から武芸に親しんでおり、更に孫権の妹、呉国太の娘である玉錦に、諸将が歯向かうはずはなく、彼女に諸将を追い返させるというものであった。
玉錦を目の前にした諸将はなすすべもなく、引き返す羽目になった。
しかし、孫権は玉錦諸共劉備を抹殺する追手を出しており、引き返してきた諸将も再び劉備たちを追った。

長江までやっと辿り着いた劉備は、船で迎えに来ていた諸葛亮を見つけ眉が開く。
後ろから砂煙を挙げ追ってくる呉の諸将たちを見つけるが、素早く船に乗り込み岸を離れて呉を脱出した。
諸葛亮は荊州の危機というのは劉備を荊州に戻すための嘘であったことを告げた。

しかし、周瑜が艦隊を率いて追ってきた。諸葛亮は船を岸に着け陸路で逃走させた。
その陸路には関羽率いる一隊を伏兵として配置しており、それと知った周瑜は泣く泣く追撃を諦めた。
激怒した周瑜は大声を発した後、胸を押さえその場に倒れ伏してしまった。
<登場人物>
劉備
諸葛亮
関羽
趙雲
黄忠
魏延
玉錦(孫夫人)


孫権
周瑜
程普
黄蓋
韓当
周泰
蒋欽
丁奉
徐盛
陳武
潘璋

呂範
賈華
呉国太
喬国老


今回も多少の省略はあるものの、おおよそ『演義』通りに話が進みました。
登場人物が多い回でしたが、セリフがないにもかかわらず省略や代替せずに全員が登場した珍しい回でした

>劉備は趙雲率いる兵士に護衛されながら甘露寺に到着した。
アニメでは劉備に付き従い呉に入ったのは趙雲だけでしたが、『演義』では孫乾も同道しています。

>趙雲は甘露寺内の只ならぬ雰囲気を感じ警戒していたところ、暗殺者を発見した。
>劉備に耳打ちすると、
アニメでは趙雲いきなり酒宴に入ってきて劉備に耳打ちしますが、『演義』では入ってきた趙雲を劉備が呉国太に紹介し、呉国太から酒を下されます。
アニメでの描き方では失礼過ぎます

>暗殺者が甘露寺にいることを知った呉国太は激怒し、孫権を責め、劉備を護るため自邸に住まわせることにした。
アニメではいきなり呉国太が劉備を自邸に住まわせる提案をします。
『演義』ではその前に有名な「試剣石」(「恨石」とも)の逸話があります。
劉備は池の中の巨石を見て「もし荆州に戻ることができ、王覇之業が成るならこの石が斬れよ」と念じ剣で斬りつけると石は真っ二つに切れます。
それを見た孫権が「この石に恨みでもあるのですか?」と問うと、劉備は「曹操を滅ぼし漢を復興できるなら、石よ斬れよと願ったのです」と答えます。
孫権は「嘘つけ」と思いながら剣を抜き「曹操を破れるならこの石斬れよ」と言い、心中では「荆州を奪還し東呉が繁栄するなら」と念じ剣で斬りつけると、さらに石が斬れた。
と言うものです。
現在も両名が互いに斬りつけ十字に割れた石が甘露寺に残っていますが、この説話は『演義』の創作です。
支那得意の歴史創作です。

続いて「駐馬玻」の逸話があります。
劉備が風のない河を平地を行くがごとく船を操る舟人を見て、「南船北馬とは正にその通り」と感心すると、孫権が「南の人間でも馬は乗れる」と一気に山を駆け下り戻って来ます。
劉備も負けじと一気に山を駆け下り戻って来、両名は笑いあった。というものです。
「駐馬玻」は兎も角、「試剣石」は有名な逸話だけに入れて欲しかったです。

その後、アニメで語られた呉国太が劉備を自邸に住まわせるように計らいますが、アニメのように呉国太からの提案ではありません。
劉備が客舎に帰宅後、孫乾に謀り、孫乾の進言でまずは喬国老に、喬国老から呉国太に話が行き、呉国太の自邸に住まうように配慮されます。

>呉国太の庇護のもと、劉備と孫権の妹・玉錦は結婚した。
孫夫人の名前が「玉錦」となっていました。
一昔前までは「孫夫人」、「弓腰姫」、「孫仁」が一般的、最近は京劇の「孫尚香」が良く使われているようですが、「玉錦」と言うのは聞いたことがありません
何か出典があるのでしょうか?

>劉備を栄華に浸らせ、骨抜きにしてしまい、その間に荊州に進軍する計画を孫権に伝えた。
西洋人の踊り子が出てきますが、当然創作です。
以前にも「孫堅が若い時に西洋で過ごした」と言う話がありましたが、何か意味があるのでしょうか?

>果たして劉備は贅沢に溺れ、趙雲に会おうともしなくなった。
『演義』も同様の記述です・・・
劉備・・・

劉備と孫夫人が焼肉をしたり雪だるまの話をしたりしますが、全てアニメの創作です。

>こうして劉備は玉錦を連れ荊州ヘと出発した。
出発する口実等、『演義』通りです。
ただ、単に「祖先をお祀りする」と言っていましたが、『演義』では正月の行事として劉備が呉国太に自分(劉家)の祖先の霊を祀りたいと申し出ています。

その後の経過はほぼ『演義』通りです。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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