当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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最強武将伝 三国演義 第30話「周愈の死」

今回は曹操陣営が銅雀台の落成を祝う場面ところから、諸葛亮が周瑜の弔問に訪れるところ(『演義』第56回~第57回途中)です。







曹操の陣営では、弓矢の腕を競う大会が開かれていた。
諸将たちは賞品である錦のひたたれを奪い合っている。
そこへ程が現れ、劉備と孫権が荊州を奪い合っていることを告げた。
曹操は皇帝の名を借りて周瑜を南郡太守に任じ、劉備と全面的に争わせることにした。

療養しながら、それを知った周瑜は、劉備との開戦を避けたいという孫権の意思を汲み、魯粛を派遣し荊州の返還交渉を試みた。
魯粛を迎えた諸葛亮は、西川を取ったら荊州を返還するという以前の約束を持ち出した。
しかし、西川を統治しているのは劉備の親戚、劉璋であり、兵を挙げて西川に攻め入るには忍びなく、だからと言って荊州を返さなければ劉備の義兄となった孫権に申し訳がなく、困り果てている状態であると告げた。

仕方なく引き上げてきた魯粛は、周瑜に諸葛亮の言葉を伝えた。
周瑜は体裁のいいことを言う諸葛亮の魂胆を見抜いていた。
そこで劉備が攻めるに忍びないと言う西川を呉が落とし、玉錦の嫁入り道具として劉備に与える代わりに、荊州を呉に返還させることを魯粛から劉備に伝えさせた。

それを聞いた諸葛亮も周瑜の謀略を見抜いていた。
西川を攻めるという名目で荊州を通過すると言いつつ、そのまま荊州を占領するつもりであると直感した。
しかし、妙計を思いつき、魯粛に快諾の返事をした。

諸葛亮の返事を聞いた周瑜は大軍を率いて荊州に到着する。
劉備は使者を遣わし、荊州東門外で慰労の宴を催す旨を伝えさせた。
周瑜は東門まで着くが、城門は閉じたままである。
すると、趙雲が城楼に現れ、周瑜の謀略は全て筒抜けであり、荊州に入れる気はないと叫ぶ。
更に周瑜方の斥候が、四方から関羽・張飛・黄忠・魏延の軍が攻め寄せてきていることを告げた。
周瑜は激怒し大声を発するが、またも倒れ伏してしまった。

周瑜は船室で諸将に見守られ横になっている。
そこへ諸葛亮から手紙が届いた。
周瑜が遠く西川に攻め入るのは困難であり、その間に曹操が江南に攻めかけてくる危険を言って寄越したのだ。
周瑜は落胆し、ため息を漏らした。
そして、諸葛亮と同時代に生まれたのを恨みながら、この世を去った。

周瑜の死を知った諸葛亮は、危険を顧みず自ら弔問に赴く決意をした。
呉軍では周瑜の遺言により魯粛が都督に就任している。
諸葛亮の弔問と聞いて諸将は暗殺をほのめかすが、魯粛が制止し、諸葛亮を迎え入れた。
諸葛亮は周瑜の棺を前に、涙を流しながら、良き好敵手の死を悲しみ、心からの弔辞を捧げた。
その光景を見ていた呉の諸将は感動に目を濡らし、剣の柄から手を離した。
魯粛も小喬も感服していた。
劉家と呉の友好を願う小喬に別れのあいさつをして、諸葛亮は静かに去って行った。
<登場人物>
劉備
諸葛亮
趙雲
糜竺

周瑜
魯粛
程普
甘寧
小喬
周循
周胤


曹操
程
徐晃
許褚
張郃
夏侯淵
曹休?
文聘?


>曹操の陣営では、弓矢の腕を競う大会が開かれていた。
>諸将たちは賞品である錦のひたたれを奪い合っている。
『演義』第56回「曹操、大いに銅雀台に宴し」の場面が描かれています。
ただアニメでは徐晃と許褚の直垂の取り合いだけしか描かれていませんでした。
『演義』では武将を曹氏一門組と、それ以外の外様組に分け弓の腕を競い合わせます。
まず一門から曹休、外様から文聘、一門から曹洪が、さらに外様から出た張郃は振り向きざまに的の中央を射抜きます。
負けじと一門から夏侯淵が振り向きざまに的の中央に刺さった4本の矢の中央を射抜き、そしてアニメでも描かれた徐晃が柳の枝を直に射切り、怒った許褚と殴り合いになります。
『演義』ではさらに王朗、鍾繇、王粲、陳琳ら文官が曹操を称える詩を創ります。

>曹操は皇帝の名を借りて周瑜を南郡太守に任じ、劉備と全面的に争わせることにした。
曹操が自ら提案した策のように描かれていましたが、『演義』では程の献策です。
また、アニメでは省略されていましたが、前回の最後に劉備と孫夫人を追った周瑜が関羽等の伏兵に大敗したのを受け、孫権は劉備を討伐しようとします。
しかし、曹操と劉備が結ぶのを警戒する張昭と顧雍の進言を入れ、取り敢えず劉備をつなぎ止める為、皇帝に劉備を荊州牧に推薦する使者・華歆を遣わします。
華歆が都に着いたのを受けて程が逆に周瑜を南郡、程普を江夏太守に任じて劉備・孫権を争わせようとします。

>療養しながら、それを知った周瑜は、劉備との開戦を避けたいという孫権の意思を汲み、魯粛を派遣し荊州の返還交渉を試みた。
アニメでは孫権の意志で魯粛が劉備の元へ遣わされていましたが、『演義』では周瑜が孫権に献策し魯粛派遣されます。

その後の魯粛と劉備・諸葛亮、周瑜と魯粛、再び魯粛と劉備・諸葛亮のやり取り、周瑜の「途を借りて虢を滅ぼすの計」が破られるのも『演義』通りです。

>すると、趙雲が城楼に現れ、周瑜の謀略は全て筒抜けであり、荊州に入れる気はないと叫ぶ。
アニメでは周瑜が攻めかかって大敗していましたが、『演義』では荊州城外での戦いは描かれず、馬首を返そうとして四方より劉備勢が進軍中との報告を受けて傷が裂け落馬します。

>周瑜は船室で諸将に見守られ横になっている。
アニメでは荊州で倒れ、そのまま昏睡状態になっていたような描写ですが、『演義』では船に一旦引き上げた後、孫瑜の援軍を得て、さらに巴丘に進軍します。

>そこへ諸葛亮から手紙が届いた。
巴丘上流に劉封と関平が布陣しているとの報告を受けた際に諸葛亮よりの書状が届き、周瑜は憤死します。
ちなみに琴の旋律の話は創作です。

>周瑜の死を知った諸葛亮は、危険を顧みず自ら弔問に赴く決意をした。
周瑜の死を琴の弦が切れることで表現していましたが、三国志での武将の死といえば「星」です。
ここはやはり原作に忠実に天文を見て死を知る描写が良かったのですが・・・

>諸葛亮は周瑜の棺を前に、涙を流しながら、良き好敵手の死を悲しみ、心からの弔辞を捧げた。
周瑜の死を聞いた諸葛亮の描写がアニメと『演義』では正反対でした。
アニメでは諸葛亮は「情の厚い良い人」と描かれていますが、『演義』ではまんまと周瑜を殺し、弔問の祭文でも呉の武将を手玉に取り「周瑜が狭量で死期を早めた」と思わせる事に成功する「冷徹な策士で嫌なヤツ」に描かれています。

>劉家と呉の友好を願う小喬に別れのあいさつをして、諸葛亮は静かに去って行った。
『演義』では小喬は未登場ですが良しとしましょう。
ただ、諸葛亮がアッサリ船に乗って帰るようですが、『演義』では乗船前にまんまと呉の武将をしてやった事を龐統に突っ込まれ、「イヤな諸葛亮」が暴露されます。
アニメでは龐統とのやり取りは省略され、「良い諸葛亮」のままコノ話は終わりました。

このアニメは『演義』よりも分かりやすい徹底した悪の曹操と清く正しくの劉備・諸葛亮という人物像が徹底されているようです。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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