当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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最強武将伝 三国演義 第31話「馬超起つ」

今回は曹操による馬騰誅殺(ナレのみ)から、馬超の蜂起、韓遂との離間(『演義』第57回途中~第59回途中)です。






曹操は周瑜の病死を知ると、再び呉陣営へ攻め込もうとした。
そこで、西涼の馬騰が虚をついて攻めてくるのを防ぐため、許昌へ招いて殺害した。

馬騰の息子・馬超と、馬騰と義兄弟の韓遂は報復を誓い、西涼の全軍を率いて潼関の関所に攻め寄せてきた。

曹操は自ら軍隊を率いて潼関に向った。
しかし、馬超は曹操が到着する前に潼関を落していた。

関所前に両軍が対峙した。
馬超の突撃と共に開戦する。
馬超は名乗りを挙げて曹操を執拗に追い回す。
曹操は逃げ回るが援軍により一命を取り留めた。

馬超は次こそ曹操を逃さんと、援軍を西涼から呼びつけた。
それを悟った曹操は手薄となった西涼を奇襲するため、2万の兵を曹洪に与え出陣させた。
曹操が馬超軍を分断するため、自陣を移そうと渭水を渡っていると、またも馬超が攻めかけてくる。
許楮が曹操を助け、その場を何とか切り抜けた。

何もない場所に土の砦を作り上げ守りを固めた曹操は、馬超軍を偵察に行ったが、またも馬超に狙われ退却する。自軍の諸将では馬超に敵わないと漏らす曹操の言葉に許楮は白目をむいていきりたち、馬超との一騎打ちを願い出た。
明くる日、許楮は馬超と一騎打ちを行った。
双方とも実力伯仲であり、日が傾きかけても勝負がつかない。
とうとう馬が疲れてしまい、2人は馬を取り替えて戦い合う。
韓遂は頃合いを見計って、突然曹操軍に奇襲をしかけた。
曹操軍はまたも退却を余儀なくされてしまった。

馬超にやられ放題の曹操であったが、曹洪の西涼進軍の成功を耳にすると、馬超と韓遂を仲違いさせる作戦に踏み切った。
両軍が対峙する中、曹操は大声で韓遂を呼び出した。
韓遂がただ一騎で前に出ると、周りには聞こえない声で他愛もない話をし始める。
それを見ていた馬超は韓遂の謀反を疑い始めてしまっていた。
そして曹操は仕上げの行動に出た。
曹操は韓遂に所々黒く塗り潰した書状を送りつけたのだ。
韓遂はわけがわからなかったが、馬超が曹操から書状が届いたことを聞きつけ、それを検めにきたところ、所々黒く塗り潰してあるのを見て、謀反の情報を韓遂が塗り潰したのではと韓遂を疑い、その場を去って行った。

韓遂のテント内では、武将の侯選が馬超の暗殺を勧めている。
疑われた今は馬超を曹操に引き渡すしか生きる道はないと説いているのだ。そこへ一振りの剣がテント入り口の垂れ布をまくり上げた。
<登場人物>
曹操
賈詡
曹洪
徐晃
婁圭

馬超
韓遂
侯選
李堪
梁興
馬玩
楊秋


今回は曹操と馬超による渭水の戦いが主な内容ですが、所々『演義』と違う箇所がありました。

>そこで、西涼の馬騰が虚をついて攻めてくるのを防ぐため、許昌へ招いて殺害した。
アニメではナレでいきなり馬騰誅殺が簡単に語られます。
『演義』では馬騰、馬休、馬鉄の親子3人が朝臣・黄奎とともに曹操暗殺を謀りますが、黄奎の妾と姦通していた苗沢に密告され逆に誅殺されます。
後陣にいた馬岱が辛うじて脱出し、馬超に報告します。

『演義』ではこの話の前に龐統の仕官の件と、馬騰を暗殺して後顧の憂いを絶ったと思った曹操が呉討伐を決意し、孫権は劉備に援軍を求め曹操と戦わせようとするも、諸葛亮が馬超に蜂起させるように差し向ける件がありますが、丸々省略されていました。

>馬騰の息子・馬超と、馬騰と義兄弟の韓遂は報復を誓い、西涼の全軍を率いて潼関の関所に攻め寄せてきた。
アニメでは韓遂を馬騰の「義兄」としていましたが、『演義』、『正史』ともに義兄弟となっていおり長幼の記述はありません。
『正史』では西暦215年に韓遂が70余歳で暗殺されたとあるので、あながち間違っていないかも知れません。
ただ、『演義』では韓遂がこの後の曹操との会話で「40歳」と言っており、馬超が当時(211年)36歳ですから『演義』の年齢設定は少し無理があります。

馬超に馬騰らの暗殺を伝え、後に蜀将として大活躍する馬岱、馬超の側近で数々の献策をし、後に曹操に仕える龐悳は省略されていました。

この「馬超蜂起」ですが、三国志好きにはお馴染みの『演義』と『正史』では展開が全く違う場面です。
『演義』では馬騰=漢王朝の忠臣で悲運の武将。
韓遂=馬超の良き理解者。仕方なく曹操に降る。
馬超=父、兄弟の復讐に燃える若武者。
八手の将(侯選・程銀・李堪・張横・梁興・成宜・馬玩・楊秋)=韓遂の配下。
馬超の蜂起に関しても「馬超が曹操に暗殺された父、弟の仇を討つために韓遂とともに蜂起」と描かれていますが、

『正史』では馬騰=何度も漢王朝に背き、韓遂とも涼州の覇権をかけて戦い韓遂に妻子を殺される。
韓遂=馬騰に並ぶ群雄。常に誰かを前に立て自分は後で糸をひく小沢型。馬騰に輪をかけて漢王朝に背き続け、最後は部下に暗殺される。
馬超=馬騰が朝廷に出仕している最中に韓遂と結んで反乱を起こす、馬騰、馬休、馬鉄は責任を取らされて斬首。
八手の将=馬騰、韓遂と並ぶ西涼の群雄。
馬超の蜂起に関しては「馬騰、馬休、馬鉄が朝廷に出仕している最中に軍権を持った馬超が韓遂と計って反乱を起こし敗退、馬騰、馬休、馬鉄は責任を取らされて斬首」と描かれ、演義と正史では正反対の展開です。

>曹操は自ら軍隊を率いて潼関に向った。
アニメでは鍾繇、鍾進兄弟の護る長安を陥落させる場面は全く触れられず、いきなり潼関の戦いになります。

>しかし、馬超は曹操が到着する前に潼関を落していた。
『演義』では長安陥落を受けた曹操が先陣として曹洪、徐晃を遣わしますが、アニメでは触れられず、いきなり曹洪の敗戦、潼関陥落となります。
潼関での曹洪の失態は語られますが、経過はナレで済まされ徐晃は登場すらしません。
尺が短いのである程度の省略は仕方ないとは思いますが、長安・潼関ともに馬超軍の唯一とも言える計略が成功する場面なのでもう少し描くかナレで説明するかして欲しかったです。
ただ、有名都市の長安の失陥を完全無視は頂けません。

>関所前に両軍が対峙した。
アニメでは馬超軍の匈奴の部隊(ローマ軍の末裔が射犬城に住み匈奴軍に編入された)の解説がありました。
アニメの創作ですが、以前にも「甘寧の祖がローマを目指した」や「孫策は若い頃西涼で西洋人と交わった」等の西洋との繋がりを強調する創作がありましたが意味不明です。
しかも、匈奴は『演義』、『正史』ともに馬超の蜂起には無関係で、協力したのは「羌」です。
ちなみに馬超の母親は羌族です。

>馬超の突撃と共に開戦する。
アニメでは2人の将が馬超に挑み討取られ、曹操が敗走する際に張郃が馬超に挑んでいました。
『演義』では于禁が挑み敗走、張郃も敵わず、李通が出て討取られ、馬超軍の総攻撃を受けます。

>馬超は次こそ曹操を逃さんと、援軍を西涼から呼びつけた。
アニメでは羌族2万、西涼から5万となっていましたが、『演義』では羌族の2万のみです。
この辺りから『演義』と違う展開になっていきます。

>それを悟った曹操は手薄となった西涼を奇襲するため、2万の兵を曹洪に与え出陣させた。
ん???
こんな話、聞いたことねぇ・・・

直後に徐晃が別働隊で馬超軍の退路を断つ献策をしますが、曹洪の西涼攻めは全くの創作です。
『演義』では別働隊は徐晃と朱霊が努め、曹操の本体を待ちます。

>許楮が曹操を助け、その場を何とか切り抜けた。
『演義』ではこの時、渭南の県令・丁斐が馬を放ち、馬超軍は馬に気を取られ、曹操は逃げ延びます。

その後、馬超軍の2度の夜襲は省略、火計を受けた事は于禁のセリフで済まされてしまいました。

>何もない場所に土の砦を作り上げ守りを固めた曹操
突然現れた老人の献策で氷の城を築きます。
アニメでは一切名乗りませんでしたが、『演義』では婁子伯、夢梅居士と名乗り、贈り物の進呈を断り去っていきます。
『正史』によると実名は婁圭で、曹操の幕僚として以前から使えています。その後不遜な発言をして曹操に斬られますが・・・

>馬超軍を偵察に行ったが、またも馬超に狙われ退却する。
あれ?
アニメ本編では退却したのは『演義』通り馬超です。
氷の城を見た馬超はアニメでは無関心でしたが、『演義』では仰天しています。
この場面は攻守が逆転し、曹操の策が馬超を追い詰める契機となるだけに、しっかり描いてほしいところです。

>自軍の諸将では馬超に敵わないと漏らす曹操の言葉に許楮は白目をむいていきりたち、馬超との一騎打ちを願い出た。
アニメでは馬超、曹操ともに曹操配下の将が馬超に敵わない認識をしていますが、『演義』では馬超、曹操ともに許褚には一目置いています。

>韓遂は頃合いを見計って、突然曹操軍に奇襲をしかけた。
『演義』では馬岱と龐悳が攻撃を指示します。

>馬超にやられ放題の曹操であったが、曹洪の西涼進軍の成功を耳にすると、馬超と韓遂を仲違いさせる作戦に踏み切った。
曹洪の西涼進軍の成功は創作ですが、『演義』では「馬超に驕りが見え始めたため」となっています。
また、この直後に夏侯淵が出撃し馬超に敗れます。

>両軍が対峙する中、曹操は大声で韓遂を呼び出した。
アニメでは「両軍が対峙する中」になっていましたが、『演義』では曹操軍の本隊と別働隊(徐晃、朱霊)のそれぞれに、馬超と韓遂が一日置きに交代で備える中の出来事です。

>韓遂がただ一騎で前に出ると、周りには聞こえない声で他愛もない話をし始める。
アニメでは「曹操と韓遂が同じ年に仕官した」と言っていましたが、『演義』では「曹操と韓遂の父が同じ年に」となっています。

>韓遂のテント内では、武将の侯選が馬超の暗殺を勧めている。
八手の将はこの時点で侯選・李堪・梁興・馬玩・楊秋の5名が存命していますが、アニメでも5名が描かれていました。
妙なところが『演義』に忠実に描かれています。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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