当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

天地人 第39回「三成の遺言」

今回は慶長5(1600)年9月21日の石田三成補縛から同慶長6(1601)年7月の上杉景勝、直江兼続上洛(ドラマでは兼続のみ先行して上洛)の話でした。





今回は三成が補縛されてから、福島正則、小早川秀秋、そして徳川家康との対面、斬首がおもな内容でしたが、大半の会話が創作でした。
補縛された三成が福島に対して「豊臣家の行く末を頼む」と言ったり、福島が兼続に「自分は間違っていたのかもしれん」と後悔した話は聞いたことがありません。
ドラマでは不忠義者のバカに描かれた(あながち間違っていませんが・・・)福島に、最後に花を持たせたのでしょうか?
史料的には価値がありませんが『常山紀談』によると、三成と福島のやり取りは
“大津城外に曝された三成に対し福島が馬上から「無益な戦を起こして、何だそのザマは」と罵ったのに対し三成が「お前を生け捕れなかったのは天運に見放されたものだ」と言うと福島は返す言葉がなく通り過ぎた”というものだけです。

また小早川に対して三成が「逃がしてくれ」と頼んだり、小早川が贖罪意識のようなものを持っていたりしていましたが、これまた聞いたことがありません。
小早川に関しては、ドラマでは福島と違いだいぶ擁護して描かれていましたが、実際は戦さ下手では無かったものの、人物的には優柔不断で無能な人物と言えます。
戦国武将好きでも、養父の隆景は人気絶大でも養子の秀秋が好きという人は皆無でしょう。
関ヶ原後の三成との対面は『小須賀覚書』によると、
“大津城において秀秋が「憎い三成を見てやろう」と細川忠興の静止を振り切って見に行き三成に「日本一の卑怯者!内股膏薬とはお前のことだ!!」と罵倒されて逃げ帰った”との記述があるだけです。

関ヶ原の後の家康による戦功行賞ですが、ドラマでは「豊臣家も減俸」となっていましたが、これは大きな間違いです。
前回も書きましたが、豊臣家は実際には関ヶ原に「参戦していません」。
立場的には家臣同士の戦いを傍観していました。よって、処罰である減俸などされる理由もなく、まして家臣である家康による主君の減俸などはありえません。
関ヶ原の後に豊臣家が「実質減俸」されたのは、家臣筆頭である家康が豊臣家の「大名預けの蔵入り地」を勝手に功のあった武将に配分してしまったからです。

また、減俸された毛利輝元ですが、家康に敵対したにも関わらず取り潰しではなく減俸で澄んだ理由、吉川広家の暗躍と失態、吉川と安国寺恵瓊との確執、毛利秀元との関わりなど全く描かれていませんでした。
老獪な印象のある中尾彬さんを配役した意味が分かりません。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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