当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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最強武将伝 三国演義 第32話「張松の地図」

今回は曹操による離間の計にはまり馬超が韓遂を襲撃するところから、張松が劉備に西蜀図を献じるところ(『演義』第59回途中~第60回途中)です。





怒りを露わにした馬超が、韓遂のテント前に立っていた。
自分の暗殺を韓遂に勧めていた武将を次々と斬り倒していく。
韓遂をも彼は斬りつけた。
テント外へ逃げる武将を追いかけると、韓遂の部下が次々と馬超に攻めかけてきた。
そこへ弟の馬岱と龐悳が助けに入り、馬超軍対韓遂軍の争いが起こった。

すると突然許褚が目の前に現れる。
曹操軍が大軍を率いて攻めて来たのだ。
全てが曹操の罠だったとは気付く間もなく、馬超は撤退を余儀なくされ、隴西へ逃れた。

一方、韓遂は腕を切り落とされたものの一命を取り留めた。
そして曹操に投降し西涼侯に任じられた。
そして曹操は劉備や孫権が動き出すのを恐れ、許昌へと引き上げていき、馬超の乱は終結を迎えた。

劉備軍はというと、諸葛亮が四郡の巡視に出ている間、臥龍・諸葛亮と勝るとも劣らない鳳雛と称される龐統が訪れた。
彼が鳳雛であると気付かなかった劉備は、彼を県令に任じたのだった。
しかし龐統の類まれなる知性を知るや、副軍師として迎え入れた。
その龐統の勧めもあって、劉備は許昌を訪れている張松を見張ることにした。

張松は西川の劉璋の参謀であり、西川は張魯の侵略を受けており、曹操に助けを求めるため、張松は許昌を訪れたのであった。
しかし、許昌の諸将や曹操に会うと、その仁義、徳の無さに張松は幻滅する。
西川を援護してくれたなら、後々西川を曹操に譲渡しても良いとまで考えていただけに、彼の落胆は激しかった。

許昌から追い返された張松は、荊州の入り口で足を止める。
趙雲が馬に跨り向ってきたのだ。
そして張松の前で止まると、劉備の命令で迎えに来たことを告げる。
戸惑いながら趙雲に付いていくと、劉備を始め諸将の手厚い歓待が待っていた。
3日連続の歓待を受け、また諸将や劉備の人徳に触れ、張松はすっかり感激しきった。
自分の領地を持たないという劉備に対し、西川の益州を劉備のものにしてはどうかと勧めたが、劉備は固く辞す。

別れの日、劉備は諸将を率いて張松を見送った。
張松は懐から軸物を取り出し、それを劉備へと手渡した。
その軸物には西川の詳細な地図が描かれていた。
この光景を見て、諸葛亮は会心の笑みを浮かべた。
登場人物
劉備
諸葛亮
龐統
関羽
張飛
趙雲

曹操
荀
楊脩
許褚
徐晃

馬超
馬岱
龐悳

韓遂
侯選
李堪
梁興
馬玩
楊秋

張松


>自分の暗殺を韓遂に勧めていた武将を次々と斬り倒していく。
アニメでは馬超がいきなり3人の武将を切り倒しましたが、『演義』ではまず韓遂が左腕を斬られ、外に出た5人のうち馬玩、梁興が斬られます。
その後の乱戦で于禁の放った矢が誤って当たり李堪が戦死します。

>そこへ弟の馬岱と龐悳が助けに入り、馬超軍対韓遂軍の争いが起こった。
本来、曹操との戦いで大活躍の馬岱と龐悳が初登場します。
あらすじではアニメ中の馬岱のセリフ「兄者」から「馬岱を馬超の弟」と捉えていますが、『演義』では馬超の父・馬騰の兄(実名不明)の子で甥(正史では単に甥)です。

>曹操軍が大軍を率いて攻めて来たのだ。
アニメでは許褚と徐晃だけでしたが、『演義』ではさらに夏侯淵と曹洪が加わります。

>劉備軍はというと、諸葛亮が四郡の巡視に出ている間、臥龍・諸葛亮と勝るとも劣らない鳳雛と称される龐統が訪れた。
龐統の仕官話がここで出てきました。
概ね『演義』通りでしたが、龐統を視察に行ったのが張飛だけでした。
『演義』では「張飛に過ちがあっては」と言うことで孫乾が共に行きます。

>その龐統の勧めもあって、劉備は許昌を訪れている張松を見張ることにした。

『演義』では諸葛亮の指示です。

>張松は西川の劉璋の参謀であり、西川は張魯の侵略を受けており、曹操に助けを求めるため、張松は許昌を訪れたのであった。
張松の上洛時の曹操との顛末も多少セリフに省略はあるも凡そ『演義』通りでした。
登場人物も忠実(張松、楊脩、荀、曹操)でした。

>戸惑いながら趙雲に付いていくと、劉備を始め諸将の手厚い歓待が待っていた。
趙雲、関羽に続き劉備が迎えます。
アニメでは劉備は諸葛亮と張飛が出迎えていましたが、『演義』では劉備は諸葛亮と龐統を従えて出向きます。

>この光景を見て、諸葛亮は会心の笑みを浮かべた。
『演義』ではこの描写はありません。
張松を心から歓待したのは西蜀図を手に入れる為、西蜀を奪う口実を手に入れる為の「芝居」というような描かれ方でした。
周瑜の弔問時は「良い人諸葛亮」として描かれていましたが、今回の諸葛亮は「嫌な諸葛亮」と描かれていました。
このニヤリとする場面はいらなかったと思うのですが・・・
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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