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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

福井縣護國神社 ・ 足羽山招魂社

福井市には福井縣護國神社、足羽山に足羽山招魂社が鎮座されています。
福井県は招魂社と護國神社が並存しており、非常に珍しいです。
福井縣護國神社
▲福井縣護國神社 拝殿

足羽山招魂社
▲足羽山招魂社 拝殿

【参拝日】
平成22年11月24日





福井縣護國神社

【福井縣護國神社 公式サイト】

福井縣護國神社には明治維新前後から大東亜戰争までの国難に殉職じた、橋本左内先生をはじめ福井県ゆかりの英霊31,991柱がお祀りされています。
福井縣護國神社
▲拝殿
  福井は雪の影響があるため拝殿は囲われ、正面の小窓を開けて、拝殿に拝跪します

秀芳館
福井縣護國神社には英霊の偉徳に触れる事ができる資料館が併設されています。
社務所で見学したい旨を告げ、開錠していただきます。

入口の扁額は福井県福井市出身の長谷川清海軍大将の揮毫です。
秀芳館 扁額

長谷川清海軍大将は有名な『三笠艦橋の図』(東城鉦太郎画)で、聯合艦隊司令長官・東郷平八郎大将の背後で測距儀の上から軍帽だけ見えている方(当時、少尉候補生)です。
三笠艦橋の図

福井縣護國神社 秀芳館
▲館内

展示は幕末・維新から大東亜戰争に至るまで順番に並び、同時に我が国の近代戦の概要がパネルにより解説され、関連する英霊の御遺品や写真、寄贈品が展示されており、非常に分かり易い構成です。
一回りすると明治以降の我が国の国難と、その国難に立ち向かった偉大な先人、護國神社に祀られている英霊の偉業・功績が短時間で学べるようになっています。
橋下左内像
▲橋下景岳(左内)像
  橋本左内先生は福井が産んだ幕末の偉大な思想家で、安政の大獄で刑場に散りました

利根 軍艦旗
▲重巡「利根」の戦闘旗
 捷一號作戰(比島沖海戰)後、舞鶴に帰投し損傷修理の際に降ろされたものです

陸奥 錨鎖 (2)
▲昭和18年6月8日、柱島泊地に於いて爆沈した戦艦「陸奥」の錨鎖
 かなり重たいです・・・

顕頌・慰霊碑
満洲開拓者之碑
▲満洲國開拓者之碑(昭和48年8月5日、福井県満洲開拓引揚者連合会)

比島戦没英霊之碑
▲比島戦没英霊之碑(昭和50年6月、元第十六師團福井県生還者)
 第十六師團(牧野四郎中将)は1個師團で四国の半分ほどもあるレイテ島の守備を担当、昭和19年10月20日、マッカーサー大将率いる10倍以上の敵上陸部隊を迎え撃ち、勇戦敢闘ののち玉砕

大木繁中将顕彰碑・福井県憲兵之碑
▲大木繁中将顕彰碑・福井県憲兵之碑(昭和50年8月4日、憲友会)
 大木繁中将は福井県出身で、各憲兵隊長、憲兵司令官、関東憲兵隊司令官を歴任、戦後ソ連に抑留され、昭和22年4月9日、シベリアで病没します

北陸地区陸軍少年通信兵慰霊祭祈念植樹
▲北陸地区陸軍少年通信兵慰霊祭祈念植樹

殉職警察・消防士慰霊碑
▲殉職警察・消防士慰霊碑

あゝ特攻
▲あゝ特攻(平成19年4月、特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会
 会が平成19年より開始した「あゝ特攻勇士之像」奉納の最初の2体のうちの1体です

祈一杓献水
▲祈一杓献水(平成17年、福井市遺族会婦人部)

さざれ石
▲国歌「君が代」に歌われる「さざれ石」


福井縣護國神社 略歴
昭和14(1939)年3月15日、内務省令第十三號『招魂社ハ之ヲ護國神社ト改稱ス』発令を受け、明治維新の志士・橋本景岳(左内)命を始め福井県ゆかりの殉国の御霊を永久に祀り、感謝を捧げるべく昭和16(1941)年3月に創建されました。

昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』の渙発を受け大東亜戦争は停戦、昭和21(1946)年2月21日、「神道指令」により宗教法人神社本庁の所属となり、連合軍により護國神社に対し干渉・抑圧が加わったため、10月20日、「福井御霊宮」と改称します。

昭和23(1948)年6月28日、福井大震災、及び7月25日の大洪水により、社殿等が倒壊流出する大損害を受けますが、遺族及び有志の融資、及び勤労奉仕により昭和26(1951)年4月、現在の神殿、御式殿が復興されます。

昭和23(1948)年、福井縣護國神社に復称します。

昭和30(1955)年10月、奉賛会を設立、拝殿、翼殿が竣工します。

昭和45(1970)年8月15日、秀芳館が竣工、昭和47(1972)年6月4日、大鳥居、玉垣が建造され、現在に至ります。

例大祭
春季例祭 4月13日
秋季例祭 11月2日



足羽山招魂社


足羽山招魂社」は福井市南西部にある足羽山に鎮座し、元治元(1864)年の禁門の變から大東亜戦争までの福井市ゆかりの英霊8,306柱がお祀りされています。

足羽山招魂社
▲拝殿

顕頌・慰霊碑
為萬世開太平碑
▲為萬世開太平碑(昭和55年5月27日、福井県海友会)
 福井県海友会(海軍関係者)により海軍記念日に建立された碑です。

鎮魂之碑
▲鎮魂之碑(平成7年9月、奉賛会)

西南之役殉難碑
▲西南之役殉難碑(明治16年11月)


足羽山招魂社 略歴
明治3(1871)年9月、禁門の変(元治元(1864)年)に倒れた福井藩士7名、及び戊辰の役(明治元(1868)年)の殉難者12名を祭祀すべく足羽山に墓碑を建て招魂場が造営され、旧福井藩軍務寮が祭祀・管理を行います。

明治6(1874)年7月、松平春嶽、茂昭などの建議により社殿が造営され、9月12日、招魂社と改称します。
その後、西南の役、明治二十七八年戦役(日清戦争)の殉国の英霊を合祀、明治34(1901)年、官祭招魂社になり祭祀、修繕費など官費を支給される様になります。

明治三十七八年戦役(日露戦争)、支那事變の殉国の英霊を合祀、昭和14(1939)年3月15日、内務省令第十三號『招魂社ハ之ヲ護國神社と改稱ス』発令により、4月1日、足羽山護國神社と改称、さらに大東亜戰争の英霊を合祀します。


昭和20(1945)年7月19日、空襲により社殿が炎上焼失、大東亜戰争終結により足羽山招魂社と改称します。

昭和30(1955)年、足羽山招魂社奉賛会が設立され例大祭が復活、昭和38(1963)年4月、社殿が復興します。

例大祭
春季例祭 4月14日
秋季例祭 9月25日
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はじめまして、こんばんは。
コメントありがとうございます。

フィリピンに限らず南方戦線はどこも壮絶な状況でした。
拙ブログが御祖父様の事績を辿るきっかけとなりまして、嬉しく思います。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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