当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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最強武将伝 三国演義 第38話「関羽死す!」

今回は関羽が于禁・龐悳らの樊城援軍を水没させるところから、関羽が呂蒙・陸遜の策により捕縛、処刑されるまで(『演義』第74回途中~第77回最後)です。






半年の間、雨が降り続いた。
龐悳は川沿いの低地への布陣に不安を覚えていた。
しかし于禁は、陣を移動する気は更々ない。
すると、ある夜、轟音と共に大量の川水が流れてきた。
関羽軍が堤防を切ったのだ。
陣所ごと大洪水にのみ込まれ、于禁軍は壊滅した。
何とか高台に上った者たちも、大洪水の中、船に乗って押し寄せてきた関羽軍に捕らえられてしまった。
そして、于禁は監禁され、龐悳は関羽の投降の勧めに背いたため斬首されることとなった。

勢いに乗った関羽軍は曹仁が守る樊城に攻めかけた。
しかし、曹仁の放った毒矢にあたる。
毒に侵されていく関羽の右腕であったが、名医華佗が現れ、手術を施した。
骨から毒を抉り出す手術であったにもかかわらず、関羽は平然と碁を指しながら談笑し、脅威の忍耐力を見せた。

関羽の強さを恐れた曹操は、呉の孫権に利害を説き、荊州を襲撃させた。
荊州攻撃は呂蒙に任せられた。
陸遜の知恵も助け、呂蒙は手薄となった荊州を占領する。

荊州を奪回しようとした関羽であったが、曹操軍と呉軍の挟み撃ちに合い、麦城へと退き苦戦を強いられた。
救援を求めるため、劉備の養子である劉封のもとに廖化送るが、劉封の参謀孟達がはねつけてしまった。

諸葛瑾が投降を勧めに来たが、関羽は一向に受け入れない。
そして、孤立と飢餓に苦しむ関羽軍はついに麦城の城門を開き、最後の突撃に踏み切る。
しかし、圧倒的な兵力の差に、関羽は息子関平と共に呉軍に捕縛されてしまった。
孫権の前に引き出された関羽は強固としてひざまずくことを拒み、投降の意思はない。
孫権は嘆息しながら斬首の命をくだした。

曹操の前に呉からの使者が木箱を持って現れる。
孫権は関羽の首を曹操に送りつけ、劉備の怒りを曹操に向けさせようとしたのだ。
その真意を看破した曹操は、自ら関羽の霊を祭り、関羽を手厚く葬った。

劉備のもとに血だらけの廖化が現れた。
そして廖化の口から関羽の処刑を聞いた劉備は、驚愕と悲痛のあまり、その場に倒れ伏してしまった。
<登場人物>
劉備
関羽
関平
周倉
王甫
廖化
馬良
劉封
孟達

曹操
司馬懿
曹仁
徐晃
于禁
龐悳
成何

孫権
呂蒙
陸遜
張昭
丁奉
朱然

華佗


今回は三国志演義では赤壁と並んで、ある意味赤壁以上に物語の転換点になる、主役の一人である関羽が刑死する場面です。
感想としては見てすぐは「省略が多いなぁ」と思いましたが、改めて粗筋を見ると「上手くまとまっている」と思います。
ただ、全体的に浅く広く描いたため、主人公の一人が死亡、それも非業の最期を遂げるという劇的な今回の話が薄い印象になってしまったように感じます。
省略すべき場面(例えば呂蒙の出陣や陸遜の協力、劉封・孟達による援軍拒否など)はナレで処理し、関羽が徐晃に敗れ樊城攻囲から撤退、荊州も奪われ麦城に走るところから関羽・関平の捕縛・刑死、王甫と周倉が自害する辺りを重点的に描いたほうが印象的だったと思います。

>何とか高台に上った者たちも、大洪水の中、船に乗って押し寄せてきた関羽軍に捕らえられてしまった。
龐悳と成何のみの登場でしたが、『演義』では出陣前に于禁に龐悳への疑念を伝えた董衡、董超が登場、龐悳に投降を勧め斬り殺されます。

>そして、于禁は監禁され、龐悳は関羽の投降の勧めに背いたため斬首されることとなった。
于禁の無様さと龐悳の潔さは『演義』通りでした。

>勢いに乗った関羽軍は曹仁が守る樊城に攻めかけた。
『演義』では直前に于禁・龐悳の援軍が敗れた事を知った曹仁が樊城を捨てることを考え、幕僚の満寵に諌められ再び樊城の籠城を決心します。

>毒に侵されていく関羽の右腕であったが、名医華佗が現れ、手術を施した。
アニメでは華佗を周倉が連れてきていましたが、『演義』では華佗自ら関羽の陣を訪ね、関平が出迎えます。

『演義』通り手術中に関羽と馬良が碁をしていました。
馬良は初登場でしたが、武官の格好をしており印象と異なりました。

>関羽の強さを恐れた曹操は、呉の孫権に利害を説き、荊州を襲撃させた。
曹操が樊城へ向けた援軍が全滅したことを嘆息していました。
『演義』では「援軍全滅」よりも「宿将の于禁が新参の龐悳に及ばなかった事」を主に嘆きます。

>陸遜の知恵も助け、呂蒙は手薄となった荊州を占領する。
呂蒙の起用と陸遜の抜擢は『演義』通りです。

アニメでは呂蒙の偽装商船団に丁奉が乗っていましたが、『演義』では丁奉は後詰で、呂蒙のみです。

『演義』では荊州城を潘濬、公安を傅士仁、南郡を麋芳が守っていますが、3名の投降の様子、荊州落城の際に捕らえられていた于禁も解放されますが全て省略されていました。
この辺りは本筋にそれほど影響ないので省略されても仕方ないでしょう。

>荊州を奪回しようとした関羽であったが、曹操軍と呉軍の挟み撃ちに合い、麦城へと退き苦戦を強いられた。
曹操軍の援軍として出陣した徐晃・呂建、徐商と関平、廖化の戦い、関羽と徐晃の戦いも省略されました。
この辺りも省略されても仕方ないでしょう。

『演義』では荊州を失った事を知った関羽が馬良と伊籍を成都に急行させ援軍を求めます。
これも省略されていましたが、関羽処刑後の成都において劉備の元に次々と来ていた戦勝報告から一転、この両名がもたらす敗報、さらに続く廖化の到着で一気に緊迫していく場面の重要な鍵となるのでナレだけでも良かったので入れて欲しい場面でした。

>救援を求めるため、劉備の養子である劉封のもとに廖化送るが、劉封の参謀孟達がはねつけてしまった。
廖化が出発する際に関羽が援護するような言い回しでしたが、『演義』では関平が援護します。

>;諸葛瑾が投降を勧めに来たが、関羽は一向に受け入れない。
説得に来た諸葛瑾に対し、関羽が剣を抜いていましたが、『演義』では関平が剣を抜き関羽が諸葛亮との兄弟の事を考え止めます。

>そして、孤立と飢餓に苦しむ関羽軍はついに麦城の城門を開き、最後の突撃に踏み切る。
ん?そんな風に描かれていたか?
アニメでも「関羽自らが包囲を突破して西川に援軍を求めに行く」となっていました。
決して公式サイトの粗筋のような「最後の総攻撃」ではありません。

アニメでは省略されていましたが、麦城には王甫、周倉と100名の兵が残り、関羽は関平と趙累と200名の兵を連れて出撃します。
その際、間道を進もうとする関羽に王甫が伏兵がいる可能性を指摘するも、関羽は聞き入れず間道を進みます。
『演義』では最後の最後まで王甫の慎重論は退けられ、関羽の自信過剰と傲慢さが最悪の結果を招いた、という描かれ方をしています。
アニメでも凡そそのように描かれていました。

>しかし、圧倒的な兵力の差に、関羽は息子関平と共に呉軍に捕縛されてしまった。
関羽一行は最初に朱然、続いて潘璋の軍勢と乱戦になり趙累が戦死、最後は馬忠に捕らえられます。

>孫権は嘆息しながら斬首の命をくだした。
孫権が関羽の処遇を呂蒙にはかり、呂蒙が関羽が曹操の元に居た頃、及びその後の経緯を踏まえて処刑するように諭していました。
『演義』では呂蒙ではなく左咸のセリフです。

その後、関羽と関平の首を見た王甫は櫓から飛び降り、周倉もまた自らの首を斬って自害しますが、アニメでは省略されていました。
せっかく王甫と周倉を登場させ、それなりに活躍の場があったのでナレでも良いので壮絶な最期の場面は描いて欲しかったです。

>曹操の前に呉からの使者が木箱を持って現れる。
この逸話の前に、処刑された関羽の例が鎮国寺の普浄の前に現れたり、呂蒙が関羽に取り憑かれて怪死する件がありますが、アニメでは省略されていました。

>その真意を看破した曹操は、自ら関羽の霊を祭り、関羽を手厚く葬った。
関羽の首に曹操が話しかけていましたが、『演義』では話しかけた途端に関羽の眼と口が開き髪や髭が逆立ち、曹操を驚愕させます。

>劉備のもとに血だらけの廖化が現れた。
>そして廖化の口から関羽の処刑を聞いた劉備は、驚愕と悲痛のあまり、その場に倒れ伏してしまった。
関羽が死んだ事が廖化を通して劉備に知らされていました。
廖化は援軍要請のため成都に向かう道中にあるのに、どうして関羽刑死を知ったのでしょう?

『演義』では劉備の寝室に関羽が現れたり、許靖が噂として諸葛亮に告げたり、諸葛亮が天文を見て事の次第を察知します。

さらに援軍の準備をする劉備の元に馬良、伊籍が到着、さらに廖化が到着し関羽の危急を告げ、一気に緊張感が高まります。
そして、夜明けとともに関羽親子の刑死が伝えられ劉備は卒倒してしまいます。

『演義』では第76、77回と2回に渡り関羽の最期が描かれており、徐々に緊迫していくような演出がされています。
アニメではやむを得ないとは言え、1回に凝縮してしまったので劇的な場面がアッサリ終わってしまってように感じました。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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