当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

航空總軍司令部 戰鬭指令所壕

奈良県香芝市虫穴の奇岩景勝地として知られる屯鶴峯に大東亜戦争末期、航空總軍司令部の戦闘指令所を推進すべく大規模な地下壕が設定されました。
リ2(左)・リ3方向 (奈良屯鶴峯)
▲地下壕内部

【探索日時】
平成22年12月23日、平成29年3月7日





遺構について
昭和20(1945)年3月31日、複雑多岐であった陸軍飛行部隊を一元統括すべく航空總軍司令部(河邊正三大将、市ヶ谷)が臨時編成され、「制號作戰」(本土防空)、「決號作戰」(本土決戦)指揮のため司令部を関西に移転推進すべく、屯鶴峯に地下戦闘指令所の設定を急ぎますが、設定中に停戦を迎えたため未使用でした。
航空總軍指定航空有線通信網(電信)要圖(奈良屯鶴峯)
▲航空總軍指定航空有線通信網(電信)要圖(左下の「牡丹洞」が屯鶴峯)

航空總軍指定航空有線通信網(電話)要圖(奈良屯鶴峯)
▲同上

現在、東西2ヶ所に大規模な地下壕がほぼ完存しています。

西壕
素掘りで総延長約800mあります。
航空總軍司令部は後述する東壕を使用する予定だった様で、西壕の用途は不明です。
航空総軍指揮所地下壕(屯鶴峯)行き方(奈良屯鶴峯)
▲進入路
①「飛鳥採石場 尺松建設」の看板後ろの隙間から入る(平成29年現在、この看板は無くなっている)。
①入口(奈良屯鶴峯)

②砂利道を少し進むと車止の柵が有る。
③道の中央に巨石(車の進入防止?)が置いてある。
④左手に川、右手に発電設備がある。
⑤左側に川を跨ぎ、荒れ地に入る踏み跡があるので上る。
⑤(進入口)付近北西から(奈良屯鶴峯)
▲写真中央付近の緑の草が生えてる辺りをススキの中へ

⑥右手に池を見ながら草が茂る荒れ地を僅かに見える踏み跡に沿って進む。
⑦周囲の草丈が身長を越え不安になるも怯まず進む。
この辺りで山の西側に回り込む道と分岐するが、そのまま直進する。
⑧所々ビニールテープが巻いてある視界の無い獣道をひたすら進む。
⑧付近(北から)(奈良屯鶴峯)

⑨右側の視界が開け斜面の木にビニール紐が巻いてある辺りを10m程登ると右手にロ、奥にハとニの壕口が見える。

北側進入路とは別に西側の畑からも進入路⑯がある様ですが、行っていないため不明です。

航空総軍指揮所地下壕(屯鶴峯)撮影(奈良屯鶴峯)
▲西壕全体図
 赤 : 壕本体
 水 : 浸水
 紫 : 斜坑
 黄緑 : 本来あった壕

ロ 壕口
巾2.4×高2m、20m地点で巾3×高2.5mに拡幅します。
ロ 壕口(奈良屯鶴峯)

ロ 内部から(奈良屯鶴峯)
▲拡幅部からロ壕口

4→ロ-ホ (3)(奈良屯鶴峯)
▲内部は岩盤が強固なため、大きな崩落も無く安定しています。

ハ・ニ 壕口
この壕口は本来1ッの壕口で、さらにもう少し長くロに繋がっていた様です。
ハ・ニ 壕口(奈良屯鶴峯)

ハ(奈良屯鶴峯)
▲ハから内部

14 横坑
ニの右側に2m程の横坑があります。
14(左)・ニ(右)(奈良屯鶴峯)

イ 壕口
イ 壕口から(奈良屯鶴峯)

リ壕から急峻な斜坑でイに繋がります。
リ→イ(斜坑部)(奈良屯鶴峯)
▲リ→イへ抜ける

イ(奈良屯鶴峯)
▲イへ上がる斜坑

この通路は西壕上にあった航空總軍第三課(教育)参謀・三笠宮崇仁王少佐の特別宿舎(3棟あった)への通路と言われています。

また、イ壕口に隣接して水平方向に掘削中の壕口があり、壕を2層にする予定だったのかも知れません。
イ 壕口脇の壕口(奈良屯鶴峯)
▲イ壕口に隣接する掘削中の壕

ホ 壕口
西側の壕口(ホ、ヘ、ト、チ)は全て木柵で塞がれていますが、漏れなく破られています。
ホ 壕口(奈良屯鶴峯)

ヘ 壕口
ヘ 壕口(奈良屯鶴峯)

ト 壕口
ト 壕口(奈良屯鶴峯)

ト-ニ→8(奈良屯鶴峯)
▲ト 内部

チ 壕口
チも緩やかな斜坑で外部に繋がります。
チ 壕口(奈良屯鶴峯)

ト-ニ13→チ斜坑方向(奈良屯鶴峯)
▲チへ上がる斜坑

ヌ(奈良屯鶴峯)
▲ヌ 内部


東壕
航空總軍司令部が供用予定だった壕で総延長約925mあります。
残念ながら京大の地震観測所が置かれており、以前は申請すれば見学もできた様ですが、現在は非公開の様です。
航空総軍指揮所地下壕(屯鶴峯)行き方(奈良屯鶴峯)
▲進入路
⑩先の西壕からやや荒れた道を東側に進む。
⑪⑬小川を越えて対岸の斜面を登るとA壕口。
⑪付近(西から) (2)(奈良屯鶴峯)

⑫小川に倒れる様に伸びる2本の樹木が目印。

A 壕口
壕口付近はやや崩落しており巾2.3×高0.8mで、8m程進むとでブロックで閉鎖されています。
A 壕口 (3)(奈良屯鶴峯)

A 壕口 (2)(奈良屯鶴峯)

東壕はもう1ヶ所B壕口がある様ですが、発見できませんでした。

ここから東側の壕口に行く事も可能ですが、ハードなので外から回り込みます。
嘗ては⑭の工事用フェンスから入れましたが、平成29年現在は入れなくなっています。
⑰南側の池の辺の小さな通路から入ると大きな道がある。

F 壕口
京大の地震観測所があります。
F 京大地震観測所(奈良屯鶴峯)

E 壕口
壕口付近にシダが覆い被さる様に繁茂しており、非常に見つけ難いです。
壕口は殆ど崩落しており、内部を覗くと10m程でブロックで閉鎖されています。
D 壕口(奈良屯鶴峯)

D 壕口
壕口は殆ど崩落しており、覗くのも困難です。
E 壕口(奈良屯鶴峯)

C 壕口
本来の壕口が崩落して後退しており、両脇10m程が壁のようになっています。
内部は8m程でブロックにより閉鎖されています。
C 壕口(奈良屯鶴峯)

C 壕口(奈良屯鶴峯) (2)


運用部隊
第十九地下施設隊(帥一九五〇二)
昭和20(1945)年2月8日、軍令陸甲第二十二號みより「天號作戰」(沖縄方面航空作戦)、「決號作戰」(本土決戦)に向けた航空基盤造成のため第七野戰飛行場設定司令部、第一~第十地下施設隊、第百五十八~第百七十七野戰飛行場設定隊が、4月17日、軍令陸甲第六十八號により第十一~第二十地下施設隊が編成されます。

地下施設隊は中(少)佐を長とし本部(38名)、2個中隊(各291名)、整備中隊(144名)の合計764名で構成され、人員は主に坑道及び隧道掘削関係者が充当されました。
装備は六屯牽引車×2、自動貨車×12、排土車×2の他、穿孔機、爆破機材、軽便軌条、支分軌匡、転車盤、石工具、アセチレン灯、微光灯など坑道掘削に特化したもので、その名の通り地下壕設定専門の部隊でした。

隊は編成完結後、陸軍航空基地設定練習部(井上作巳中将、豊橋)において約2ヶ月の錬成後、所要の器材・装備を付与され、東日本では飛行機生産施設の地下移行、西日本では特攻作戦基盤の強化、主に地下格納庫建設を任務としました。

第十九地下施設隊は4月17日、軍令陸甲第六十八號により奈良県において編成(田上里見少佐)、24日、大陸命千三百十七號により航空總軍戦闘序列に編入され、陸軍航空基地設定練習部において1ヶ月の教育の後、5月15日、作戦地である奈良県北葛城郡に進出、航空總軍司令部推進用の地下指令所設定を開始しますが、設定中の8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
9月1日、同地において復員完結します。

隊には約200名程の朝鮮半島出身者が配属されていた様ですが、これをもって所謂強制連行等と書いている書籍、サイトを散見しますが「お前がそう思うんだったらそうなんだろ、お前の中ではな」です。

航空總軍司令部(帥五〇〇)
昭和20(1945)年1月9日、米軍がルソン島に上陸を開始、20日、大本營は『帝國陸海軍作戰計畫大綱』を策定、決號作戰(本土決戦)の準備に入ります。

当時の陸軍飛行部隊の統帥は本土防空及び本土周辺に来寇する敵に関しては防衛總司令官、沖縄方面航空作戦に関しては第六航空軍(聨合艦隊麾下)、教育・補充に関しては第一航空軍(大本營直轄)、空中勤務者錬成に関しては各教導飛行師團(航空總監部隷下)、補給・造修にあたる各航空廠は航空本部長隷下など複雑多岐に渡っていました。

大本營は決號作戰に向け本土における航空作戦遂行迅速化のため、これらの飛行諸部隊を一元統括、全航空戦力を統合し所要の時機及び方面に集結発揮すべく、3月31日、軍令陸甲第五十四號により航空總監部員をもって航空總軍司令部(河邊正三大将、東京)を臨時編成(4月13日、軍令陸乙第九號により航空總監部は復帰)します。
4月5日、二身一体にあった航空總監部、陸軍航空本部の人員を基幹として編成に着手、8日、編制完結し、職員は規模を縮小した陸軍航空本部と二身一体となります。
航空總軍司令官は第一・第二總軍司令官と同様に天皇に直隷し、北海道を除く内地、朝鮮の全作戦、教育航空部隊、航空廠、航空補給廠、航空関係陸軍病院を統率しました。
また、航空兵器の生産、補給を集中運用すべく司令部員は陸軍航空本部部員を兼務しました。

航空總軍司令部の編制定員は下士官兵を含め683名でした。
司令官 : 河邊正三大将
参謀長 : 田副登中将
参謀副長 : 川嶋虎之輔少将 (4月6日~7月2日)  
         三輪潔少将 (4月6日~停戦) 
         原田貞憲少将 (4月30日~6月1日)  
         寺田済一少将 (7月6日~停戦)  
高級参謀 : 宮子實大佐 (第一課長 : 作戦、情報、編成)
参謀 : 小森田親玄大佐 (第二課長 : 後方)
参謀 : 松前未曾雄大佐 (第三課長 : 教育)

4月8日、大陸命第千二百九十八號『航空總軍戰闘序列 附録』により、航空總軍の戦闘序列が発令され、9日、戦闘序列、及び任務に関する命令を受領、15日、統帥を発動します。

航總司令官直属部隊  第三獨立飛行隊
隷下部隊
第三十戦闘飛行集團
 獨立飛行第十七中隊
 第十六飛行團
  飛行第五十一戰隊
  飛行第五十二戰隊
  飛行第四十七戰隊
  飛行第六十二戰隊
  飛行第二百四十四戰隊
第七輸送飛行隊
 第十一輸送飛行中隊
 第十二輸送飛行中隊
第八輸送飛行隊
 第十四輸送飛行中隊
 第十五輸送飛行中隊
第一挺進團
 挺進第一聯隊
 挺進第二聯隊
第一挺進飛行團
 挺進飛行第一戰隊
 挺進飛行第二戰隊
 滑空飛行第一戰隊
 第百一、第百二、第百三飛行場中隊
第三十二航空情報隊
第三十五航空情報隊
第三十六航空情報隊
第三十七航空情報隊
第一航空軍
 ※第十飛行師團長隷下防空部隊(東部軍管區司令官指揮下)
 ※第十一飛行師團長隷下防空部隊(中部軍管區司令官指揮下)
第六航空軍
 ※第十二飛行師團長隷下防空部隊(西部軍管區司令官指揮下)

第五十一・第五十二・第五十三航空師團
下志津・明野・常陸・濱松・鉾田・宇都宮教導飛行師團
三方原教導飛行團
第二航空教育團
 第七・第三十一航空通信聯隊
 第一・第二十一航空情報隊
 第一航測聯隊
 第一気象聯隊
 第一三航空教育隊
第一航空軍教育隊
中央航空路部
陸軍航空輸送部
陸軍航空基地設定練習部
立川陸軍航空廠
 第百六・第百七・第百八・第百九・第百十七・第百二十八・第百三十二・第百四十八獨立整備隊
太刀洗陸軍航空廠
 第百十・第百十一・第百十二・第百十四・第百二十四・第百二十九・第百三十三独・第百三十七・第百四十四・第百四十七獨立整備隊
宇都宮陸軍航空廠
 第百一・第百十六・第百二十一・第百二十六・第百三十・第百四十・第百四十三・第百四十六獨立整備隊
大阪・平壌陸軍航空廠
東京・大阪・仙臺陸軍航空補給廠
岐阜陸軍飛行學校
陸軍航空技術學校
東京陸軍航空學校
東京陸軍少年飛行兵學校・同大分教育隊
大津・大分陸軍少年飛行兵學校

5月8日、大陸命第千三百二十五號により戦闘序列が更改され、航總司令官直属部隊として第三十二・第三十五・第三十六・第三十七航空情報隊が、隷下に第二・第五航空軍、第一飛行師團が編入されますが、第二航空軍は關東軍總司令官、第五航空軍は支那派遣軍總司令官、第一飛行師團は第五方面軍司令官の夫々指揮下のままでした。

6月28日、大陸命第千三百八十九號により第十・第十一・第十二飛行師團の防空部隊の指揮権が航空總軍司令官に移譲されます。

航空總軍は編成完結後、決號作戰に向け特攻戦力を構築しつつ、第一、第二總軍の協力のもと制號作戰、及び敵基地制圧、敵機動部隊・同輸送船団の撃破を任務としましたが、既に本土空襲による生産力の低下、燃料枯渇による戦力造成の停滞、比島決戦による戦力損耗により作戦行動は著しく制限され、当初から特攻主体、戦力温存に傾注せざるを得ない状況でした。

總軍は逼迫する戦局のなか多数の特別攻撃隊を編成し各地の秘匿飛行場に分散配置、作戦部隊に関しても適宜行動を制限し決號作戰に備えるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


主要参考文献
戦史叢書19 『本土防空作戦』 (昭和43年 朝雲新聞社)

戦史叢書94 『陸軍航空の軍備と運用3』 (昭和51年 朝雲新聞社)

陸軍航空の鎮魂 総集編 (平成5年4月 陸軍航空碑奉賛会)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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