当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

摩耶山(東山371高地)高射砲陣地

本日は先週訪ねた神戸市の摩耶山中にある高射砲陣地を紹介します。






高射砲陣地の場所
摩耶山の東山山頂(371m)に陣地跡があります(詳細は以下に記載)。
摩耶山 高射砲 昭和21年11月20日
~昭和21年11月20日の陣地跡空中写真

甲:高射砲陣地跡
乙:兵舎?
丙:削平地
丁:建物
赤線:軍道

施設の概要
近畿地方には高射第三師團(河合潔少将、通称号:炸)が大阪市立美術館(天王寺)に司令部を置き、隷下部隊が各地に配置されていました。
神戸方面は主に隷下の高射砲第百二十三聯隊(山岡重孝中佐、炸四一六八)と獨立機關砲第四十九中隊(伊藤敏治中尉、炸二八二一三)が神戸市街、工業地帯を護るため展開していました。

当該陣地ですが、中部高射砲集團(高射第三師團の前身)の昭和19年12月~昭和20年1月頃の簡易配置図には無く、高射第三師團の6月頃の配置図には記載されるも、停戦時の配置図からは消えています。

高射第三師團隷下の部隊は昭和20年7月頃より、空襲により壊滅した大阪、神戸から一部を京都、山陰方面に転用しており、その際に移動した?とも考えられますが、部隊の詳細は不明です。

戦時中、近隣には海軍の大阪警備府麾下の防空砲台も設置されていました。
こちらの防空砲台に関しては『大阪警備府 兵器引渡し目録』収録の簡易地図によると、場所的には松蔭高等女學校(現、松蔭中学・高校)の北西付近ですが、備砲が「高角砲2門」となっており、規模が異なるので当該陣地は陸軍のものと思われます。

遺構について
摩耶山の東山山頂(371m)に高射砲の砲座が4基(3基ほぼ完存、1基半壊)西南西を指向して配置されています。
砲座にはそれぞれ「砲側弾薬置場」が3基づつ(半壊の砲座は2基、うち1基は崩壊)付属し、3基は胸檣(砲座周囲の土堤)も辛うじて残っています。

砲座のある山頂周囲には附帯施設跡と思われる削平地、山頂から東側の尾根には建物基礎、周囲には土留めの石垣やコンクリート擁壁、倒壊した建物の煉瓦や瓦が散見され、さらに砲座から北400mの451mピークに石垣で補強された削平地(用途不明)があります。

軍跡探索
周辺の駐車場は値段が高いようなので、今回は電車で行きました。
阪急神戸線「王子公園駅」で下車、王子公園の西側を流れる青谷川に沿って坂道を登っていきます。

摩耶山 高射砲 道順
~陣地への行き方(イ→ロ→ハ→甲)
※イ:青谷道 ハ:旧摩耶道 ホ:東山尾根道 ト:東山東尾根
 ロ:上田道 ニ:学校林道 ヘ:神仙寺道
 甲:高射砲陣地 丙:削平地
 乙・兵舎?   丁:建物?

20分程で「青谷道」登山口イ(青色)に到着、舗装された登山道を10分程登ると左手に茶畑、「茶室静香亭」、「あけぼの茶屋」、「つくばね寮」等の休憩所があります。
摩耶橋からの青谷道登山道入り口
~青谷道登山道入り口
 ※左側の坂道を登ります

つくばね寮
~つくばね寮
 ※横断幕をくぐり直進

ここを抜けて50m程行くと左手にコンクリート製の急な階段があり、「上田道」ロ(赤色)に入ります。
かなり急峻な崩れそうな山道を右手に祠を見ながら登っていきます。
運動不足の体にはかなり応えました。
しばらく登ると「旧摩耶道」ハ(緑色)に接続、「←雷声寺を経て布引・行者茶屋を経て摩耶山→」の柱があるので左に進みます。
山道をかなり歩くと「←雷声寺、神仙寺通り・←学校林道を経て摩耶山上、市ヶ原」の柱があるので左に進み10m程の所で「←東山尾根を経て労災病院方面」の柱を左に直進すると、正面に削平地Aの石垣擁壁が見えてきます。
旧摩耶道(学校林道、東山山頂分軌)
~「←雷声寺、神仙寺通り・←学校林道を経て摩耶山上、市ヶ原」の分軌
 ※右手から来たので左(写真手前)に進みます
  (この道を直進=学校林道をを登ると削平地丙に出ます)

旧摩耶道(東山山頂、雷声寺分軌)
~「←東山尾根を経て労災病院方面」
 ※左の道を進むと正面に削平地Aの石垣擁壁が見えてきます

削平地A石垣 北から
~削平地Aの北側にある石垣擁壁
 ※長660+360+600×高200㎝(長さは短い部分は実測しましたが、
  長大な部分は歩幅を元にしていますので凡そ、以下同様)
  石垣はコンクリートで固められています。


摩耶山 高射砲 昭和21年11月20日 拡大
~上掲昭和21年11月20日陣地跡空中写真の拡大

摩耶山 高射砲 拡大
~概要図
 黄塗:削平地(A~H) 番号:砲座(①~④) 赤線:石垣擁壁
 水色線:周辺の道   紫色:砲側弾薬置場  青線:コンクリート擁壁
 緑線:登山道     ピンク:遺構

高射砲陣地中心部「甲」
削平地A 東から
削平地A
 ※ここには煉瓦の他、瓦が散乱しており屋根のある施設があったようです。
  弾薬庫でしょうか?

削平地Aの南東側にあるのが砲座のある東山山頂です。

ここで分軌する道を南に行くと山側に石垣擁壁を擁する削平地B
削平地B 南東から
削平地B

削平地Bの東面石垣 西から
削平地Bの東面石垣

削平地Bの「中田」石柱 (3)
削平地Bにあった「中田」刻印の石柱

さらに進むとそれぞれ石垣擁壁で補強された付属施設跡と思われる削平地C同Dがあります。
削平地C 北西から
削平地B方向からの削平地C

削平地Cの北面、南面石垣 南西から
削平地Cの北面、南面石垣擁壁

削平地D東面下の擁壁 南から
削平地D東面下の擁壁

C、Dの間は岩が転がっていますが、ここも削平地だった可能性があります。

削平地Aまで戻り、砲座①の北側を登ります。
砲座①の胸檣を形成(砲座を補強)するコンクリート製の擁壁(長720×高290㎝)が見えてきます。
砲座①北東胸檣のコンクリート擁壁 北東から
砲座①の砲座を補強するコンクリート製の擁壁

砲座①②③(直径500㎝)は胸檣(高100㎝)も比較的良く残っており、それぞれ砲側弾薬置場(巾235×高100、内径巾185×高75㎝)が3個付属していますが、等間隔では無く歪に配置されています。
砲座①(砲側弾薬置場) 南西から
砲座①砲側弾薬置場

本来は弾薬置場の内部は板が張られ、引き違い戸が付いていましたが当然ありませんでした。

砲座内部は弾薬置場の露出している高さ(100㎝)から30㎝程が流入した土砂等で埋まっており、砲床は見当たりませんでした。

砲座①の東側には煉瓦で囲った何かの基礎イがあります。
砲座①(東にある煉瓦構造物イ) 南から

砲座①北外側通路からの①胸檣土堤
砲座①北側の胸檣土堤

砲座②(砲側弾薬置場と入口擁壁) 西から
砲座②の砲側弾薬置場と入口石垣擁壁

砲座②(砲側弾薬置場) 北から
砲座②の砲側弾薬置場

砲座③(砲側弾薬置場と入口擁壁) 西から
砲座③の砲側弾薬置場と入口石垣擁壁

砲座③(砲側弾薬置場) 南西から
砲座③の砲側弾薬置場

それぞれの砲座は塹壕状の連絡通路で連結されており、出入口(巾300×長270㎝)と連絡通路はそれぞれコンクリート補強の石垣で補強されていたと思われ、①と③の出入口を出た左側(南側)には人が1人立てる窪み(奥行120×巾130×高100㎝、小隊長の位置か?)が付属(②、④は擁壁が崩れ滅失)しています。
砲座③西側の連絡通路 南から
砲座③西側の塹壕状の連絡通路
 (右側の石垣は砲座③の入口)

砲座①小隊長位置の窪み 北西から
砲座①南側の窪み

本来、要地高射砲部隊の陣地は砲座の後方(西側)に指揮所があるはずなのですが、それらしい場所が無く(削平地が無い)崩落してしまったと思われます。
砲座①西側の出入口北西にある建物の基礎ア(間口60×奥行120㎝)や、周囲に散らばる煉瓦塀等は指揮所施設の残骸かも知れません。
(上掲の昭和21年の空中写真では砲座①と②の西側にそれらしい物が見えなくも無いのですが・・・)
砲座②(①小隊長位置の窪み、②砲側弾薬置場と入口擁壁) 北西から
砲座②の入口擁壁と周辺に散乱する煉瓦塀

砲座①の西側にある構造物ア 北西から (4)
砲座①の西側にある煉瓦構造物ア

もしくは野戦高射砲隊のような簡易胸檣による指揮所しか無かったとも考えられ、それであれば各砲座に小隊長位置のような窪みがあることも納得がいき、野戦高射砲隊の陣地に類似する造りだったのかも知れません。

砲座④は送電線の鉄塔が建設されており、残念ながら崩壊しています。
僅かに砲側弾薬置場2基(1基は天板が崩落)と砲座の擁壁が残るのみです。
砲座④(砲側弾薬置場) 南西から
砲座④の砲側弾薬置場

砲座④(南東の砲側弾薬置場) 
砲座④の崩壊した砲側弾薬置場

砲座④の南側に砲座③の南側を支える擁壁に続く削平地があります。
この削平地には水滴型の窪地ウがあります。
砲座④南東下の穴 南から
~砲座④南東下の窪地ウ(南から)

砲座④南東下の穴 北から
~砲座④南東下の窪地ウ(北から)

窪地ウは長辺350×短辺220㎝で、内部はコンクリートで固められており、上端周囲は石組で補強されています。
ゴミの投棄と土砂の流入で深さは不明ですが、落ちていた瓶の欠片で掘ってみると90㎝以上あり、下に行く程すぼまっているようです。
測高機か機関銃(野戦高射砲隊であれば)の設置場所でしょうか?

この甲地区の東側はかなり急な斜面になっており、砲座①③④には砲座自体の崩壊を防ぐため東側斜面に擁壁が築かれています。
砲座③南側胸檣の石垣擁壁 南東から
~砲座③南側を補強する石垣擁壁

砲座④から南方向(神戸市街)
~砲座からの神戸市街

削平地E 北から
~甲地区から乙地区に向かう途中にある削平地E

兵舎?地区「乙」
摩耶山 高射砲 昭和21年11月20日 拡大

摩耶山 高射砲 拡大

乙地区には昭和21年の空中写真にもあるように、兵舎と思われる建物があったようです。

削平地F,G,Hが山城の郭のように3段になっています。
Fには北端に煉瓦の建物基礎(巾170㎝)と、それに繋がる形で東側にコンクリートの基礎(600×600㎝)が残されています。
煉瓦が円形に組まれている事から、炊事場ではないでしょうか?
削平地F 入口の残骸
~削平地F 西端の残骸

削平地F 北側煉瓦遺構 南西から
~削平地F北端の煉瓦の建物基礎西側

削平地F 北側煉瓦遺構(中央円形積み) 南東から
~削平地F北端の煉瓦の建物基礎にある円形構造物

削平地F 北側煉瓦遺構 南から
~削平地F北端の煉瓦の建物基礎東側

削平地F 東側コンクリート遺構(西側) 南西から
~削平地F 東側コンクリート遺構(西部分)

削平地F 東側コンクリート遺構(東側) 北西から
~削平地F 東側コンクリート遺構(東部分)

G,Hはかなり広大な削平地ですが、基礎どころか煉瓦の欠片すらありませんでした。

昭和21年の空中写真を見ると、「丁」の辺りに小屋(衛兵所?)のような物、乙地区から南に下る軍道が見えますが現在はかなり急峻な崖になっており当時の道を辿るのは不可能と思われます。
また、「丁」の辺りは砂防ダムが築かれており痕跡は滅失している可能性があります。

削平地「丙」
甲地区から学校林道を500m程登ると削平地「丙」に出ます。
現在は鉄塔4本が林立し、不気味な音を立てています。

昭和21年の空中写真でも削平地が見えますが、建物の形跡は無く詳細は不明です。
摩耶山 高射砲 昭和21年11月20日

現地には最も南の鉄塔の北側に高さ40㎝程の石垣がありますが、高射砲陣地の擁壁と違い単に積んであるだけです。
削平地丙 東から (2)
~削平地丙

削平地丙 南端石垣
~削平地丙 南端石垣

陣地とは関係ないのかもしれません。

当該陣地は関西では東淀川の國次陣地と並んで保存状態の良好な貴重な遺構と言えます。
神戸市には保存整備して欲しいものですが・・・

主要参考文献
・『高射戦史』 (昭和53年 下志津(高射学校)修親会)

・米軍撮影空中写真(昭和21年11月 国土地理院)

・神戸首部(京都及大阪) 2万5千分1地形図(国土地理院)

・googleの地図
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楠公の霊地だ、断じて守れ

こんにちは。兵庫の歴史を調べていて検索中にこちらのページにたどり着きました。
六甲の山の中にこんなものが残っていたのですね。初めて知りました。
神戸は当時から需要な港湾でかつ造船所もありますので、それを守る対空砲があっても、なるほど不思議ではありませんね。
それにしてもこんな山中に立派な陣地を築いていたとは、当時の人達の苦労と気概がしのばれます。
近いうちに訪ねてみようと思っていますが、こちらのページには写真や図表も載せてあり、とても参考になりそうです。
思わずコメントさせていただきました。良いページです。ありがとう。

Re: 楠公の霊地だ、断じて守れ

みなと様、初めましてこんばんは。
拙ブログをお読み下さりありがとうございました。
拙ブログを読まれ軍跡を訪れる方が簡単に遺構に辿り着ける事を念頭に書いていますので、お褒め頂き嬉しく思います。

神戸にはその他にも大倉山や神戸港、藻刈、和田岬に陣地があったようですが、遺構が残っているのはこの摩耶山の物だけです。

神戸を護っていた高射第三師團隷下の高射砲第百二十三聯隊は首都圏を防衛する高射第一師團、名古屋地区重工業地帯を防衛する高射第二師團、同じく九州重工業地帯を防衛する高射第四師團に高射砲が優先配備される不利な状況下で少ない備砲をやりくりして近畿・中国・四国地方の広範な防備を担当、その苦労は計り知れなかったと思います。

陣地は行きやすいので是非訪れて見て下さい。

No title

こんにちは、はじめまして

 摩耶山にはうちの墓もあり、しょっちゅう行くので興味深く読みました。
私は以前、加西市の海軍鶉野飛行場跡地にて慰霊祭が行われたときに、上空から2機編隊で慰霊飛行を行ったことがあります。
 鶉野飛行場を上空からみると、はっきりとしたアプローチラインが残っており、当時のパイロットの目線がそのまま理解出来ます。
滑走路跡を何度かパスし、翼振れを行い敬礼ののち帰投しました。

 貴ブログは興味深く、また覗きに来ます。

では!

Re: No title

ひろ様
初めまして、こんにちは。
拙ブログをお読み頂き、ありがとうございます。

摩耶山の高射砲陣地は京阪神に遺る数少ない陣地のうちでも保存度が良く、必見ですね。
ただ、山道が整備されているとは言え行きにくいのが難点です・・・(^_^;)

姫路海軍航空基地(鶉野飛行場)は内陸にあり且つ練習航空隊でありながら異常な程の耐弾・地下施設が設営され、その殆どが遺っている稀有な航空基地でもあり、私も4回ほど踏査、周辺の付帯施設も含めほぼ網羅できたと思うのですが、まだ発表できていません。

最近は慰霊碑保存会の方が活動されており色々と発信されている様で何よりですが、多くの遺構が遺る神戸大学への不法侵入が後を絶たず、神大が全面立入禁止、全ての見学を断っているのは残念です。

また、不法侵入の様子をネットで公開しているのもたちが悪いです。
正攻法で許可を取っている側にとっては同好者とは言え迷惑な話しです。

話が脱線しましたが、鶉野は滑走路が遺っているので当時の様子を伺うことができて貴重ですね!
それを空から見られたとは羨ましい限りです!

今後共、宜しくお願い致します!
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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