江~姫たちの戦国~ 第四回「本能寺へ」
今回は天正10(1582)年2月に行われた「京都御馬揃え」が描かれていました。

馬揃えと言えば、「軍事行進」「示威行為」と言う解釈が一般的で、現にドラマ内でも「周辺大名の牽制」と言った解釈を行っていました。
またドラマでは暗に朝廷を威圧するような目的であることも匂わせていました。
ただ、一次資料である『御湯殿上日記』(宮廷女官達による当番日記)によると、時の正親町天皇が正月8日に安土で行われた馬揃え(信長は度々馬揃えを挙行)の評判をお聞きになり天皇側からご依頼になられたようです。
ドラマでは時代祭のように「練り歩いて」いましたが、『信長公記 巻十四』によると(安土で行われた物)実際はもっと激しいもので、どんちゃん騒ぎだったようです。
洛中でそれほどの騒がしいものをやったかどうか疑問ですが、それでも「ど派手」なものには違いなかったと思います。
予算の関係?かどうか分かりませんが、映像では少しショボかった感じです・・・
実際は一番手に丹羽長秀+摂津衆・若狭衆・西岡の革島氏、続いて蜂屋頼隆+河内衆・和泉衆・根来寺の内大ヶ塚衆・佐野衆、明智光秀+大和・上山城衆、村井貞成(貞勝嫡男)+根来・上山城衆が行進、続いて織田家一門衆の一番手は織田信忠+美濃衆・尾張衆・騎馬80騎、信雄+伊勢衆・騎馬30騎、信包+騎馬10騎、信孝+騎馬10騎、信澄+騎馬10騎、長益(有楽斎)、長利、勘七郎(信弐?)、信照(中根、信長庶弟)、信氏(竹千代、信直の子)、周防(詳細不明)、孫十郎(信次の子?)が続きます。
続いて近衛前久、正親町季秀、烏丸光宣、日野輝資、高倉永相らの公家衆。
細川昭元、細川藤賢、伊勢貞為、一色義定、小笠原長時ら旧幕臣衆。
次に信長馬廻り衆、小姓衆、柴田勝家+越前衆(柴田勝豊・柴田勝政・不破光治・前田利家・金森長近・原長頼)、次いで弓衆100人が続きます。
この後を信長本隊が続きます。
信長は午前8時(辰の刻)に下京の本能寺から室町通を北上、一条を曲がり馬場に入場します。
描き眉の化粧に金紗のほうこうを着け、唐冠の頭巾の後ろに花を立て、紅梅文様の白い段替わりの小袖、蜀江錦の小袖を着て、肩衣には紅色の緞子。
それぞれ桐唐草文様が施され、天皇から拝領の牡丹の造花を腰に挿し、白熊の腰蓑、金銀飾りの太刀・脇差など派手な出で立ちでした。
行進は、午後2時頃(未の刻)まで続き、信長は何度か馬を乗り換え、関東より伺候した馬術家の矢代勝介に馬術を披露させます。
信長が本能寺に帰還したのは夕刻でした。
行進の途中で、正親町天皇から12名の勅使が信長へ遣わされ、御嘉賞が下されます。
また、京都での馬揃えは元亀元(1570)年、天正10(1582)年2月のドラマの馬揃え、翌3月、同年8月には安土でと度々行われています。
この事から、馬揃えの目的は示威行為と言うよりは、娯楽的な演出だったのではないでしょうか?
イエズス会宣教師・アレッサンドロ=ヴァリニャーノから送られたビロード製の椅子がきっちり描かれていたのには少々驚きました。
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馬揃えと言えば、「軍事行進」「示威行為」と言う解釈が一般的で、現にドラマ内でも「周辺大名の牽制」と言った解釈を行っていました。
またドラマでは暗に朝廷を威圧するような目的であることも匂わせていました。
ただ、一次資料である『御湯殿上日記』(宮廷女官達による当番日記)によると、時の正親町天皇が正月8日に安土で行われた馬揃え(信長は度々馬揃えを挙行)の評判をお聞きになり天皇側からご依頼になられたようです。
ドラマでは時代祭のように「練り歩いて」いましたが、『信長公記 巻十四』によると(安土で行われた物)実際はもっと激しいもので、どんちゃん騒ぎだったようです。
洛中でそれほどの騒がしいものをやったかどうか疑問ですが、それでも「ど派手」なものには違いなかったと思います。
予算の関係?かどうか分かりませんが、映像では少しショボかった感じです・・・
実際は一番手に丹羽長秀+摂津衆・若狭衆・西岡の革島氏、続いて蜂屋頼隆+河内衆・和泉衆・根来寺の内大ヶ塚衆・佐野衆、明智光秀+大和・上山城衆、村井貞成(貞勝嫡男)+根来・上山城衆が行進、続いて織田家一門衆の一番手は織田信忠+美濃衆・尾張衆・騎馬80騎、信雄+伊勢衆・騎馬30騎、信包+騎馬10騎、信孝+騎馬10騎、信澄+騎馬10騎、長益(有楽斎)、長利、勘七郎(信弐?)、信照(中根、信長庶弟)、信氏(竹千代、信直の子)、周防(詳細不明)、孫十郎(信次の子?)が続きます。
続いて近衛前久、正親町季秀、烏丸光宣、日野輝資、高倉永相らの公家衆。
細川昭元、細川藤賢、伊勢貞為、一色義定、小笠原長時ら旧幕臣衆。
次に信長馬廻り衆、小姓衆、柴田勝家+越前衆(柴田勝豊・柴田勝政・不破光治・前田利家・金森長近・原長頼)、次いで弓衆100人が続きます。
この後を信長本隊が続きます。
信長は午前8時(辰の刻)に下京の本能寺から室町通を北上、一条を曲がり馬場に入場します。
描き眉の化粧に金紗のほうこうを着け、唐冠の頭巾の後ろに花を立て、紅梅文様の白い段替わりの小袖、蜀江錦の小袖を着て、肩衣には紅色の緞子。
それぞれ桐唐草文様が施され、天皇から拝領の牡丹の造花を腰に挿し、白熊の腰蓑、金銀飾りの太刀・脇差など派手な出で立ちでした。
行進は、午後2時頃(未の刻)まで続き、信長は何度か馬を乗り換え、関東より伺候した馬術家の矢代勝介に馬術を披露させます。
信長が本能寺に帰還したのは夕刻でした。
行進の途中で、正親町天皇から12名の勅使が信長へ遣わされ、御嘉賞が下されます。
また、京都での馬揃えは元亀元(1570)年、天正10(1582)年2月のドラマの馬揃え、翌3月、同年8月には安土でと度々行われています。
この事から、馬揃えの目的は示威行為と言うよりは、娯楽的な演出だったのではないでしょうか?
イエズス会宣教師・アレッサンドロ=ヴァリニャーノから送られたビロード製の椅子がきっちり描かれていたのには少々驚きました。
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