当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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最強武将伝 三国演義 第48話「妖怪の兵士」

今回は孫権が皇帝を名乗るところから、張郃が木門道で射殺されるところ(『演義』第98回途中~第101回途中)です。






孫権は呉の皇帝を名乗った。
そして、蜀と共に魏を攻めると見せかけ、蜀と魏を争わせることにした。

蜀の諸葛亮は、呉の魂胆を見抜いていたが、魏を攻め立てることにし、次々に勝利を収める。
続々と届く敗戦の報告を聞いた曹叡は、司馬懿を大都督とし、蜀の侵攻を防ごうとした。 

長安攻略を目論む諸葛亮は、魏の大都督として出馬して来た司馬懿の戦略を次々に見破り、常に司馬懿の先手を取っていく。
ついに司馬懿は籠城を余儀なくされ、蜀軍の食料が尽きるのを待った。
諸葛亮は、長期戦は不利と判断し、すぐに漢中へ引き上げていく。

翌年の麦が実りかけた頃、諸葛亮は大軍を率いてまたも魏へ攻め寄せた。
魏へ攻め込む際、何度も食糧不足を経験した諸葛亮は、戦地で麦を調達するつもりでいたのだ。
これを見て取った司馬懿は、蜀軍に麦を刈り取らせまいと防備を固めた。

そこで諸葛亮は、自軍を妖怪に扮装させ、魏軍を混乱させた。
そしてその隙に、麦を刈り取らせたのであった。
食料も豊富となり形勢は蜀軍有利となったが、魏と呉が同盟を結んだとの報告を受け取った諸葛亮は、兵を撤退させることにした。
蜀の撤退を悟った司馬懿は、猛将・張郃に追撃をさせるが、諸葛亮の伏兵により、矢に当たって落馬してしまった。
登場人物
諸葛亮
姜維
魏延
楊儀
関興
張苞
馬岱
王平

曹叡
司馬懿
司馬師
司馬昭
郭淮
孫礼
戴陵
張郃

孫権
陸遜

今回はテンポ良く話が進んでいましたが、かなりの省略が行われていました。
特に諸葛亮の北伐において、司馬懿とともに迎撃に当たり智将・司馬懿と対比される凡将と言う損な役目の曹真(『正史』では諸葛亮と互角の名将)が殆ど出てこないため、曹真の登場場面が著しく省略されていました。
『演義』における北伐は前半の曹真相手の快進撃でスカっと、後半の司馬懿相手の知略戦に手に汗握り、五丈原で悲願を果たすことなく諸葛亮が死を迎え涙する、と言うのが見所なのですが。

>孫権は呉の皇帝を名乗った。
孫権の皇帝即位と、呉のその後の動きは『演義』通りでした。

>続々と届く敗戦の報告を聞いた曹叡は、司馬懿を大都督とし、蜀の侵攻を防ごうとした。
早速、曹真省略の弊害が出てきました。
前回追撃に出た曹真がいつの間にか消えていたので、魏側の迎撃体制がイマイチよく分かりませんでした。

『演義』では王双を討たれた(前回の最後)曹真は大いに悲しみ発病します。
そのまま郭淮、張郃、孫礼に長安の要所を守らせて洛陽に帰還します。

陳倉城を諸葛亮が落としました。
この際、姜維と魏延が諸葛亮の事を「丞相」と呼んでいましたが、この時はまだ「右将軍」のままです。

>続々と届く敗戦の報告を聞いた曹叡は、司馬懿を大都督とし、蜀の侵攻を防ごうとした。 
この曹真不在に諸葛亮が出撃(第三次北伐)、病床の曹真は司馬懿に大都督の印綬を渡し、司馬懿が迎撃に出てきます。

>長安攻略を目論む諸葛亮は、魏の大都督として出馬して来た司馬懿の戦略を次々に見破り、常に司馬懿の先手を取っていく。
この辺りは細かいところも『演義』通りに描かれていました。

諸葛亮が街亭の敗戦の責任を取って右将軍に降格した場面を描きながら、丞相に復帰する場面はアッサリ省略されました。
諸葛亮が武都、陰平を取った直後に司馬懿の命で張郃と戴陵が蜀漢軍の本陣を狙い、逆に諸葛亮の火計に敗れます。
この後に成都から費緯が訪れ諸葛亮が丞相に復帰します。

>諸葛亮は、長期戦は不利と判断し、すぐに漢中へ引き上げていく。
・・・?あれ?
あっさり引き上げて、第4次北伐になっていました。
ゑ???

諸葛亮の撤退は司馬懿をおびき出す為のモノであり、この撤退途中に追撃に出た司馬懿、撤退と見せかけた諸葛亮との間に決戦が起きます。
ある意味、北伐において唯一とも言える両国の一大決戦が全省略されていました。

概略は、司馬懿は諸葛亮の計略と見破るも、張郃の度々の要求で張郃、戴陵を先鋒に追撃に出ます。
諸葛亮は魏先鋒に関興、呉懿、呉班、張嶷、馬忠を当て、王平、張翼を伏兵とし魏の先鋒と本隊(司馬懿)の間に入れ足止め、その間に伏兵の姜維、廖化が魏の本陣に向かいます。
司馬懿は斥候の報告で蜀漢軍の狙いに気付き、撤退しますが追撃を受け大敗します。

その直後、崖から転落し成都に還送された張苞が死去します。
諸葛亮は悲しみのあまり吐血し、蜀漢軍は成都に撤退します。

その後、今度は病が完治した曹真が蜀漢侵攻を曹叡に上奏、司馬懿とともに出兵します。
諸葛亮も迎撃に出ますが、諸葛亮は豪雨により魏軍が孤立するのを予測します。
豪雨により疫病が蔓延した魏軍は伏兵を置き撤退を開始、諸葛亮は追撃を開始し曹真を策に陥れ大勝、さらに病を得た曹真を憤死させます。

曹真を殺された曹叡は激怒、司馬懿に諸葛亮を撃滅するように命じます。
渭水において諸葛亮と司馬懿は陣比べを実施、諸葛亮が勝利、直後の決戦でも諸葛亮が勝利、魏軍は大敗して陣に篭もります。

と、ここで永安の李厳が配下の苟安に兵糧を輸送させますが、苟安は渭水の戦いを避けるのを口実に飲酒、兵糧輸送が遅れます。
諸葛亮に罰せられた苟安は魏に寝返り、司馬懿は苟安を使い成都において「諸葛亮謀反」の流言を撒き散らさせます。
劉禅は慌て、諸葛亮を撤退させてしまいます。

ここまでがゴッソリ省略されました。

>翌年の麦が実りかけた頃、諸葛亮は大軍を率いてまたも魏へ攻め寄せた。
>これを見て取った司馬懿は、蜀軍に麦を刈り取らせまいと防備を固めた。
>そこで諸葛亮は、自軍を妖怪に扮装させ、魏軍を混乱させた。
アニメでは追撃に出た兵が伏兵があるのを警戒し、司馬懿に「追いつけない」とウソの報告をしていました。
『演義』では普通に追撃し、追いつけず司馬懿に報告します。
なぜ、「ウソの報告」という改編をしたのか意味が分かりません。

>そしてその隙に、麦を刈り取らせたのであった。
アニメでは蜀漢軍が隴上の麦を刈り取ったのを見て、司馬懿が感嘆しているだけでした。
『演義』では蜀漢軍が刈り取った麦を鹵城で干しているのを見て、司馬懿が攻撃をかけますが、伏兵に遭い大敗します。

その後、鹵城において諸葛亮と司馬懿は対陣、司馬懿は孫礼に雍州、涼州の兵を率いて蜀漢軍の退路を断つべく剣閣に向かわせますが、諸葛亮に見破られまたも大敗します。

>食料も豊富となり形勢は蜀軍有利となったが、魏と呉が同盟を結んだとの報告を受け取った諸葛亮は、兵を撤退させることにした。
ここで、李厳からこの報告が届き、蜀漢軍は撤退します。

>蜀の撤退を悟った司馬懿は、猛将・張郃に追撃をさせるが、諸葛亮の伏兵により、矢に当たって落馬してしまった。
張郃が斬られる件は『演義』通りでした。
ちなみに『演義』では張郃の要望で蜀漢軍を追撃しますが、『正史』では伏兵を警戒し追撃に反対する張郃を司馬懿が追撃に差し向けます。

今回の題名は「妖怪の兵士」でしたが、むしろ前回の「諸葛亮対司馬懿」の方が相応しかったと思うのですが・・・
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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