兵庫縣神戸護國神社 春季慰霊大祭



朝8:00に起床し、スーツを着用し8:45に友人と合流、車で向かいます。
今日はGWのまっただ中で混雑を心配しましたが、平日と言う事もあり車は空いていました。
9:45、現地に到着、いつも通り臨時駐車場に車を入れます。
今回は前回余裕を持って行ったにも拘わらず満車だったので、今回は15分程早く行きましたが、やはりすでに満車に近い状況です。
座席を確保して社務所で受付を行い、祭神である大叔父の名前と僕の名前を記入、御祭祀料を収め「遺族席」に着席します。
10時を過ぎたくらいから座席は埋まり始め、大祭が始まる10:30には200名ほどが参列しました。
今回も9割は年寄りで、僕くらいの方は5名足らずであり、毎回思いますが将来が心配です・・・
10:30になり太鼓の音とともに神官団が入場します。
1、大祭は宮司による「修祓」
2、神官による参列者の「お祓い」
3、参列者全員での「国歌斉唱」
4、「宮司一拝」
5、「宮司、御扉を開きおわして傍らに控す」:宮司が53,257柱の御英霊が神鎮まる御本殿の御扉が開かれます
6、「神饌を供す」:御英霊の御前に懐かしき故郷の餅やお酒などお供えがされます
7、「宮司、祝詞を奏し玉串を奉りて拝礼」:御英霊に対し宮司が感謝と慰霊の祝詞を奏上します
8、「大祭委員長、祭文を奏し玉串を奉りて拝礼」:御英霊に対し大祭委員長(柿原啓志氏)が感謝と慰霊の祭文を奏上します
新緑に香る本日、兵庫縣神戸護國神社の春季慰霊大祭を催行するにあたり謹んで祭文を奏上いたします。
ここに祭祀給う諸霊は明治維新以来祖国日本の内外に勃発した戦役、事變そして先の大東亜戰争に際して勇躍戦列に参加され、赫赫たる武勲を挙げられ不屈の功名を長く歴史に留められました。その功績は例え時が移り世代、世相が代わろうとも我々国民が等しく敬仰申し上げるところであります。
今、我々遺族が幾多の苦難を踏み越え今日に至った道のりを振り返る時、様々な出来事が脳裏をよぎり万感胸に迫り多くの言葉は語れません。時代は急速に移り変わり遺族の減少、高齢化に加えて社会通念の激変や昨今の社会不安等、國神社、護國神社を取り巻く環境は年を負うごとに厳しさを増してきております。しかし、御英霊の慰霊、祭祀を永遠にご奉仕申し上げるために、この難関はどうしても乗り越えなければなりません。
今こそ後に残った我々遺族が一致団結して目前の、そして来るべき将来の諸問題に対処し、御英霊に報御守すべく決意を新たにするものであります。願わくば御英霊がこの御本殿に御心も安らけく神鎮まりまして、祖国の安泰と遺族のうえに限りなき御力を下げたまわらん事を祈念し祭文と致します。
9、「兵庫県遺族会長、祭文を奏し玉串を奉りて拝礼」:御英霊に対し兵庫県遺族会会長岩谷英雄・兵庫県県議-自民)の祭文を代読し奏上します
本日ここ兵庫縣神戸護國神社において戦没者遺家族並びに関係者多数の御参列を頂き、春季慰霊大祭が執り行なわれるにあたり、兵庫県遺族会を代表して謹んで祭文を申し上げます。
思えば諸霊におかれましては先の大戦で幾度かの戦いにおいて過酷の戦火の中、ひたすら祖国の興隆と同胞の安泰を願いつつ、その尊い命を捧げられたのであります。
懐かしい故郷に思いを残しながら再び見えること無く散華された御霊の皆様、そして最愛の肉親を祖国に捧げ深い悲しみと長い苦難の日々に耐え来られた戦没者遺家族、皆様方の筆舌に尽くし難いご苦労を思います時、誠に胸の塞がる思いが致します。
戦後我が国は焼土の中から立ち上がり、平和を国是とし幾多の困難を乗り越え、また国民の弛まぬ努力により目覚しい発展を遂げて参りました。
この平和と豊かな反映が続く中で3月11日、太平洋側を中心に広範囲を襲った未曽有の東日本巨大地震は甚大な被害をもたらし、一瞬にして壊滅的被害、余りの大きさに言葉を失っております。国民は元より世界各国からの支援や激励、改めて支えあう人間の美しさを感じ、今こそ国難に負けること無く、厳しい現実から逃げず、互いに助け合いはげまし合いながら懸命に生き抜いていく事が同じ時代を生きる私たち地球人の使命ではないかと思っております。
人類共通の明るい未来造り、そして二度とあの忌まわしい戦争惨禍を繰り返す事のないようにしなければなりません。終戦後、平和を求める日本の願いがなお平和を確実な物として行く事こそ御霊にお応えする道かと信じております。本日、この大祭にあたり諸霊の払われた犠牲を尊い教訓として深く心に刻み心豊かで平和に暮らせる世界を築き、世界の恒久平和の確立に弛まぬ努力を重ねていくことを固くお誓い申し上げます。終に諸霊のご冥福をお祈り申し上げるますともに、皆様のご健勝とご多幸を心から念願し祭文と致します。
10、「参列者、玉串を奉りて拝礼」:参列の各遺族会代表が玉串を奉典します
11、「電報奉読」
春季慰霊大祭、御催行にあたり謹んで大前を拝み奉りご社頭の弥栄をお祈り申し上げます”(國神社・京極高治宮司)
以下、滋賀縣・大阪・奈良・和歌山縣護國神社、生田・長田・湊川・廣田神社、伊佐那岐神宮、西宮神社、北海道神宮、金刀比羅宮各宮司、日本遺族会・古賀誠他国会議員、周辺自治体長など)
12、「神社本庁幣、並びに神饌を徹す」
13、「宮司、本座に復す」
14、「宮司一拝」
15、「宮司挨拶」
祝詞で奏上申し上げましたが今度の東日本大震災、大津波、そして原発の事故この三重の大災害が発生してから間もなく2ヶ月になろうとしております。連日のように悲惨な様子が報道されております。
そして私はこのニュースを見る時、国のために散華されました御英霊の事を心深く存じ上げる事が毎日でございます。御英霊は灼熱の南方、また極寒の大陸において食べる物はおろか飲む水にも事欠いて戦死されたのでございます。その事をどうか心に刻んでいただきまして先程の大災害の事は決して忘れてはならないように、御英霊の遺徳顕彰、また慰霊祭祀は50年経とうが100年経とうが続けなければなりません。
そういう意味で御遺族の方、またご参列の方に当護國神社に絶大なるお力を頂きますよう心からお願いを申し上げます。
また、現実大変な事件が発生しておりますが、皆様方におかれましてはお健やかにお暮らし頂きまして11月6日の秋の大祭を始め1度でも多く当神社にご参拝頂きまして、御英霊をお慰め申し上げ頂きたいと存じ上げます。

~久保田梅継・兵庫縣神戸護國神社宮司
15、「大祭委員長挨拶」(柿原啓志氏)
と進みました。
式典終了後、拝殿にて参拝、参拝終了後は本殿地下の霊殿を参拝し御神酒を戴き大祭を終了しました。

~霊殿
今回も挨拶を述べられた久保田宮司、柿原大祭委員長は異口同音に「英霊の遺徳を敬仰し顕彰することは何年経とうがして行かなくてはならない。しかし、靖國神社と護國神社をとりまく環境は年々厳しい状況(支える遺族の高齢化、政治家の無知無能無策)になっている」。と言われていました。
全くその通りだと思います。
今回の参列者も30代は5%にも満たず、ほぼ70代位と見受けられました。
大祭はいつもこのような年齢層ですが、8月15日の参拝は辛うじて若い方も見られるのですが先細りは否めません。
僕は遺族会は大元の日本遺族会の考え方は一部賛同できないものがあり、上掲の兵庫県遺族会の祭文も違和感を覚え英霊に対する考え方が若干異なるので入る気はありません。
一方、靖國神社の崇敬奉賛会は僕の英霊に対する考え方と同じなので迷いなく入会しています。
神戸護國神社も10年後の遺族の状況は分かっていると思いますので、遺族として間接に支える体制から、他の一部の護國神社が始めているように崇敬奉賛会を造り直接支える方向にしていく方が良いと思うのですが。
奉賛会は造るのが大変なのでしょうか?
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