当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大坂城周辺の陸軍施設

我が大阪市の象徴とも言える大坂城(大阪城)ですが、他の大城郭同様に数多くの陸軍施設が設置されていました。
大阪城復興天守(大阪陸軍遺構)
▲昭和6(1931)年11月7日に復興された大坂城天守





大阪府は我が国の中央に位置し、国内の有事に対応するには最適という地政学的見地から、近代陸軍の創設者・大村永敏(益次郎)卿は大阪に陸軍の教育機関、兵器製造所、火薬製造所、兵営の一括設置を構想します。
大村益次郎永敏卿(大阪陸軍遺構)
▲大村益次郎永敏卿

明治維新に伴い新政府に移管された大坂城は広大な敷地を有している事もあり、大村卿の構想により早くから陸軍関連の施設、部隊が設置されていきました。

歴史が長いため部隊や施設の移転も多く、資料によっては時代により変遷する配置場所が混同されている物もあり、非常に混乱しています。
そこで、遺構紹介に入る前に当時の地図・空撮を参考に施設の推移を整理していきたいと思います。
尚、掲載した地図の( )内は発行年ですが、測量されたのは発行年の数年前であり発行年には新設された施設、建物等が記入されていない物があります。

明治5(1872)年頃
明治5 (2)(大阪陸軍遺構)
▲『大阪市中地區甼名改正繪圖』(明治5年)
  江戸期の地図同様に、城内の詳細は描かれず「御城」とのみ記述されています。

明治5(大阪陸軍遺構)
▲上掲地図を現在の地図に写したもの
① 大阪鎭臺本營 ・・・ 明治4(1871)年8月2日、開設
② 大阪鎭臺病院 ・・・ 明治3(1870)年2月、大阪軍事病院として開院、明治4年8月2日、改称
③ 大阪鎭臺陸軍裁判所囚獄 ・・・ 明治5(1872)年、開設
④ 大阪鎭臺歩兵營
⑤ 火藥庫
⑥ 大阪鎭臺歩兵營
⑦ 大阪鎭臺砲兵營
⑧ 調練場
⑨ 大砲製造所 ・・・ 明治3(1870)年2月3日、造兵司として開設
⑩ 眞田山埋葬地 ・・・ 明治4(1871)年4月10日、開設
※水色部分は現在は埋め立てられた猫間川と堀

大阪鎭臺
明治元(1868)年6月、明治新政府に帰順した大坂城附の与力、同心により大阪府兵が編成され市中警邏および川口居留地の警備に当たりました。
8月、浪花隊と命名されますが、明治3(1870)年8月、解隊され大阪府番卒が任務を引き継ぎます。

明治2(1869)年7月8日、官制改革により兵部省が新設、各地に出張所が置かれ、11月13日、『徴兵規則』制定により各藩より兵卒が召集され各出張所に配置されました。
明治3(1870)年11月、大坂城千貫櫓内に大阪出張所が設置され大阪砲兵隊を創設、その後歩兵隊、騎兵隊等が暫時編成され、明治4(1871)年6月には、歩兵隊755名、騎兵隊147名、砲兵隊255名、造築隊192名、喇叭隊72名の計1,481名となり大阪兵隊と呼称しました。
明治4年1月、京都出張所が廃止され、同所伏見兵隊の歩兵隊845名が大阪出張所管下に編入されます。
7月14日、廃藩置県が実施され、8月2日、全国一律の兵制が可能となったことから東京、仙台、熊本と並び大阪鎭臺が創設され、大阪城本丸に本営、小浜に第一分営、高松に第二分営が設置されます。
鎭臺創設に伴い大阪兵隊は解隊、10月、兵部省大阪出張所も廃止されます。
大阪鎭臺の兵力は本営:常備歩兵5個大隊、第一分営:常備歩兵1個大隊、第二分営:常備歩兵1個大隊でしたが、徴兵制は未施行のため過渡的な手段として元大阪兵隊、藩兵等を召集して充当しました。
11月、各鎭臺は兵部卿の隷下に編入されます。

明治6(1873)年1月10日、『徴兵令』が施行され、各鎭臺は暫時充足されていきました。

大阪鎭臺病院
鎮台病院(大阪陸軍遺構)
▲南西から見た大阪鎭臺病院(時期不明) ※遺構無し

明治3(1870)年2月、大坂城玉造門内(蓮如上人袈裟かけの松の北側)に大阪軍事病院が開院します。
院内には軍醫學校が併設され、オランダ軍軍醫アントニウス・ボードウィンにより病院事務および医学の指導が行われました。

明治4(1871)年、軍醫學校は東京府戸山山荘に移転、8月2日、大阪鎭臺の創設に伴い、大阪軍事病院はと大阪鎭臺病院に改称します。

大阪鎭臺陸軍裁判所囚獄
明治2(1869)年、兵部省内に糺問司が、大阪に糺問司出張所が開設されます。
明治4(1871)年、囚人を収監する徒刑場が開設されます。
明治5(1872)年、糺問司、同出張所は廃止され、各鎭臺陸軍裁判所が開設されたのに伴い、徒刑場は大阪鎭臺陸軍裁判所囚獄と改称します。
明治16(1883)年8月4日、陸軍裁判所は廃止され各鎭臺軍法會議に改編されたため、10月22日、大阪鎭臺陸軍裁判所囚獄は大阪陸軍監獄署と改称、明治26(1893)年9月15日、大阪陸軍監獄署は大阪衛戍監獄、大正12(1923)年4月1日、大阪衛戍刑務所、昭和15(1940)年7月31日、大阪陸軍刑務所と改称されます。

大阪兵學寮陸軍學舎(青年、幼年學舎)
兵学寮(明治20)(大阪陸軍遺構)
▲大阪兵學寮青年學舎(明治20年) ※遺構無し

明治元(1868)年8月、京都に京都兵學校(明治2年1月、京都兵學所に改称)が開設され、華族、士族の子息を中心に兵学、練兵、建築、会計等を教授します。

明治2(1869)年9月、京都の兵學所は規模が狭小だった事から大坂城京橋口門内(④の場所)に陸軍士官を養成するためフランス式の学舎を建築、機能を京都から移転し、大阪兵學寮青年學舎が開設されます。

12月及び明治3(1870)年1月、大阪兵學寮青年學舎に青年生徒33名が入学し歩兵・騎兵・砲兵科の士官養成を開始、4月、建築科(工兵科)の士官養成も開始されます。

明治2(1869)年5月、横浜に将校の候補者を養成するため開設された横浜語學所(江戸幕府の陸軍学校)が明治3(1870)年5月、大坂城多門櫓内に在来生徒35名とともに移転して来ます(生徒を幼年生徒、学舎を大阪兵學寮幼年學舎と呼称)。
大阪兵學寮青年學舎、大阪兵學寮幼年學舎を大阪兵學寮陸軍學舎と総称しました。
4月、『兵學寮青年規則』、『幼年學舎規則』が制定されます。

明治3(1870)年閏10月19日、『陸軍兵學令』が制定され「兵學寮は陸海軍の士官を養成する事を目的とし、青年學舎は年長者に術科を教授し士官を速成、幼年學舎は年少者に基礎教育を教授し本格的な士官を養成する」と規定します。
同時に各藩に石高に応じた生徒数を割り当て陸軍生徒ととして兵學寮に派遣するよう命じました(幼年學舎の生徒数は130余名となります)。

明治2(1869)年7月8日、兵部省の新設に伴い、京都府河東郡(福知山)に陸軍下士官を養成するべくフランス式軍学を修めた旧幕臣を教官として、長門・岡山両藩から召集された伝習生を教育する傳習所を開設します。
明治3(1870)年4月、傳習所は大坂城玉造口門付近に移転、大阪教導隊と改称します(明治4年12月、東京に移転し教導團に改称)。

明治3(1870)年11月、海軍操練所(東京築地)が海軍兵學校に改称したのに伴い、大阪兵學寮は陸軍兵學寮と改称します。
明治4(1871)年12月10日、陸軍兵學寮は東京府に移転、明治7(1874)年12月、陸軍士官學校に改称します。

大砲製造所
明治3(1870)年2月3日、大坂城三之丸米蔵付近、及び皇城(旧江戸城)竹橋内に旧幕府長崎製鉄所の工作機械および技師、職工を移転し兵部省直轄の造兵司が開設されます。
4月13日、大阪の造兵司は大坂城青屋口門内中仕切番所を仮庁として事務を開始、7月、皇城内の造兵司と分離し大阪造兵司と改称します。
明治5(1872)年2月28日、兵部省の廃止、陸軍省の発足に伴い、3月8日、大砲製造所と改称します。
明治8(1875)年2月8日、組織改正により砲兵第二方面内砲兵支廠と改称、和歌山火工所が管下に編入されます。
明治12(1879)年6月、砲兵第二方面の砲兵第二方面本署への改称に伴い、砲兵第二方面内砲兵支廠も砲兵第二方面本署内砲兵支廠に改称します。
10月10日、『砲兵工廠条例』が制定され、陸軍省達乙七十四號より大阪砲兵工廠と改称します。
大正12(1923)年4月1日、『陸軍造兵廠令』が制定され、東京・大阪の両砲兵工廠は合併、陸軍造兵廠大阪工廠に改称します。
昭和15(1940)年4月1日、陸軍兵器本部の設置に伴い大阪陸軍造兵廠に改称します。


明治18(1885)年~23(1890)年頃
明治18 (2)(大阪陸軍遺構)
▲『大阪化製地形圖』(明治18年)

明治19(23発行)(大阪陸軍遺構)
▲『大阪實測圖』(明治19年)

明治21(大阪陸軍遺構)
▲『大阪實測圖』(明治21年)

明治18(大阪陸軍遺構)
▲上掲地図を現在の地図に写したもの
① 第四師團司令部 ・・・ 明治21(1888)年5月14日、大阪鎭臺本營から改編
②  ・・・ 
③ 大阪陸軍監獄署 ・・・ 明治16(1883)年10月22日、大阪鎭臺陸軍裁判所囚獄から改称
④ 輜重兵第四大隊 ・・・ 明治9(1876)年4月、輜重兵第四小隊として編成、明治20(1887)年4月、大隊に改編
⑤ 歩兵第十聯隊本営 ・・・ 明治7(1874)年、5月4日編成
⑥ 火藥庫
⑦ 歩兵第八聯隊兵営 ・・・ 明治7(1874)年5月14日、大阪鎭臺第十大隊と第十四大隊から編成
⑧ 操練場
⑨ 歩兵第八聯隊本営 ・・・ 明治7(1874)5月14日、編成
⑩ 歩兵第七旅團司令部 ・・・ 明治21(1888)年5月12日、開設
   大阪大隊區司令部 ・・・ 明治21(1888)年5月18日、旅團司令部内に開設
⑪ 砲兵第四聯隊 ・・・ 明治8(1875)年5月、大阪鎭臺砲兵隊から大隊、明治17(1884)年5月24日、大隊から改編、明治22(1889)年3月、野戰砲兵第四聯隊に改称
⑫ 工兵第四方面本署
⑬ 大阪衛戍病院 ・・・ 明治19(1886)年9月、陸軍副病院として設置、大阪鎭臺病院の全機能を移転し、明治21年11月29日、改編
⑭ 大阪偕行社 ・・・ 明治9(1876)年6月、江戸堀上通1丁目に「博交社」設置、明治15(1882)年1月、「大阪偕行社」と改称、明治20(1887)年1月8日、新築移転
⑮ 大阪偕行社付属小學校 ・・・ 明治21(1888)年4月3日、開校
⑯ 大阪砲兵工廠 ・・・ 明治12(1879)年10月10日、砲兵第二方面内砲兵支廠から改称
⑰ 操練場
⑱ 眞田山埋葬地
⑲ 騎兵第四大隊 ・・・ 明治22(1889)年、東京より移転

※大阪鎭臺本營は当初、本丸に新築された木造庁舎を使用しましたが、明治18(188)5年、大坂城本丸一帯に和歌山城二之丸御殿の白書院、黒書院、遠侍の3棟が移築(紀州御殿)され、鎭臺本營として使用されます。
紀州御殿(大阪陸軍遺構)
▲大坂城に移築された紀州御殿 ※遺構無し

紀州御殿(昭和5)(大阪陸軍遺構)
▲紀州御殿(昭和5年)

紀州御殿は大阪鎭臺が第四師團に改編後も継続使用されましたが、昭和6(1931)年3月22日、大阪府民の寄付により鉄筋コンクリート製の第四師團司令部庁舎が落成、司令部は新庁舎に移転し、紀州御殿は大阪市に移管され迎賓館として使用されます。
昭和7(1932)年11月11~14日、大和・河内地方で開催された陸軍特別大演習に際し、天皇陛下(昭和帝)の行幸を賜り、昭和8(1933)年、天臨閣と改称します。
紀州御殿(明治20、31行幸)(大阪陸軍遺構)
▲紀州御殿内の御座所

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、9月29日、米軍に接収され、昭和22(1947)年9月12日、米軍の失火により全焼してしまいます。


明治30(1897)年頃
明治30 (2)(大阪陸軍遺構)
▲『大阪市全圖』(明治30年)

明治30(大阪陸軍遺構)
▲上掲地図を現在の地図に写したもの
① 第四師團司令部
② 第四師團監督部 ・・・ 明治19(1886)年3月9日、、師團司令部内に開設、明治22(1889)年5月、旧鎭臺病院へ移転、
③ 大阪衛戍監獄 ・・・ 明治26(1893)年9月15日、大阪陸軍監獄署から改称
④ 輜重兵第四大隊
⑤ 陸軍用地
⑥ 大阪陸軍兵器本廠 倉庫
⑦ 大阪城南射的場
⑧ 大阪城南練兵場
⑨ 歩兵第二十聯隊 ・・・ 明治18(1885)年5月2日、編成
⑩ 歩兵第八聯隊
⑪ 歩兵第七旅團司令部
   大阪聯隊區司令部 ・・・ 明治29(1896)年4月1日、大隊區司令部から改称
⑫ 野戰砲兵第四聯隊
⑬ 大阪陸軍兵器本廠・輜重隊用地 ・・・ 明治12(1879)年6月、砲兵第二方面から砲兵第二方面本署が分離、明治30(1897)年9月15日、砲兵第二方面本署から改称、明治31(1898)年5月10日、京橋口から移転
⑭ 輜重隊用地
⑮ 工兵方面本廠
⑯ 大阪衛戍病院
⑰ 大阪偕行社
⑱ 大阪偕行社付属小學校
⑲ 大阪砲兵工廠
⑳ 練兵場
㉑ 新練兵場
㉒ 眞田山陸軍埋葬地 ・・・ 明治30(1897)年8月17日、眞田山埋葬地から改称
㉓ 騎兵第四聯隊 ・・・ 明治29(1896)年、大隊より改編


大正3(1914)年頃
大正3 (2)(大阪陸軍遺構)
▲『大阪市街圖』(大正3年)

大正3(大阪陸軍遺構)
▲上掲地図を現在の地図に写したもの
① 第四師團司令部
② 大阪衛戍監獄
③ 大阪陸軍兵器支廠 櫻門前兵器庫
④ 大阪陸軍兵器支廠 ・・・ 明治36(1903)年5月1日、大阪陸軍兵器本廠から改称、大正2(1913)年5月29日、大手門前から移転
⑤   〃    城内西兵器庫
⑥   〃    城内北兵器庫
⑦   〃    青屋口門兵器庫
⑧ 第四師團経理部 ・・・ 明治35(1902)年1月30日、第四師團監督部から改編
⑨ 第四師團軍樂隊 ・・・ 明治21(1888)年3月6日、配備
⑩ 大阪城南陸軍射撃場
⑪ 歩兵第八聯隊
⑫ 大阪陸軍被服支廠 ・・・ 明治36(1903)年10月1日、陸軍被服廠(東京)において事務開始、明治37(1904)年5月3日、移転
⑬    〃   被服倉庫
⑭ 歩兵第三十七聯隊 ・・・ 明治31(1898)年12月1日、編成
⑮ 野砲兵第四聯隊 ・・・ 明治40(1907)年10月9日、野戰砲兵第四聯隊から改称、大正7(1918)年11月24日、信太山に転営
⑯ 歩兵第七旅團司令部
⑰ 大阪聯隊區司令部
⑱ 大阪陸軍兵器支廠 大手門前兵器庫・第四師團兵器部 大手門前倉庫 ・・・ 大正7(1918)年6月1日、開設
⑲ 大阪陸軍地方幼年學校 ・・・ 明治30(1897)年4月1日、開校、大正11(1922)年3月31日、閉校
⑳ 第四師團長官舎
㉑ 輜重兵第四大隊 ・・・ 大正9(1876)年5月24日、⑮に転営、大正10(1921)年11月19日、跡地は内務省を通じ大阪府に売却
㉒ 第四師團乗馬厩
㉓ 大阪衛戍病院
㉔ 大阪偕行社
㉕ 大阪偕行社付属小學校
㉖ 大阪砲兵工廠
㉗ 大阪城東陸軍練兵場
㉘ 眞田山陸軍埋葬地
㉙ 騎兵第四聯隊

第四師團軍樂隊
明治21(1888)年2月28日 大阪鎭臺に第三軍樂隊の配属が決定し、3月6日、大阪鎭臺軍樂隊が着任します。
8月2日、大阪鎭臺は廃止され、第四師團に改編されたのに伴い第四師團軍樂隊に改称します。
大正12(1923)年3月25日、第二次軍備整理(山梨軍縮)により第四師團軍樂隊の廃隊が決定、天王寺音樂堂において告別演奏會を実施します。
6月1日、元隊員有志により大阪市音樂隊として創立します。
昭和9(1934)年4月1日、大阪市直営となり、団員は大阪市職員になります。
昭和21(1946)年6月22日、大阪市音楽団に改称し、現在に至ります。

大阪陸軍地方幼年學校
大阪陸軍幼年學校 (明治期)
▲大阪陸軍地方幼年學校(明治期) ※遺構無し

明治29(1896)年5月15日、『陸軍幼年學校条例』が廃止、『陸軍中央幼年學校条例』及び『陸軍地方幼年學校条例』が制定され、明治30(1897)年4月1日、東京に陸軍中央幼年學校、その下級学校として東京、大阪(大手前、⑲の位置)、仙台、名古屋、広島、熊本に陸軍地方幼年學校が開校します。
卒業生は陸軍中央幼年學校に進学し2年間の教育を受け、卒業後は士官候補生として各部隊で下士兵卒の隊附勤務を半年程度務め、陸軍士官學校に進学しました。

大正9(1920)年8月7日、『陸軍幼年學校令』が制定され、10日、大阪陸軍幼年學校に改称します。
大正11(1922)年3月31日、世界的な軍縮の煽りを受けて閉校されました。

昭和11(1936)年4月1日、廣島、昭和12(1937)年4月1日、仙臺、昭和14(1939)年4月1日、熊本、昭和15(1940)年4月1日、南河内郡千代田村(現、河内長野市)に大阪陸軍幼年學校が新築復校、44期生150名が入校します。


昭和4(1929)年頃
昭和3-(大阪陸軍遺構)
▲昭和3年10月の空撮

昭和4 (2)(大阪陸軍遺構)
▲『修正測圖 大阪首部』(昭和4年)

城外西側の輜重兵営は大阪府に払い下げられ、跡地に大正15(1926)年11月、西区江之子島から大阪府庁が、大正12(1923)年4月、梅田町(現、大深町)から大手前高等女學校が移転して来ました。
大阪府庁(大阪陸軍遺構)
▲新築された大阪府庁(手前)と大手前高女(その左)

昭和4(大阪陸軍遺構)
▲上掲地図を現在の地図に写したもの
① 第四師團司令部
② 大阪衛戍刑務所 ・・・ 大正12(1923)年4月1日、大阪衛戍監獄から改称
③ 大阪陸軍兵器支廠 櫻門前兵器庫
④ 大阪陸軍兵器支廠
⑤       〃      城内西兵器庫
⑥       〃      城内北兵器庫
⑦       〃      青屋口門兵器庫
⑧       〃      玉造門兵器庫
⑨ 大阪城南陸軍射撃場
⑩ 歩兵第八聯隊
⑪ 大阪陸軍被服支廠
⑫       〃      被服倉庫
⑬ 歩兵第三十七聯隊
⑭ 輜重兵第四大隊 ・・・ 昭和9(1934)年3月22日、金岡に転営、跡地は新規編成歩兵聯隊の臨時兵舎に転換
⑮ 大阪憲兵隊本部 ・・・ 大正6(1917)年3月10日、新築移転
⑯ 歩兵第七旅團司令部
⑰ 大阪聯隊區司令部
⑱ 大阪陸軍兵器支廠 大手門前兵器庫・第四師團兵器部 大手門前倉庫・大阪陸軍官舎
⑲ 第四師團長官舎
⑳ 大阪衛戍病院
㉑ 大阪偕行社
㉒ 大阪偕行社付属小學校
㉓ 大阪砲兵工廠
㉔ 大阪城東陸軍練兵場
㉕ 第四師團経理部 糧秣倉庫
㉖ 眞田山陸軍埋葬地
㉗ 騎兵第四聯隊 ・・・ 昭和7(1932)年3月16日、金岡に転営


昭和11(1936)年頃
昭和11-1(大阪陸軍遺構) 昭和11-2(大阪陸軍遺構)
▲『最新の東區』、『最新の東成區』(昭和11年)

昭和11(大阪陸軍遺構)
▲上掲地図を現在の地図に写したもの
① 第四師團(留守第四師團)司令部 ・・・ 昭和15(1940)年8月1日、中部軍の新編に伴い、昭和16(1941)年1月、②の辺りに移転
② 大阪陸軍刑務所 ・・・ 昭和15(1923)年7月31日、大阪衛戍刑務所から改称、9月26日、中河内郡大戸村(現、東大阪市石切町)に移転
③ 大阪陸軍兵器補給廠 櫻門前兵器庫
④ 大阪陸軍兵器補給廠 ・・・ 昭和15(1940)年3月30日、大阪陸軍兵器支廠から改称
⑤       〃      城内西兵器庫
⑥       〃      城内北兵器庫
⑦       〃      青屋口門兵器庫
⑧       〃      玉造門兵器庫
⑨ 大阪城南陸軍射撃場
⑩ 歩兵第八聯隊(歩兵第八聯隊留守隊)
⑪ 大阪陸軍被服支廠
⑫      〃      被服倉庫
⑬ 歩兵第三十七聯隊(歩兵第三十七聯隊留守隊)
⑭ 第四師團経理部・同兵器部 大手門前倉庫・同厩舎
⑮ 大阪憲兵隊本部
⑯ 歩兵第七旅團司令部 ・・・ 昭和15(1940)年7月30日、第四歩兵團司令部に改編
⑰ 大阪聯隊區司令部
⑱ 第四師團経理部 大手前之町倉庫・同兵器部 大手門前倉庫・同厩舎
⑲ 堺聯隊區司令部 ・・・ 昭和10(1930)年7月9日、堺市から移転
⑳ 第四師團(留守第四師團)長官舎
㉑ 大阪陸軍病院 ・・・ 昭和11(1936)年11月10日、大阪衛戍病院から改称
㉒ 大阪偕行社
㉓ 大阪軍人會館 ・・・ 昭和12(1937)年6月30日、竣工
㉔ 大阪偕行社付属小學校
㉕ 大阪砲兵工廠
㉖ 大阪城東陸軍練兵場 ・・・ 昭和15(1940)年1月14日、盾津に移転
㉗ 第四師團経理部 糧秣倉庫
㉘ 大阪陸軍被服支廠 城東検査場
㉙ 眞田山陸軍墓地 ・・・ 昭和13(1938)年5月5日、眞田山陸軍埋葬地から改称
㉚ 陸軍用地
※黄色部分は大坂城天守復興に伴う一般人進入可能地域

城東練兵場(昭和11)(大阪陸軍遺構)
▲大阪城東陸軍練兵場
  当時(昭和11年)は格納庫も設けられ飛行場としても利用されていました。


昭和20(1945)年 停戦時頃
大阪陸軍造兵廠200525(大阪陸軍遺構)
▲昭和20年5月25日 米軍空撮

大阪市中心231230(大阪陸軍遺構)
▲昭和23年12月30日(国土地理院 USA-R500-32

昭和20(大阪陸軍遺構)
▲上掲写真を現在の地図に写したもの
① 第十五方面軍司令部・中部軍管區司令部 ・・・ 昭和20(1945)年2月1日、中部軍司令部から改編
② 第三十五航空情報隊 ・・・ 昭和20(1945)年6月12日、中部軍航空情報部を改編
③       〃       宿舎
④ 大阪師管區司令部 ・・・ 昭和20(1945)年4月1日、留守第四師團から改編、庁舎は昭和20(1945)年8月14日、空襲焼失
⑤ 大阪陸軍兵器補給廠 櫻門前兵器庫
⑥ 大阪陸軍兵器補給廠
⑦       〃      城内西兵器庫
⑧       〃      城内北兵器庫
⑨       〃      青屋口門兵器庫
⑩       〃      玉造門兵器庫
   大阪師管區経理部 玉造門前倉庫
⑪ 大阪城南陸軍射撃場
⑫ 大阪師管區 歩兵第一補充隊(旧歩兵第八聯隊補充隊)
       〃  通信隊補充隊
⑬ 大阪陸軍被服支廠
⑭      〃      被服倉庫
⑮ 大阪師管區 歩兵第二補充隊(旧歩兵第三十七聯隊補充隊)
⑯ 大阪師管區 経理部・同兵器部 大手門前倉庫・同厩舎
⑰ 中部憲兵隊司令部 ・・・ 昭和20(1945)年8月11日、本町4の伊藤萬のビルに疎開移転
⑱ 陸軍用地
⑲ 大阪聯隊區司令部跡 ・・・ 昭和16(1941)年11月1日、廃止された堺聯隊區司令部が跡地に移転、昭和19(1944)年10月1日、帝塚山學院に疎開移転、昭和20(1945)年2月6日、大阪地區司令部が併設
⑳ 大阪師管區経理部 大手前之町倉庫・同兵器部 大手門前倉庫・同厩舎
㉑ 大阪師管區司令官官舎
㉒   〃    副官官舎
㉓ 大阪陸軍病院 大手前分院・・・ 昭和18(1943)年、大阪陸軍病院から改称、昭和20(1945)年6月7日、空襲焼失
㉔ 大阪偕行社 ・・・ 昭和20(1945)年6月7日、空襲焼失
㉕ 大阪軍人會館
㉖ 大阪偕行社學院 ・・・ 昭和16(1941)年4月1日、付属小學校から改称
㉗ 大阪陸軍造兵廠 ・・・ 昭和15(1940)年4月1日、大阪砲兵工廠から改称
㉘ 大阪陸軍被服支廠 城東検査場
㉙ 眞田山陸軍墓地 
㉚ 高射砲陣地(高射第三師團高射砲第百二十二聯隊第六中隊陣地)?

※支那事變以降の地図からは防諜のため軍事施設が全て無表記になるため、各種資料から一部推定しています。


主要参考文献
大阪市中地區甼名改正繪圖』 (明治5年 書籍會社)

『大阪化製地形圖』 (明治18年 測量)

『大阪実測圖』 (明治19年 内務省)

『大阪実測圖』 (明治21年 内務省)

『大阪市全圖』 (明治30年)

『大阪市街圖』 (大正3年)

『修正測圖 大阪首部』 (昭和4年)

『最新の東區』『最新の東成區』 (昭和11年7月調)

『描かれた大坂城・写された大阪城』 (平成20年8月 大阪城天守閣特別事業委員会)

Japanese Air Target Analyses』米軍戦略爆撃調査団空襲目標計画

『昭和23年12月30日 米軍空撮』 (国土地理院)

『大阪衛戍衛兵特別守則』 (明治44年11月 第四師團圖所印刷所 越後屋至誠堂)

『日本憲兵正史』 (昭和51年 全国憲友会連連合会編纂委員会)

『明治大正大阪市史 第一巻 概説篇』 (昭和9年4月 大阪市役所)

『昭和大阪市史続編 第二巻 行政編』 (昭和40年3月 大阪市役所)

『新修大阪市史第七巻 近代Ⅲ』 (平成6年3月 大阪市役所)

『住吉区誌 分区十周年記念』 (昭和28年7月 住吉区役所)

『帝塚山学院四十年史』 (昭和31年11月 帝塚山学院四十年史編集委員会)

『帝塚山学院創立六十周年記念誌』 (昭和51年 創立六十周年記念誌編集委員編)

『よみがえる日本の城 1』 (平成16年6月 学習研究社)

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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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