当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大阪陸軍被服支廠

難波宮跡公園の東側、法円坂住宅一帯に大阪陸軍被服支廠がありました。

被服支廠南側の石垣と壁(大阪陸軍遺構)
▲法円坂住宅に遺るコンクリート塀

【探索日時】
平成23年4月25日






大坂城周辺の陸軍部隊、官衙配置
昭和3-(大阪陸軍遺構)
▲昭和3(1929)年の空撮

昭和11(大阪陸軍遺構)
▲現在の地図に軍事施設を転写 ※黄色部分は大坂城天守復興に伴う一般開放地域
① 第四師團司令部
② 大阪陸軍刑務所
③ 大阪陸軍兵器補給廠 櫻門前兵器庫
④ 大阪陸軍兵器補給廠
⑤       〃      城内西兵器庫
⑥       〃      城内北兵器庫
⑦       〃      青屋口門兵器庫
⑧       〃      玉造門兵器庫
⑨ 大阪城南陸軍射撃場
⑩ 歩兵第八聯隊
⑪ 大阪陸軍被服支廠
⑫      〃      被服倉庫

⑬ 歩兵第三十七聯隊
⑭ 第四師團経理部・同兵器部 大手門前倉庫・同厩舎
⑮ 大阪憲兵隊本部
⑯ 歩兵第七旅團司令部
⑰ 大阪聯隊區司令部
⑱ 第四師團経理部 大手前之町倉庫・同兵器部 大手門前倉庫・同厩舎
⑲ 堺聯隊區司令部
⑳ 第四師團長官舎
㉑ 大阪陸軍病院
㉒ 大阪偕行社
㉓ 大阪軍人會館
㉔ 大阪偕行社付属小學校
㉕ 大阪砲兵工廠
㉖ 大阪城東陸軍練兵場
㉗ 第四師團経理部 糧秣倉庫
㉘ 大阪陸軍被服支廠 城東検査場
㉙ 眞田山陸軍墓地
㉚ 陸軍用地
※施設配置・名称は昭和15(1940)年頃
※緑文字が当記事の紹介施設



遺構について (カタカナ、アルファベットは上掲地図参照)
⑬ 大阪陸軍被服支廠
大阪府は我が国の中央に位置し、国内の有事に対応するには最適という地政学的見地から、近代陸軍の創設者・大村永敏(益次郎)卿は大阪に陸軍の教育機関、兵器製造所、火薬製造所、兵営の一括設置を構想します。
明治維新に伴い新政府に移管された大坂城は広大な敷地を有している事もあり、大村卿の構想に則り陸軍部隊が設置されていきます。

大坂城南側は御定番(大坂城の警備)、同心、与力屋敷がありましたが、明治維新に伴う武士の退去により明治4(1872)年、明治政府に移管、建物は撤去され大阪城南練兵場(調練場、操練場とも)が開設されます。
明治36(1903)年10月1日、陸軍被服廠内(東京)において陸軍被服廠大阪支廠が事務を開始、大阪城南練兵場に庁舎が竣工したのに伴い、明治37(1904)年5月3日、東京から移転して来ます。
明治41(1908)年3月3日、陸軍被服廠大阪支廠は大阪陸軍被服支廠に改編されます。
昭和7(大阪陸軍遺構)
▲北西から見た大阪陸軍被服支廠 (昭和7(1932)年)

昭和20(1945)年6月7日、第二次大阪大空襲により本部庁舎と鉄筋コンクリート製倉庫を除き殆ど全焼してしまい、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えます。

28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により大阪陸軍被服支廠は大蔵省に移管、大阪財務局の管理下におかれ、昭和32(1957)年、南側19,736坪が大阪市住宅協会(現、大阪市住宅供給公社)に払い下げられ市営住宅に、北側の焼失を逃れた倉庫は大阪郵政局、貯金局に払い下げられ倉庫として転用されます。
昭和37(1962)年、敷地北側に中央大通が貫通(昭和45年、竣工)し分断、現在、北側はホテル、NTT等に、南側は法円坂住宅等になっています。

15年程前まで郵政省の倉庫としてコンクリート造の被服倉庫が遺されていましたが、残念ながら破壊されてしまいました。
被服倉庫(大阪陸軍遺構)
▲最後まで遺されていた被服倉庫


C 塀・石垣
法円坂住宅の南東隅にコンクリート塀と石垣が遺されています。
塀は控え柱の入れ方、セメントの質などから当時の物と思われます。
被服支廠南側の石垣と壁(大阪陸軍遺構)


⑭ 大阪陸軍被服支廠 被服倉庫
こちらも中央大通により敷地が南北に分断されています。
現在はマンション、大阪府監察医事務所、マンションになっています。
被服支廠同様に南東側に土止めの石垣がありますが、よく見ると樹脂製の水抜きがあるので、戦後の物かも知れません。
D 石垣
被服倉庫(森ノ宮)南・東側の石垣?(大阪陸軍遺構)


㉘ 大阪陸軍被服支廠 城東検査場
大東亜戦争の長期化に伴い被服廠は一部の物品製造を民間業者に委託します。
検査場では民間業者からの納入製造品の検査、管理を行っていました。

現在は府立成人病センター、同健康科学センター、公衆衛生研究所、犬管理指導所、環境情報プラザ、大阪府警単身寮になっています。

大阪府警単身寮の門が何となく古い造りですが、当時の空撮を見ると該当箇所に入口の様な形跡がないので、単に老朽化した門かも知れません。
被服支廠森ノ宮検査場の門柱(関係無い?)(大阪陸軍遺構)


大阪陸軍被服支廠 略歴
被服廠では陸軍被服品(軍服、軍靴、外套、襦袢等の被服から、背嚢、毛布、軍隊手帳等の雑貨類)及びその修理機材の製造、購入、修理、貯蔵、調査、研究、試験を行い各部隊に補給を実施、幹部候補生、縫製工の教育を行いました。

明治5(1873)年2月28日、『陸軍省条例』が制定され、陸軍省、海軍省が設置され、陸軍省会計局貯蔵係が発足、被服諸品の保管・出納を管掌します。

明治12(1880)年10月10日、『陸軍職制』が制定され貯蔵係は被服課に改称します。

明治23(1890)年3月18日、『陸軍被服廠工長學舎條例』が制定され、陸軍被服廠工長學舎が開設され、縫工長・靴工長の養成が開始されます。

3月27日、勅令第五十八號『陸軍被服廠條例』が制定され、陸軍省會計局管下に独立した官衙として東京本所區(現、墨田区)に陸軍被服廠が開廠します。

明治36(1903)年10月1日、陸軍被服廠内において陸軍被服廠大阪支廠が事務を開始、明治37(1904)年5月3日、大阪城南練兵場に庁舎が竣工したのに伴い、東京から移転します。

明治38(1905)年6月17日、陸軍被服廠廣島派出所が陸軍被服廠内において開設(8月11日、広島に移転)します。
明治41(1908)年3月3日、勅令第二十三號『陸軍被服廠條例』改正により陸軍被服廠は陸軍被服本廠、陸軍被服廠大阪支廠は大阪陸軍被服支廠、陸軍被服廠廣島出張所は廣島陸軍被服支廠に改称し、陸軍大臣の隷下となります。

大正3(1914)年9月2日、陸軍被服本廠門司派出所が開設します。

大正8(1919)年11月4日、陸軍被服本廠敦賀派出所が開設します。

昭和13(1938)年1月31日までに陸軍被服本廠札幌、仙臺派出所、大阪陸軍被服支廠善通寺派出所が開設されます。

昭和14(1939)年8月、滿洲に奉天陸軍被服支廠が開設します。

昭和15(1940)年5月10日までに陸軍被服本廠新潟、大阪陸軍被服支廠神戸、廣島陸軍被服支廠倉敷、今治派出所が開設され、各派出所は出張所に改称します。

昭和15(1940)年5月、陸軍被服本廠行田(埼玉)、大阪陸軍被服支廠名古屋、廣島陸軍被服支廠久留米両出張所が開設されます。

昭和17(1942)年12月10日、倉敷出張所は大阪陸軍被服支廠に移管されます。

昭和20(1945)年4月、仙臺・東京に各陸軍被服支廠が開設、名古屋・福岡(旧久留米)は支廠に昇格します。

4月1日、大阪陸軍被服支廠は三田中學(現、三田学園中・高等学校)を借り受け疎開を開始、西館階下に庶務係、記念館に会計係、講堂に調達部、東館に倉庫部を開設し縫製機材など全機能を移転、四条畷高等女學校(現、四条畷学園小・中・高等学校)を借り受け被服・軍靴など貯蔵品をに疎開させます。

6月7日、第二次大阪大空襲により大阪陸軍被服支廠は本部庁舎と鉄筋コンクリート製倉庫を除き全焼してしまい、三田中學に移転、操業中(操業準備中とも)に、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

大東亜戦争の長期化に伴い被服廠では単品大量生産の必要性から軍服の縫製、軍靴の製造が主な業務となり、その他の品群は民間業者に委託されるようになります。
被服廠は民間業者への発注、納入製造品の検査、管理、指導、及び従来からの貯蔵、前線への補給を管掌しました。


主要参考文献
『東区史 続 別巻』 (昭和54年 大阪市東区史刊行委員会)

『三田学園四十年史』 (昭和27年 三田学園)

アジア歴史資料センター資料
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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