当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大阪聯隊區司令部 (旧 堺聯隊區司令部)

大坂城西側に大阪聯隊區司令部がありました。

同地には先に堺聯隊區司令部が所在、また隣接して大阪憲兵隊司令部第四師團経理部・同兵器部倉庫第四師團長官舎が立ち並んでいました。
大阪聯隊區司令部跡 正面入り口付近 北から(大阪陸軍遺構)
▲市営駐車場に遺る大阪聯隊區司令部のコンクリート柵

【探索日時】
平成21(2009)年1月13日、平成23年(2011)年7月5日






大坂城周辺の陸軍部隊、官衙配置
昭和3-(大阪陸軍遺構)
▲昭和3(1929)年の空撮

昭和11(大阪陸軍遺構)
▲現在の地図に軍事施設を転写 ※黄色部分は大坂城天守復興に伴う一般開放地域
① 第四師團司令部
② 大阪陸軍刑務所
③ 大阪陸軍兵器補給廠 櫻門前兵器庫
④ 大阪陸軍兵器補給廠
⑤       〃      城内西兵器庫
⑥       〃      城内北兵器庫
⑦       〃      青屋口門兵器庫
⑧       〃      玉造門兵器庫
⑨ 大阪城南陸軍射撃場
⑩ 歩兵第八聯隊
⑪ 大阪陸軍被服支廠
⑫      〃      被服倉庫
⑬ 歩兵第三十七聯隊
⑭ 第四師團経理部・同兵器部 大手門前倉庫・同厩舎
⑮ 大阪憲兵隊本部
⑯ 歩兵第七旅團司令部
⑰ 大阪聯隊區司令部
⑱ 第四師團経理部 大手前之町倉庫・同兵器部 大手門前倉庫・同厩舎
⑲ 堺聯隊區司令部
⑳ 第四師團長官舎

㉑ 大阪陸軍病院
㉒ 大阪偕行社
㉓ 大阪軍人會館
㉔ 大阪偕行社付属小學校
㉕ 大阪砲兵工廠
㉖ 大阪城東陸軍練兵場
㉗ 第四師團経理部 糧秣倉庫
㉘ 大阪陸軍被服支廠 城東検査場
㉙ 眞田山陸軍墓地
㉚ 陸軍用地
※施設配置・名称は昭和15(1940)年頃
※緑文字が当記事の紹介施設


以下、遺構紹介は遺構の関係上、順番が前後します。

遺構について※青字は地図にリンクしています
⑲ 堺聯隊區司令部 (のち大阪聯隊區司令部)
聯隊區司令部は管区内の募兵・徴兵・召集事務、在郷軍人・各補充兵役者に関する事務を掌りました。

慶応3(1868)年12月9日、王政復古が宣言され明治政府が発足した当初、国軍は長州藩兵を基幹とした400名程の部隊でしたが、慶応4(1869)年7月8日、兵部省が設置され、随時近代兵制が整備されていきます。
明治4(1871)年4月23日、兵部省管下に東山・西海両鎭臺が設置され、各藩兵から鎭臺兵が編成されます。
7月14日、廃藩置県により全国一途の兵制を立て、8月2日、東京・大阪・鎭西・東北の4鎭臺が設置、鎭臺兵は各藩兵を召集して充当します。
明治6(1873)年1月10日、『徴兵令』が施行、各鎭臺の徴兵區が制定され、大阪鎭臺は第四軍管(第八師管:大阪、第九師管:大津、第十師管:姫路)を管掌しました。
明治19(1886)年12月28日、陸軍省は第三高等中学校の京都移転(明治22年9月、移転)後の校地及び校舎購入を決定します。
明治21(1888)年5月14日、鎭臺が師團に改編されたのに伴い軍管は師管、師管は旅管に改称、各旅管は4個大隊區に区分され、大阪は第四師管(第七旅管:大阪、和歌山、大津、京都/第八旅管:姫路、岡山、神戸、宮津→福知山)となり、砲兵第四聯隊兵営の一角に、5月12日、開設された歩兵第七旅團司令部内に、18日、大阪大隊區司令部が開設、兵事事務を開始します。
明治27(1894)年7月14日、旧第三高等中学校校舎の改造を開始、歩兵第七旅團司令部⑰、大阪大隊區司令部⑯が移転(時期不明)します。
明治29(1896)年3月25日、『聯隊區司令部條例』公布により大阪大隊區司令部は大阪聯隊區司令部に改称します。

明治31(1898)年5月10日、大阪陸軍兵器本廠(明治36年4月14日、大阪陸軍兵器支廠に改称)庁舎が京橋口筋鉄門内から輜重廠跡倉庫(⑲付近)に移転、大正2(1913)年5月29日、大阪陸軍兵器支廠は大手門内(④)に移転します。

昭和10(1930)年7月1日、堺聯隊區司令部が堺市からに移転するにあたり、帝國在郷軍人會東區分會より被服倉庫跡地に鉄筋コンクリート製庁舎が献納されます。
大阪聯隊區司令部跡(大阪府庁分室)(大阪陸軍遺構)
▲献納された堺聯隊區司令部庁舎(戦後の写真)
  手前に写っている外柵が現存しています

昭和16(1941)年11月1日、『陸軍管區表』改正により1府県1聯隊區となり堺聯隊區司令部は廃止され、庁舎に大阪聯隊區司令部が移転してきます。
昭和19(1944)年10月1日、空襲を避けるため住吉区の帝塚山學院高等女學校に疎開移転、昭和20(1945)年2月6日、大阪地區司令部が併設され、管区内の防衛警備にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

庁舎は幸い空襲を逃れ、28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれます。
昭和22(1947)年9月1日、 特別調達庁大阪支局庁舎が開庁、その後大阪府庁分館として使用されていましたが、20年ほど前に老朽化により惜しくも破壊されてしまいました。

現在は府庁第一駐車場になっておりコンクリート製門柱、外柵、塀が遺されています。

大阪聯隊區司令部跡 北東から(大阪陸軍遺構)
▲現在の大阪聯隊區司令部跡

F コンクリート製の外柵、門柱、塀
府営駐車場の外柵として遺されています。
平成29(2017)年現在、駐車場は解体されましたが、外柵はそのまま遺されました。
大阪聯隊區司令部跡 北側の門 (2)(大阪陸軍遺構)
▲北側にある門柱
  注意看板が張られまくって非常に見苦しいです

大阪聯隊區司令部跡 北側の門(大阪陸軍遺構)
▲北側に遺るコンクリート塀

大阪聯隊區司令部跡 正面入り口付近 北から(大阪陸軍遺構)
▲北側から東側に遺るコンクリート外柵(写真は東側)
  外柵が途切れている場所にも入口がありました

大阪聯隊區司令部跡 正面入り口付近 東から(大阪陸軍遺構)
▲上掲写真の入口付近


⑮ 大阪憲兵隊本部
当地一帯は藩政期、馬場、京橋口御定番屋敷がありましたが、明治維新に伴う武士の退去により明治4(1872)年、明治政府に移管、建物は撤去され輜重兵第四大隊倉庫、大阪陸軍被服支廠の被服倉庫が設置されます。

明治16(1883)年11月30日、『太政官達第五十三號』により大阪府下に憲兵の設置が決定します。
明治17(1884)年2月25日、東京憲兵本部より第一大隊第三中隊(萩原貞固大尉)を大阪に分遣、西區松島(現、松島公園付近)に屯所を開設し大阪分遣憲兵中隊が開隊します。
明治18(1885)年2月6日、東京憲兵隊第三大隊(2個中隊)を大阪に分遣、先に派遣された大阪分遣憲兵中隊を合し大阪分遣憲兵大隊となります。
当初は屯所として東區本町(現、中央区本町)の本願寺別院(西本願寺津村別院)に大隊首部(本部、萩原貞固大尉)、及び第一中隊(萩原大尉兼務)首部が、大阪憲兵分遣所として北區河内町(現、北区天満)の興正寺(現、滝川公園)に第三中隊(比企福造大尉)首部が開設、松島屯所に第二中隊(旧大阪分遣憲兵中隊、林忠夫大尉)首部が設置されました。

本願寺別院、及び興正寺仮屯所は後(時期不明)に順慶町屯所(現、中央区南船場3の農林会館)及び中之島屯所(現、大阪市役所の東半分)の新築により移転します。
明治22(1889)年3月28日、『憲兵条例』改正により憲兵隊管区が改正、30日、大阪分遣憲兵大隊は大阪憲兵隊(萩原貞固少佐)に改称、憲兵司令官に隷属し順慶町屯所に首部、大阪府下に23個分隊を設置します。

明治25(1892)年10月、大阪憲兵隊は縮小され、不要となった中之島屯所は大阪市参事会へ売却、松島屯所は西區新町南通5(現、西区新町4)、北區老松町2(現、西天満4)、南區難波新町(現、中央区難波4)の民有地と交換し各憲兵分隊として移転します。

明治28(1895)年7月3日、『憲兵條例』改正に伴い各管区の憲兵隊呼号は管区番号に変更、大阪憲兵隊は第四憲兵隊に改称、また管下分隊も整備され第一大阪(順慶町)、第二大阪(老松町)、京都、兵庫、和歌山、滋賀、岡山、奈良、鳥取各憲兵分隊となります。

明治36(1903)年3月18日、『憲兵條例』改正に伴い第四憲兵隊管下の分隊は大阪、大津、伏見、由良各憲兵分隊になります。

明治40(1907)年10月7日、『憲兵條例』改正に伴い憲兵隊は呼号は管区番号から地名に復称、第四憲兵隊は大阪憲兵隊に復称します。

大正5(1916)年5月13日、大阪憲兵隊本部・同分隊は大阪陸軍衛戍病院内に移転の後、大正6(1917)年3月10日、大手前、憲兵隊長官舎は北區相生町の新築庁舎、及び官舎に移転します。

昭和20(1945)年3月30日、「決號作戰」(本土決戦)に向け『憲兵令』が改正され、憲兵司令部(東京)隷下に各軍管區を管掌する憲兵隊司令部、各憲兵隊司令部の憲兵隊地区毎に地區憲兵隊が設置されます。

この改正により大阪憲兵隊は中部憲兵隊司令部(長友次男少将)に改編、大津、福井、奈良、和歌山、神戸、京都、舞鶴各地區憲兵隊が管下に置かれ、兵員も1,098名に増強(高槻、梅田、大手前、築港、布施、西成、堺、和泉各憲兵分隊、及び機動隊は中部憲兵隊司令部直轄)されました。

8月6日、広島に原爆が投下されたため、8日、長友少将は時期目標が大阪の可能性を考慮し、本町4(現、本町3)の伊藤萬(鉄筋7階建(昭和51年、解体))を借用、11日、移転を完了します。
8月15日、『大東亜戦争終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎え、、8月末、復員を開始、昭和21(1946)年8月31日、長友少将が残務処理を終え復員します。

8月28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により憲兵隊庁舎は内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれます。
昭和31(1956)年9月、憲兵隊庁舎は破壊され、昭和34(1959)年2月28日、大阪府警庁舎が竣工、平成10(1998)年10月、建替え工事が開始され、平成19(1007)年12月、現庁舎が竣工し現在に至ります。

残念ながら区画も改編され、遺構は皆無です。

大阪憲兵隊司令部跡の大阪府警(大阪陸軍遺構)
▲大阪憲兵隊跡に建つ大阪府警察本部


⑯ 歩兵第七旅團司令部  ⑰ 大阪聯隊區司令部
⑱ 第四師團経理部 大手前之町倉庫・同兵器部 大手門前倉庫・同厩舎
⑳ 第四師團長官舎
当地一帯⑯⑰⑱⑳は藩政期、幕府の洋学教育研究機関「開成所」がありましたが、明治維新に伴い明治2(1869)年5月1日、大阪舎密局(のち理學校)が開校(明治5年8月3日、廃止)され、明治3(1870)年10月24日、北側にあった大阪洋學校と統合され大阪開成所(明治19年4月29日、第三高等中學校と改称)となり、12月28日、陸軍省は第三高等中学校の京都移転(明治22年9月、移転)後の校地及び校舎購入を決定します。

明治22(1889)年9月、第三高等中學校は京都に移転、明治27(1894)年7月14日、旧第三高等中学校校舎の改造を開始、校地南側に歩兵第七旅團司令部⑰、大阪大隊區司令部⑯が移転、また、校地北側に第四師團長官舎⑳が建設されます。

明治31(1898)年2月21日、大阪陸軍地方幼年學校(大正9年8月10日、大阪陸軍幼年學校に改称)が開校(⑱⑳付近)、その他は大阪陸軍兵器本廠大手前兵器庫、及び輜重兵第四大隊倉庫となります。

大正7(1918)年6月1日、第四師團兵器部が開設されたのに伴い、一部の倉庫を同部倉庫に移管、大正11(1922)年3月31日、大阪陸軍幼年學校は廃校となり跡地は大阪陸軍官舎となります。

昭和3(1928)年、大阪陸軍官舎は大蔵省に移管され(財)大阪偕行社に貸し付けられ大阪偕行社住宅を経て、昭和10(1935)年頃?、大阪陸軍兵器支廠、大阪陸軍被服支廠倉庫、第四師團経理部倉庫、第四師團司令部厩舎として転用されます。

昭和12(1937)年4月20日、第四師團の滿洲駐箚に伴い留守歩兵第七旅團司令部が編成、昭和15(1940)年7月10日、師團内旅團司令部の廃止、歩兵團司令部への改編に伴い、16日、留守第四旅團司令部は復帰、留守第四歩兵團司令部は編成されず事後の人事は留守第四師團司令部が担当します。
旅團司令部庁舎は隣接する大阪聯隊區司令部が専有したと思われますが、詳細は不明です。

昭和16(1941)年11月1日、堺聯隊區司令部が廃止された事に伴い、大阪聯隊區司令部は堺聯隊區司令部跡に移転しますが、旅團司令部、及び聯隊區司令部庁舎はそのまま遺され、昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により、庁舎、師團長官舎、倉庫は内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれます。

その後、旅團司令部、及び聯隊區司令部庁舎は大阪府庁舎として使用されていた様ですが、現在は痕跡すらありません。
周辺の倉庫もまた随時破壊され、大阪府庁別館、駐車場などになり現在は区画すら遺されていません。
師團長官舎もまた早期に破壊され、跡地に大阪府営印刷所が建てられています。

旅團司令部前の岡 舎密社跡 関係無い(大阪陸軍遺構)
▲「大阪舎密局跡」の碑が建つ小山
  陸軍については全く何も触れられておらず、ここが嘗て陸軍用地だった事は知る人ぞ知るです。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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