当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

旧大阪府庁(2代目) 現地説明会

阿波座駅前のマンション工事現場で発掘された「旧大阪府庁(2代目)」の現地説明会に行ってきました。

南側 全景(旧大阪府庁)
~南側翼部






今回の現説は28日(木)の朝刊1面に掲載されていたので知りました。

大阪「政府」の壁など出土 明治創建2代目府庁舎跡 (2011.7.28 08:37 産経新聞)
 発掘では、同庁舎のシンボルだった中央棟のドームを支えるため円形に並べられた花崗(かこう)岩製の基礎や階段、鉄扉が当時のまま発見され、レンガの壁も高さ1.5メートルほどが残っていた。

※大阪府文化財センター 公式サイト

大阪府庁は明治維新後、本町橋にあった西町奉行所跡にありました。
当時の大阪府権知事・渡邉昇は川口居留地を拠点とした外国貿易の窓口とするべく江之子島に移転を計画、明治5(1872)年6月、建築を開始し、明治7(1874)年7月、竣工(今回の遺構)します。
大正5(1916)年、手狭になった事から庁舎両翼を撤去し、大型の両翼建物を新築します。
大正15(1926)年、大手前の新庁舎(現在の大阪府庁)に移転、昭和4(1929)年、旧庁舎は大阪府工業奨励館となりますが、昭和20(1945)年の米軍による空襲で焼失してしまいます。
江之子島 明治23(旧大阪府庁)
~明治23(1890)年の大阪府庁(江之子島)周辺地図

大阪府庁(旧大阪府庁)
~当時の大阪府庁

僕の専門は近代以降の「軍事遺構」なので、今回の遺構はやや外れます。
しかし、明治初期の建築は時代的に軍事遺構と関連する事もあり、後学のため、また本物を目にする事で得る知識もあると思い行ってきました。
・・・場所が自転車で30分の場所でもありますし、近場と言うのも大きな理由ですが・・・

文化財センター公式サイトでは現説は10:30、11:30、13:00、14:00、15:00の5回開催されるとの事だったので、初回は熱心なマニアが来ると予測し、少し空くであろう2回目に行きます。

10:45に到着、受付を済ませ資料を受け取り、まずは発掘された各種刻印煉瓦、柱飾りなどを見学します。
出土彫刻(旧大阪府庁)
~コンクリート製の柱飾り

ちょうど初回の説明が終わり、現場見学(今回の現説は現場に下りて間近に見れます)に移っていました。
だいたい観衆は100名くらいでしょうか?

次の説明は11:00と思い込んでいましたが、どうやら11:30だったようでかなり待ちます。
しかも、雨が降ってきました。

11:30になり解説が始まり、終了後は現場に下りて見学します。
発掘現場写真 (3)(旧大阪府庁)
~発掘現場全景(会場展示写真から)

発掘現場写真(旧大阪府庁)
~発掘現場直上からの全景(会場展示写真から)

発掘地域(旧大阪府庁)
~発掘現場全景(資料から)

当庁舎は昭和20(1945)年の米軍による空襲で焼失、その後埋められます。
今回、発掘されたのはこの埋められた地下の部分で、遺構と見どころは大きく分けて以下の通りです。
◎明治初期に建設された中央部分
 ・中央ドーム部分の円形基礎
 ・東西の木津川・百間堀川に注ぐ排水溝
 ・明治初期の「石灰コンクリート」による基礎
 ・オランダ積みの煉瓦
中央ドーム(旧大阪府庁)
~中央ドーム部分の円形基礎

中央 暗渠(旧大阪府庁)
~排水溝

中央部(旧大阪府庁)
~南側地下室への階段と扉

南側 遺構 (2)(旧大阪府庁)
~南側建物外壁煉瓦
 オランダ積みはイギリス積みと同様ですが、長手の段のスミで七五(長手方向に3/4にしたもの)を使い、平目地になるのを防止します。

南側 遺構 空襲による焼失跡(旧大阪府庁)
~空襲の際に大量のガラス瓶が解けた部屋

◎大正期に増改築された左右翼部分
 ・細かく仕切られた部屋が並ぶ南側
 ・大きな部屋が並ぶ北側
 ・空襲で焼けたガラス瓶の跡
 ・暖炉跡
 ・床面に張られたタイル
 ・各種刻印煉瓦
北側 (3)(旧大阪府庁)
~湿気防止のため床下に塗られたコールタール

北側 (2)(旧大阪府庁)
~ほぼ完存の暖炉

北側(旧大阪府庁)
~柱に残る漆喰の装飾

北側 (4)(旧大阪府庁)
~北側翼部全景

今後、煉瓦は全て撤去され、コンクリート基礎部分は測量ののち上には巨大なマンションが建つそうで、残念ですが、建物が残っていない以上仕方無いでしょう。
今回は見た明治初期の土木建築の知識を、今後の探索の生かしていきたいと思います。

この現説は新聞に載っていたので知りえたのですが、府政・市政だより等でもう少し告知をしっかりして欲しいところです。
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う~む 煉瓦の詰み方にも種類があったとは なかなか興味深いですねぇ 暖炉がなかなか良い味出てますよね明治~て感じ(笑) 遺構全体は無理として 一部壁面や出土品(縄文時代まで古くないからこの言い方正しいのかな(?_?))はどこかで保存展示とか出来たらよいですよね

確かにそうですね

柱飾り等は展示されると思うのですが、暖炉も貴重なものですし、そんなに大きいものでは無いので解体して展示品の少ない市立歴史博物館で展示したら良いと思うのですが(´ー` )
ただ、今まで各地でみた暖炉はこの外側(室内側)に棚状の飾り(マントルピース)があるのですが、出土品はその部分が無かったので少し残念でした。
煉瓦の詰み方は大きく分けてイギリスとフランスの2種類なので、当時の建物かどうか判断する際に参考になりますよ(^▽^)
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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