当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

旧騎兵第四聯隊

戦国期最後の合戦である大坂の陣において真田信繁が真田丸を築いた眞田山に面して騎兵第四聯隊がありました。

聯隊は後に堺市に転営、跡地は大阪市に移管されます。
騎兵第四聯隊 ミ 忠魂碑脇の「陸軍省所轄地標柱(大阪陸軍遺構)
▲外周に遺る境界石標とコンクリート塀

【探索日時】
平成22年12月18日





遺構について> ※青字は地図にリンクしています
騎兵第四聯隊
明治21(1888)年、陸軍省は東成郡鶴橋村小橋(現、真田山公園)に騎兵第四大隊の設置を決定、内務省により用地494坪が買収され、明治22(1889)年7月12日、第四師團監督部に引き渡されます。
明治21(1888)年12月、騎兵第一大隊(東京)において教育された1個中隊が2分(3個小隊づつ)され、騎兵第四大隊本部・第一中隊及び騎兵第六大隊本部・第一中隊が編成されます。
明治22(1889)年11月28日、騎兵第四大隊本部・第一中隊は小橋に新設された兵営に転営して来ます。
騎兵第四聯隊 営門(真田山)(眞田山・騎兵第四聯隊)
▲騎兵第四聯隊営門(昭和2年)

騎兵第四聯隊 営門跡(大阪陸軍遺構)
現在の営門付近

明治25(1893)年、第二中隊が編成され大隊編成が完結、明治27(1894)年8月1日、明治二十七八年戰役(日清戦争)勃発、12月4日、騎兵第四大隊大隊、同補充中隊の動員完結、明治28(1895)年12月28日、復員時に補充中隊を編入し第三中隊を編成、騎兵第四聯隊に改編されます。
昭和7(1932)年3月16日、小橋の兵営は狭隘だったため堺市曾根(現、長曾根町)に転営しました。

その後(時期不明)、小橋の騎兵第四聯隊跡地は大阪市に払い下げられ、昭和13(1938)年、調練場跡に競泳場・飛び込み場(プール)が完成、昭和14(1939)年、全域が眞田山公園として整備されます。

大東亜戰争末期、高射第百二十二聯隊の第六中隊が宰相山(現在、真田山と言われている辺り)に陣地を構築します。
この高射砲陣地については資料が無く不明ですが、単純に考えると広大な開けた敷地があり、土地が高い旧騎兵営に設定されたと思うのですが、空撮(昭和23年9月、米軍)にも写っておらず詳細は不明です。

現在は全域が真田山公園として整備されていますが、外周に僅かながら遺構が遺されています。


ミ 陸軍省所轄地 (北側)
公園西側入口の茂みに境界石標が遺されています。
陸軍省所轄地 営門付近(眞田山・騎兵第四聯隊)
▲かなり摩滅しています


ミ 陸軍省所轄地 (南側)
忠魂碑の脇に遺されています。
騎兵第四聯隊 L 忠魂碑脇の「陸軍省所轄地標柱(大阪陸軍遺構)
▲こちらは刻字がしっかり読めます


L コンクリート塀
慶傳寺との境に遺ります。
騎兵第四聯隊 L 忠魂碑北側の塀(大阪陸軍遺構)
▲境界石標の奥にあります。


ム 騎兵營址 忠魂
昭和8(1933)年11月、騎兵第四聯隊兵営の一角に聯隊将卒により建立され、現在は大阪騎兵会が維持、三光神社により永代供養がされています。
当時の写真を見ると下2段の騎兵營址のみで、最上段の忠魂はその後追加されたようです。
忠魂碑(眞田山・騎兵第四聯隊)


K コンクリート・石組壁
コンクリートと、その上に石材を積んだ擁壁が残されています。
#8302;東側の壁(眞田山・騎兵第四聯隊)

平成15(2003)年に大阪市文化財協会により行われた「宰相山遺跡」の発掘調査の際、兵営東端から煉瓦とコンクリートを組み合わせた建物(蹄鉄工場?)の基礎が出土しましたが、現在は残念ながら埋め戻されています。


騎兵第四聯隊 (淀四〇七六、中部第二十五部隊)
捜索第四聯隊 (淀四〇七六、中部第二十五部隊)
明治21(1888)年、陸軍省は騎兵第四大隊の新設を決定、12月、騎兵第一大隊(東京)において教育された1個中隊が2分(3個小隊づつ)され、騎兵第四大隊本部・第一中隊(大高坂正元少佐)と騎兵第六大隊本部・第一中隊が編成され、明治22(1889)年11月28日、東成郡鶴橋村小橋(現、真田山公園)に移駐、第四師團隷下に編入されとます。

明治25(1893)年、第二中隊が編成され大隊編成完結、明治28(1898)年4月、明治27(1894)年8月1日、明治二十七八年戰役(日清戦争)勃発、12月4日、騎兵第四大隊大隊、同補充中隊の動員完結、明治28(1895)年3月30日、第四師團とともに大阪を出発しますが、講和条約締結のため戦闘に加わる事無く遼東半島の警備にあたり、12月28日、大阪に帰還、復員時に補充中隊を編入し第三中隊を編成、騎兵第四聯隊に改編されます。
明治29(1899)年11月19日、軍旗を拝受します。
騎兵第四聯隊軍旗『日本騎兵写真集』(眞田山・騎兵第四聯隊)
▲騎兵第四聯隊軍旗

明治37(1904)年2月8日、明治三十七八年戰役(日露戦争)が勃発すると、3月15日、師團とともに第二軍(奥保鞏大将)戦闘序列に編入され遼東半島に上陸、金州、南山の戦いでは第二軍の背後を警戒、第二軍の反転北進に伴い第四師團の前方を進撃、得利寺、熊岳、蓋平、大石橋、海城の戦い、遼陽、沙河の各會戰に参加し、また騎兵第一旅團(秋山好古少将)に属し捜索、警戒、連絡に任じます。
3月10日、奉天會戰において、13日、第四師團を離れ秋山支隊(秋山好古少将)に属しロシア軍を追撃、鐡嶺、開原、昌図北方に進撃、4月、第四師團に復帰、明治38(1905)年10月、凱旋します。

大正11(1922)年7月、大正十一年軍備整備要領(第一次山梨軍縮)により2個中隊に改編されます。

昭和7(1932)年3月16日、眞田山の兵営は狭隘だったため、堺市曾根(現、長曾根町)に新兵営を建設、移転します。

昭和12(1937)年2月、第四師團の滿洲駐箚が決定、4月、渡滿し三江省佳木斯(チャムス)に屯営し国境警備、匪族討伐に任じます。
12月、聯隊は第八師團(前田利為中将、弘前)の指揮下となり東部国境を警備、昭和13(1938)年末、第四師團に復帰し、昭和14(1939)年2月、饒河付近の討伐に参加します。
8月29日、第四師團は同年5月13日にソ連軍の越境により勃発したノモンハン事件の増援として応急派兵が決定、聯隊は鉄道によりコロンバイルに前進しますが、到着前の9月15日、停戦協定成立により佳木斯に帰還します。

昭和15(1940)年6月26日、第四師團は支那派遣のため臨時動員下令、第十一軍(園部和一郎中将)戦闘序列に編入され、7月、聯隊は中支応城西方皀市に移駐、同地の警備・治安維持に当たり、11月25日、第十一軍の漢水作戰に参加、漢水西方に進出します。
昭和16(1941)年1月26日、予南作戰、4月9日、大洪山作戰、5月5日、江北作戰、8月27日、第二次長沙作戰に参加します。
11月8日、第四師團は第十一軍戦闘序列を外れ大本営直轄となり上海付近に移動集結、聯隊は共同租界を占領し警備に任じます。

昭和17(1942)年2月10日、第四師團は第十四軍(本間雅晴中将)隷下となり、3月6日、第四師團とともにルソン島リンガエン湾に上陸、聯隊は戦闘に加わる事無くマニラ西方のマッキンレイの警備に当たり、6月12日、第四師團に復員が下令されたため、8月、大阪に凱旋します。
昭和17年、乗馬1個中隊、装甲車一隊の捜索第四聯隊(今村安大佐)に改編され、軍旗を奉還します。

昭和18(1943)年9月23日 、第四師團に動員下令、26日、捜索第四聯隊に動員下令、10月3日、動員完結(装甲車4個中隊)、8日、スマトラ島派遣のため宇品港を出港、11月8日、スマトラ島べラ湾に上陸、中部西岸のタバヌリ州シピロ付近の警備、地形・道路偵察に任じます。
昭和19(1944)年6月14日、第二中隊(堀江深晴中尉)はパレンバン州カラングローに移駐、聯隊は獨立混成第二十六旅團(河田槌太郎少将、弘前)の指揮下に入ります。
6月23日、第一中隊(池田耕太郎大尉)はカラングローに移駐し、地形偵察、対空挺戦、各種遊撃戦訓練に任じます。
11月13日、聯隊はシャンタルに移動し、第四師團に復帰、東海岸州ペマタンシャンタル付近の警備に当たります。

昭和20(1945)年1月26日、緬甸方面の戦局悪化に伴い第四師團は第三十九軍(中村明人中将)隷下に編入、聯隊は1月31日、スマトラ島パカンパルを出港、2月28日、仏印に進駐し第三十八軍(土橋勇逸中将)の指揮下に入り、3月1日、サイゴンに移駐、3日、特設自動車第三十七中隊に編入され、9日、獨立混成第七十旅團(小田正人少将、東京)の指揮下に明號作戰に参加、全仏印軍の武装を解除します。
4月1日、サイゴンを出発、3日、第四師團に復帰、5月11日、タイ国北部のランパンに移駐し敵機の空襲下、英印軍の侵攻に供え陣地構築中の8月17日、停戦を迎えます。
12月15日、ナコンナヨークに移動し、昭和21(1946)年4月23日、復員下令により5月31日、バンコクを出港、6月21日、浦賀港に上陸し、23日、復員完結します。


主要参考文献
『騎兵第四聯隊史』 (昭和56年11月 大阪騎兵会本部)

『日本騎兵史 下』 (昭和55年 佐久間亮三・平井卯輔 原書房)

『大阪市天王寺区宰相山遺跡発掘調査報告 1』 (平成16年3月 大阪市文化財協会)

『 〃 2』 (平成16年3月 大阪市文化財協会)
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おお~ 堺市にもゆかりのある騎兵第四連隊ですね(^O^)ぼちぼちと遺構が残ってるんですね あちこち見てみたいと思いながら重い腰が…笑。 騎兵第四…なかなか活躍したんですね奥司令官といえば 西南戦争で薩軍の囲みを突破した あの 奥少佐なのでしょうか(*_*)

ひろしさん、こんばんは(^-^*)/
堺の兵営には兵舎なども残っており一級の遺構ですが、こちらはごくごく僅かしか残っていないのが残念です。
ただ、隣接に国内最大の陸軍墓地があるので、一緒に回れるのが良いですね。
奥司令官はおっしゃる通り、西南の役で攻囲された熊本城を突破し官軍と連絡に成功した奥少佐ですw(゚o゚)w
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大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
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