当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

姫路城周辺の陸軍遺構

遅くなりましたが、5月に探索した姫路城周辺の陸軍遺構を紹介したいと思います。
姫路城天守
▲姫路城






姫路城は現存している12基の天守の中で最大の規模を誇り、かつ現存している城域も最大規模のものです。
明治維新後、各地の城郭は無用の長物と化し次々に二束三文で払い下げられ、破壊されていきました。
姫路城も一度は瓦や建材の転売目的の金物商・神戸清一郎氏に払い下げられますが、城郭建築は規格外のため建材の転売ができず放置された後、陸軍省に売却され陸軍省の管理下に保存、戦後、姫路市に移管され現在に至ります。
言い換えれば我が国最大規模の城郭が陸軍のおかげで現在まで残されたと言えます。

明治維新後、姫路城周辺には他の大規模城郭同様に徐々に陸軍施設が設置されて行きますが、大東亜戰争末期の昭和20(1945)年7月3日、米軍による姫路大空襲を受け城域南部に位置した歩兵営、師團司令部などは焼失してしまいます。
戦後、焼失を逃れた陸軍施設は市役所、学校、病院等に転用されて行きましたが、次第に建て替えられてしまいます。
現在、姫路城はご存知の通り国宝に指定されており、周辺地域も含め大規模な観光地開発がなされてしまったため殆ど帝國陸軍の遺構は残されていませんが、僅かに残された遺構を順次紹介していきたいと思います。

なお、紹介する遺構は当時の地図を参照に僕が実地探索をして見つけた物ですので、見落とし、間違いがあるかもしれません。御気付きの方はご指摘頂ければ幸いです。

遺構紹介の前に姫路城周辺の陸軍部隊、官衙の変遷を当時の地図を元に簡単に解説したいと思います。

明治12(1869)年頃
姫路市縮圖(明治12)(姫路遺構)
▲『姫路城市縮圖』(明治12年2月23日 福本虎蔵著)

明治7(1874)年7月、大阪鎭臺歩兵第十聯隊が大坂城から移駐することが決定、10月、一個中隊が三之丸(現、三之丸広場)に衛戍し、中堀内の城域全域が練兵場となりました。


明治34(1901)年頃
姫路市及其付近(明治34)(姫路遺構)
▲『姫路市及其付近』(明治34年3月30日 第十師團司令部著)

明治18(1885)年、歩兵第八旅團司令部が内曲輪(現、総社本町)に設置されます。
明治29(1896)年、第十師團司令部が内京口門内、歩兵第三十九聯隊が内曲輪南西に、騎兵第十聯隊、野戰砲兵第十聯隊、輜重兵第十大隊が姫路城北方の野里に衛戍します。
その後、第十師團管下の施設が周辺に設置されていきます。

姫路城周辺(明治34)1(姫路遺構)
▲『姫路市及其付近』を現在の地図に転写(姫路城周辺。水色部分は現在埋められた堀)
①歩兵第三十九聯隊
②城南陸軍練兵場
③歩兵第八旅團司令部
④姫路偕行社
⑤姫路聯隊區司令部
⑥馬場
⑦歩兵第十聯隊
⑧第十師團司令部
⑨姫路陸軍兵器支廠 倉庫
⑩姫路衛戍病院
⑪姫路陸軍兵器支廠
⑫射的場
⑬姫路衛戍拘禁所、陸軍懲治隊
⑭火薬庫

この後、⑫射的場は小銃、火薬の改良、強力化により城外西側の高岡に移転し、跡地は「姫山陸軍練兵場」になります。

姫路城周辺(明治34)2(姫路遺構)
▲『姫路市及其付近』を現在の地図に転写(野里方面)
⑮騎兵第十聯隊
⑯野戰砲兵第十聯隊
⑰輜重兵第十大隊
⑱城北陸軍練兵場


昭和15(1940)年頃
姫路市全圖(昭和15)(姫路遺構)
▲『姫路市全圖』(昭和15年4月5日 平田幾次著)

中堀は兵庫県、及び姫路市により大正末から昭和初期にかけて徐々に埋め立てられ、昭和7(1932)年2月、国道2号線として完全に消滅します。
この埋め立てにより姫路偕行社は敷地を大幅に削られたうえ、北側に移転させられます。
同じく中堀付近にあった姫路聯隊區司令部、第八旅團司令部は、これより早い時期に第十師團司令部の敷地に移転していたようです。

姫路配置図
▲『姫路市全圖』を現在の地図に転写(第十師團隷下部隊、管下施設配置)
①歩兵第三十九聯隊
②城南陸軍練兵場
③姫路偕行社
④歩兵第十聯隊跡(西側は市立鷺城中學校になります)
⑤兵庫縣姫路護國神社
⑥姫路憲兵隊
⑦第十師團経理部 被服倉庫
⑧第十師團司令部
⑨歩兵第八旅團司令部
⑩姫路聯隊區司令部
⑪第十師團長官舎
⑫姫路陸軍兵器支廠 倉庫
⑬第十師團 倉庫
⑭姫路陸軍病院
⑮姫路陸軍兵器支廠 西倉庫
⑯姫路陸軍兵器支廠
⑰姫路陸軍病院 姫山分院
⑱姫路陸軍拘禁所
⑲陸軍教化隊
⑳火薬庫
㉑騎兵第十聯隊
㉒野砲兵第十聯隊
㉓輜重兵第十聯隊
㉔城北陸軍練兵場
㉕姫路陸軍墓地
㉖高岡陸軍射撃場

昭和8~9年(姫路遺構)
▲昭和8~9(1933~34)年頃の空撮

姫路城周辺(停戦時)1(姫路遺構)
▲『姫路市全圖』を現在の地図に転写(姫路城周辺)
※施設は上記参照

姫路城周辺(停戦時)2(姫路遺構)
▲『姫路市全圖』を現在の地図に転写(野里方面)
※施設は上記参照

支那事變、大東亜戰争と戦争の長期化とともに、機密防護の見地から地図からは軍関係の名称が消されてしまうため、以降の変遷は不明です。
しかし、終戦直後の空撮を見ると、大きな施設移転は無いようです。

姫路城221018(姫路遺構)
▲昭和22(1947)年10月18日(姫路城周辺。師團司令部、歩兵営、陸軍病院他)

次回から、順番に遺構と部隊を紹介して行こうと思います。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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