当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

姫路城周辺の陸軍遺構

国宝・姫路城は我が国屈指の観光地と知られますが、その周辺には多くの陸軍施設がありました。
遺構紹介の前に姫路城周辺の陸軍部隊、官衙の変遷を当時の地図を元に簡単に解説したいと思います。
姫路城天守
▲姫路城





姫路城の陸軍省移管
明治4(1871)年8月、全国の城郭、陣屋は兵部省(明治5年2月27日、廃止され陸海軍省が新設)に移管され、明治6(1873)年1月14日、軍用として転用する物を選別、選に漏れた物は大蔵省に移管され払い下げられ、破壊されていきました。

姫路城は存城に指定され姫路県に管理が委任されますが、財政状況から放置荒廃してしまいます。
明治5(1872)年6月、全国巡回中の町田久成・文部大丞はその壮麗さに感嘆し政府に保存を具申、明治11(1877)年11月、中村重遠大佐は参謀総長・山縣有朋大将に保存意見書を提出、明治12(1878)年以降、保存・修理費用が支出される様になります(巷間では「瓦や建材の転売目的の金物商・神戸清一郎氏に払い下げられますが、城郭建築は規格外のため建材の転売ができず放置された後、陸軍省に売却され陸軍省の管理下に保存」と言う説が流布していますが、誤りの様です)。
大正元(1912)年6月1日、姫路市に無償貸付されます。

明治2(1869)年7月8日、官制改革により兵部省が新設、各地に出張所が置かれ、11月13日、『徴兵規則』制定により各藩より兵卒が召集され各出張所に配置する事になり(当初は全国的に実施予定でしたが、最終的に畿内5ヶ国のみ)、姫路では41名が徴兵され大阪出張所に入営します(大阪兵隊)。
明治4(1871)年7月14日、廃藩置県が実施され、8月2日、全国一律の兵制が可能となったことから東京、仙台、熊本と並び大阪鎭臺が創設され、大阪城本丸に本営、小浜に第一分営、高松に第二分営が設置、鎭臺創設に伴い大阪兵隊は解隊され、10月、兵部省大阪出張所は廃止されます。
明治6(1873)年1月10日、『徴兵令』が施行され、各鎭臺は暫時充足されていきました。

明治4(1871)年8月、姫路城が兵部省に移管された事に伴い、明治6(1873)年2月、城内(三之丸・中曲輪内)に居住する士族は「拝借地」として当分の間、居住を認可されますが、士族側の要望により明治15(1883)年までに替地代、移転料を受け取り退去します。

明治8(1875)年、鎭臺の将兵充足に伴い三之丸に兵営を新設、爾後陸軍施設が設置されて行きますが、大東亜戰争末期の昭和20(1945)年7月3日、米軍による姫路大空襲を受け城南の歩兵営、東側の師團司令部などは焼失してしまいます。

戦後、焼失を逃れた陸軍施設は官公庁、学校、病院等に転用、戦災者・引揚者住宅が建設されて行きましたが、次第に建て替えられ現在、周辺地域も含め大規模な観光地開発がなされてしまったため殆ど帝國陸軍の遺構は残されていませんが、僅かに残された遺構を順次紹介していきたいと思います。

なお、紹介する遺構は当時の地図を参照に僕が実地探索をして見つけた物ですので、見落とし、間違いがあるかもしれません。御気付きの方はご指摘頂ければ幸いです。


明治12(1869)年頃
姫路市縮圖(明治12)(姫路遺構)
▲『姫路城市縮圖』(明治12年2月23日 福本虎蔵著)

明治7(1874)年7月、大阪鎭臺 歩兵第十聯隊が大坂城から移駐することが決定、明治8(1875)年2月、三ノ丸居住の士族を退去させ2階建兵舎5棟・病舎・弾薬庫、中曲輪南側に20,000坪の姫路櫻町練兵場、同北東側の桐の馬場、岐阜町、案内社、清水町、小桜町90,000坪に射的場を起工、10月11日、歩兵第十聯隊第一中隊が大阪から練兵場の仮兵営に移駐、11月8日、兵営竣工により移駐、明治9(1876)年4月6日、第一、第二大隊、明治15(1882)年6月30日、第二大隊(各大隊は交代で大阪に屯営)が移駐し聯隊(3個大隊)は姫路に集結します。

明治10(1877)年7月、城南部の中阿保、西阿保村内に10,000坪を買収、阿保射的場を開設します。


明治34(1901)年頃
姫路市及其付近(明治34)(姫路遺構)
▲『姫路市及其付近』(明治34年3月30日 第十師團司令部著)より姫路城周辺

姫路陸軍遺構姫路市及其付近(明治34) (2)(兵庫)
▲『姫路市及其付近』より高岡村周辺

姫路城周辺(明治34)1(姫路遺構)
▲『姫路市及其付近』を現在の地図に転写(姫路城周辺。水色部分は現在埋められた堀)
① 歩兵第三十九聯隊
② 城南陸軍練兵場
③ 歩兵第八旅團司令部
④ 姫路偕行社
⑤ 姫路聯隊區司令部
⑥ 馬場
⑦ 歩兵第十聯隊
⑧ 第十師團司令部
⑨ 姫路陸軍兵器支廠 倉庫
⑩ 姫路衛戍病院
⑪ 姫路陸軍兵器支廠
⑫ 姫路城内陸軍射撃場
⑬ 姫路衛戍監獄・陸軍懲治隊
⑭ 姫路陸軍兵器支廠 火薬庫

姫路陸軍遺構姫路市及其付近(明治34)(兵庫)
▲『姫路市及其付近』より城北村周辺

姫路城周辺(明治34)2(姫路遺構)
▲『姫路市及其付近』を現在の地図に転写(城北付近)
⑮ 騎兵第十聯隊
⑯ 野戰砲兵第十聯隊
⑰ 輜重兵第十大隊
⑱ 城北陸軍練兵場

明治18(1885)年6月11日、歩兵第八旅團司令部姫路大隊區司令部が練兵場西端(現、白鷺中付近)に設置されます。

明治21(1888)年11月29日、陸達第二百二十三號『陸軍病院條例』改正により、歩兵第十聯隊の兵営内西端にあった病舎が姫路衛戍病院に改編されます。

明治28(1895)年10月、参謀本部は新設第十師團の衛戍地を福知山に選定、明治29(1896)年3月14日、陸軍省は『陸軍平時編制』を改定(勅令第二十四號)し、第七から第十三師團の新編を決定します。

4月中旬、陸軍省は第十師團司令部、歩兵第三十九聯隊、騎兵第十聯隊野戰砲兵第十聯隊輜重兵第十大隊の衛戍地を姫路に仮変更、周布公平・兵庫県知事は陸相・大山巌大将に姫路が交通、国防上の好条件を有する事、及び有志の献金願いを陳情し師團設置を請願し、第十師團の姫路設置が正式に決定します。

7月、臨時陸軍建築部(監督長・野田豁通男爵)は城内陸軍省用地に設置される歩兵営以外の騎兵、砲兵、輜重兵営及び練兵場用地として飾磨郡城北村の民有地5町8反、農商務省用地6畝(移管)、埋葬地、作業場用地として高岡村の民有地6町の買収を各郡長を通じて開始しますが、城北村では地権者と買収額が折り合わず(当初反150円を提示(陸軍省は180円程度を示達)、次いで180円を提示するも拒否され、最終的に250円で妥結)、8月、有志の献金を買収額に繰入れ買収額は妥結、9月2日、買収が完了し登記を進め、兵営の建設を開始します。

11月16日、歩兵第十聯隊兵営内において歩兵第三十九聯隊本部、第一大隊が編成され、明治30(1897)年5月8日、内曲輪南側に落成した兵営に移駐します。
歩三十九の兵営建設に伴い練兵場は東側に拡張されます。

明治29(1896)年3月25日、『聯隊區司令部條例』公布により姫路大隊區司令部は姫路聯隊區司令部に改称します。

明治30(1897)年2月、第十師團司令部庁舎が内京口門内に起工、明治31(1898)年10月1日、新設第十師團長・伏見宮貞愛親王中将が親補、11月13日、大阪において行われた特別大演習に集結中の師團に着任、17日、演習終了後、竣工した司令部庁舎に入ります。

明治30(1897)年5月、高岡村の民有地を買収、姫路陸軍射撃場を開設、5月16日、姫路衛戍病院が師團司令部北側の久長門内に移転開院、旧衛戍病院は解体され歩兵第十聯隊の兵舎が新築、練兵場西端にあった仮兵舎は歩三十九兵営建築に伴い解体されます。

12月、歩兵第八旅團司令部、姫路聯隊區司令部は総社門内の新築庁舎に移転します。

9月27日、『憲兵隊編制表』が改正され第十憲兵隊、及び同憲兵隊姫路憲兵分隊姫路市役所西側に開庁します。

12月、姫路偕行社が総社門内、姫路陸軍兵器支廠、同倉庫姫路衛戍監獄が中曲輪の野里門内、騎兵、砲兵、輜重兵営が竣工します。

明治14(1881)年4月30日、『懲治隊概則』が制定され東京鎭臺に重度の品行不正にして軍記・風紀に悪影響を及ぼす下士卒を収容し更生させるため懲治隊が開設されますが、明治21(1888)年8月29日、廃止されます。
明治35(1902)年6月28日、姫路衛戍監獄の一部を改修、9月19日、『陸軍懲治隊條例』が定められ陸軍懲治隊が開設されます(明治38年2月2日から明治39年10月31日まで日露戦役により閉鎖)。


昭和15(1940)年頃
姫路市全圖(昭和15)(姫路遺構)
▲『姫路市全圖』(昭和15年4月5日 平田幾次著)姫路城周辺

昭和8~9年(姫路遺構)
▲昭和8~9(1933~34)年頃の空撮

姫路陸軍遺構姫路市全圖(昭和15) (2)(兵庫)
▲『姫路市全圖』高岡村周辺

姫路城周辺(停戦時)1(姫路遺構)
▲『姫路市全圖』を現在の地図に転写(姫路城周辺)
① 歩兵第三十九聯隊
② 城南陸軍練兵場
③ 姫路偕行社
④ 歩兵第十聯隊跡
⑤ 兵庫縣姫路護國神社
⑥ 姫路憲兵隊・同分隊
⑦ 第十師團経理部 被服倉庫
⑧ 第十師團司令部
⑨ 歩兵第八旅團司令部
⑩ 姫路聯隊區司令部
⑪ 第十師團長官舎
⑫ 姫路陸軍兵器支廠 倉庫
⑬ 第十師團 倉庫
⑭ 姫路陸軍病院
⑮ 第十師團兵器部 西倉庫
⑯ 第十師團兵器部
⑰ 姫路陸軍病院 姫山分院
⑱ 姫路陸軍拘禁所
⑲ 陸軍教化隊
⑳ 第十師團兵器部 火薬庫

姫路陸軍遺構姫路市全圖(昭和15)(兵庫)
▲『姫路市全圖』城北村周辺

姫路城周辺(停戦時)2(姫路遺構)
▲『姫路市全圖』を現在の地図に転写(城北村方面)
㉑ 騎兵第十聯隊
㉒ 野砲兵第十聯隊
㉓ 輜重兵第十聯隊
㉔ 城北陸軍練兵場

大正5(1916)年、姫路城内陸軍射撃場は危険な事から廃止され、姫路城東陸軍練兵場になります。

大正7(1918)年5月30日、師團長管理兵器が漸次増加、複雑化するなか、兵器支廠長は隷属関係に無く不都合が生じるため、勅令第百七十六號『陸軍兵器部令』制定により、6月1日、姫路陸軍兵器支廠は廃止され、第十師團兵器部が新設され兵器の管理を引き継ぎます。

大正11(1922)年、師團兵器部倉庫の一角に師團長官舎が建設されます。

大正12(1923)年12月15日、勅令第五百七號により『陸軍懲治隊條例』は廃止、軍令第十一號により『陸軍教化隊令』が制定され、17日、陸軍懲治隊は陸軍教化隊に改編されます。

大正12(1923)年4月1日、『陸軍監獄官制』改正追加により姫路衛戍監獄は姫路衛戍拘禁所、昭和15(1940)年7月31日、『陸軍監獄官制』改正により姫路陸軍拘禁所に改称します。

大正14(1925)年5月1日、第三次軍備整理(所謂、宇垣軍縮)に伴い第十七師團(岡山)が復帰、隷下の歩兵第五十四聯隊(〃)も復帰したため、歩兵第十聯隊の岡山への移駐が決定、5月3日、聯隊は姫路より岡山に転営します。
昭和3(1928)年9月17日、聯隊跡地45,182坪のうち西側34,182が第十師團経理部より大阪税務監督局に移管されます。

昭和元(1926)年、総社門内にあった姫路聯隊區司令部歩兵第八旅團司令部は第十師團司令部の敷地内に移転します。

昭和7(1932)年2月、兵庫県、及び姫路市により大正末から徐々に埋め立てられていた中堀が完全に埋め立てられ、国道2号線が開通します。
この埋め立て事業により姫路偕行社は南側の敷地を大幅に削られます。

昭和11(1936)年、兵庫縣招魂社造營奉賛會(会長:兵庫県知事・岡田周造)が組織、招魂社用地として中曲輪の南東一角が陸軍省より献納され、昭和13(1938)年4月27日、内務大臣の創立許可を得て兵庫縣姫路招魂社(昭和14年4月1日、兵庫縣姫路護國神社に改称)が竣工します。

昭和11(1936)年6月1日、輜重兵第十大隊は輜重兵第十聯隊に改編されます。

昭和11(1936)年11月2日、勅令第三百八十七號『衛戍病院令』中改正に伴い、10日、姫路衛戍病院は姫路陸軍病院に改称します。

昭和15(1940)年9月6日、姫路憲兵隊・同憲兵分隊が本町に移転して来ます。

姫路陸軍病院 姫山分院は昭和12(1937)年7月27日、第十師團の動員、支那事変出征に伴う還送患者の増大により開院したと思われますが、詳細は不明です。


昭和18(1943)年頃
姫路陸軍遺構姫路市全圖(昭和18) (2)(兵庫)
▲『姫路市全圖』(昭和18年4月10日 平田幾次著)姫路城周辺

姫路陸軍遺構姫路市全圖(昭和18)(兵庫)
▲『姫路市全圖』 城北村周辺

支那事変、大東亜戦争期間中、機密防護の見地から地図から軍関係の名称が消されてしまうため、以降の変遷は不明ですが、戦後の空撮を見ると、大きな施設移転は無いようです。

姫路配置図
▲『姫路市全圖』を現在の地図に転写(第十師團隷下部隊、管下施設配置)
① 歩兵第百十一聯隊
② 城南陸軍練兵場
③ 姫路偕行社
④ 歩兵第十聯隊跡
⑤ 兵庫縣姫路護國神社
⑥ 姫路憲兵隊・同分隊
⑦ 第五十四師團経理部 被服倉庫
⑧ 第五十四師團司令部
⑨ 第五十四歩兵團司令部
⑩ 旧姫路聯隊區司令部
⑪ 第五十四師團長官舎
⑫ 姫路陸軍兵器支廠 倉庫
⑬ 第五十四師團 倉庫
⑭ 姫路陸軍病院
⑮ 第五十四師團兵器部 西倉庫
⑯ 第五十四師團兵器部
⑰ 姫路陸軍病院 姫山分院
⑱ 姫路陸軍拘禁所
⑲ 陸軍教化隊
⑳ 第五十四師團兵器部 火薬庫
㉑ 捜索第五十四聯隊
㉒ 野砲兵第五十四聯隊
㉓ 輜重兵第五十四聯隊
㉔ 城北陸軍練兵場
㉕ 姫路陸軍墓地
㉖ 姫路陸軍射撃場

昭和15(1940)年8月1日、第十師團は關東軍直轄として滿洲移駐が決定し、10日、姫路を出発、第十師團に替わり第五十四師團が姫路に衛戍します。

昭和16(1941)年3月31日、姫路聯隊區司令部は閉鎖、事務は神戸聯隊區司令部に引き継がれます。


停戦時(昭和20年8月)
姫路城221018(姫路遺構)
▲昭和22年10月18日(国土地理院 USA-R522-3-1)

姫路配置図
① 大阪師管區 歩兵第四補充隊(半焼)
② 城南陸軍練兵場
③ 姫路偕行社
④ 歩兵第十聯隊跡
⑤ 兵庫縣姫路護國神社
⑥ 姫路憲兵隊・同分隊
⑦ 大阪師管區 被服倉庫
⑧ 全焼
⑨ 〃
⑩ 〃
⑪ 旧第五十四師團長官舎
⑫ 大阪師管區 倉庫
⑬ 大阪師管區 倉庫
⑭ 姫路陸軍病院
⑮ 大阪師管區 西倉庫
⑯ 大阪師管區 倉庫
⑰ 姫路陸軍病院 姫山分院
⑱ 姫路陸軍拘禁所
⑲ 陸軍教化隊
⑳ 大阪師管區 火薬庫
㉑ 大阪師管區 臨時兵舎
㉒    〃
㉓    〃
㉔ 城北陸軍練兵場
㉕ 姫路陸軍墓地
㉖ 姫路陸軍射撃場

昭和18(1943)年2月17日、第五十四師團のビルマ出征後、留守第五十四師團司令部が動員されますが、昭和20(1945)年3月25日、留守第五十四師團司令部は長野県立長野高等女学校に、野砲兵第五十四聯隊補充隊は小千谷、輜重兵第五十四聯隊補充隊は長野に移転、捜索第五十四聯隊補充隊は復帰、4月1日、長野師管區司令部及び各補充隊に改編されます。
師團司令部移駐に伴い、施設は中部軍管區司令部の管轄となり、4月1日、歩兵第百十一聯隊は大阪師管區 歩兵第四補充隊に改編、空いた捜索、野砲兵、輜重兵兵舎は中部軍管區の応召部隊の臨時兵舎に転用されます。

7月3日、姫路大空襲により、旧師團司令部、歩兵團司令部、聯隊區司令部、歩兵第四補充隊の一部が焼失してしまい、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

次回から、順番に遺構と部隊を紹介して行こうと思います。


主要参考文献
『姫路市史』 各巻

『姫路城史 下巻』

陸上自衛隊・姫路駐屯地史料館 展示資料

アジア歴史資料センター 各資料
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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