当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

姫路陸軍病院

姫路城東側に所在する国立病院機構姫路医療センターは姫路陸軍病院の後身です。

また姫路城北側には姫路城東陸軍練兵場、姫路陸軍病院 姫山分院、姫路陸軍拘禁所、陸軍教化隊がありました。
姫路陸軍病院 I「陸軍」石標(姫路・兵庫)
▲姫路医療センターに遺るコンクリート塀と境界石標

【探索日時】
平成23年6月3日





姫路城周辺の陸軍部隊、官衙配置
姫路市全圖(昭和15)(姫路遺構)
▲『姫路市全圖』(昭和15年4月5日 平田幾次著)

姫路城周辺~遺構(停戦時)1(姫路遺構)
▲『姫路市全圖』を現在の地図に転写したもの
① 歩兵第三十九聯隊
② 姫路城南陸軍練兵場
③ 姫路偕行社
④ 歩兵第十聯隊跡
⑤ 兵庫縣姫路護國神社
⑥ 姫路憲兵隊・姫路憲兵分隊
⑦ 第十師團経理部 被服倉庫
⑧ 第十師團司令部
⑨ 歩兵第八旅團司令部
⑩ 姫路聯隊區司令部
⑪ 第十師團長官舎
⑫ 第十師團兵器部 倉庫
⑬ 第十師團 倉庫
⑭ 姫路陸軍病院
⑮ 第十師團兵器部 西倉庫
⑯ 第十師團兵器部
⑰ 姫路陸軍病院 姫山分院
⑱ 姫路陸軍拘禁所
⑲ 陸軍教化隊
⑳ 第十師團兵器部 火薬庫

※緑文字が当記事の紹介施設
名称については一般的な昭和15(1940)年頃のものです。


⑭ 姫路陸軍病院
明治21(1888)年11月29日、陸達第二百二十三號『陸軍病院條例』改正により、歩兵第十聯隊の兵営内西端にあった病舎が姫路衛戍病院に改編されます。

明治29(1896)年3月14日、陸軍省は『陸軍平時編制』を改定(勅令第二十四號)し、第七から第十三師團の新編を決定、4月中旬、第十師團の衛戍地を姫路に選定します。
師團開設に伴い従前の病舎では患者の収容が不可能な事から中曲輪久長門内(旧士族屋敷跡)に移転、病舎が新築され、5月16日、開院します。
昭和11(1936)年11月2日、勅令第三百八十七號『衛戍病院令』中改正に伴い、10日、姫路衛戍病院は姫路陸軍病院に改称します。
昭和12(1937)年頃?、第十師團の支那事変出征に伴う還送患者の増大により姫山陸軍練兵場に姫山分院を開院します。
また皆生温泉に皆生分院を開院(病床150)します(時期不明)。
昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時の院長は大迫澄佳医大佐、病床数1,348でした。

8月31日、全陸海軍用地は連合軍に接収される事になりますが、11月19日、我が国は連合国軍最高司令官総司令部から『陸海軍病院の返還に関する覚書(GHQ AG632)』を受領、12月1日、全国の陸海軍病院は厚生省に移管され、姫路陸軍病院は国立姫路病院として開院します。
平成16(2004)年4月1日、独立行政法人国立病院機構へ移管され、国立病院機構姫路医療センターに改称、現在に至ります。

I 「陸軍」境界石標
敷地の東南隅(医療センター裏門)に遺り、非常に珍しい波型の地図記号(陸軍の意味)が刻印されています。
I「陸軍」石標 姫路陸軍病院(姫路遺構)

J コンクリート塀
塀は兵器部跡に遺る塀と同様に表面が凹凸塗装で装飾されています。
J姫路陸軍病院の塀 南から(姫路遺構)
▲門柱は戦後の物です
  写真右側の塀と石垣の接続部に上記の石標 I があります

姫路陸軍病院 J 姫路陸軍病院の塀 内側(姫路・兵庫)
▲塀の裏側


⑰ 姫路陸軍病院 姫山分院
明治4(1871)年8月、全国の城郭、陣屋は兵部省(明治5年2月27日、廃止され陸海軍省が新設)に移管され、明治6(1873)年1月14日、軍用として転用する物を選別、姫路城は存城に指定された事に伴い、明治6(1873)年2月、城内(三之丸・中曲輪内)に居住する士族は「拝借地」として当分の間、居住を認可されますが、士族側の要望により明治15(1883)年までに随時替地代、移転料を受け取り退去します。

明治7(1874)年7月、大阪鎭臺 歩兵第十聯隊が大坂城から移駐することが決定、明治8(1875)年2月、三ノ丸居住の士族を退去させ桐の馬場、岐阜町、案内社、清水町、小桜町90,000坪に姫路城内射的場を造成します。
大正5(1916)年、姫路城内陸軍射撃場(射的場)は小銃・火薬の改良、強力化により危険になった事から廃止され姫路城東陸軍練兵場になります。

明治29(1896)年3月14日、陸軍省は『陸軍平時編制』を改定(勅令第二十四號)し、第七から第十三師團の新編を決定、4月中旬、陸軍省は第十師團の衛戍地を姫路に選定します。
師團設置に伴い練兵場北側に火薬庫が造成されます。

昭和12(1937)年頃?、第十師團の支那事変出征に伴う還送患者の増大により、練兵場南側に姫路陸軍病院 姫山分院が開院します。

昭和20(1945)年8月23日、大東亜戦争停戦に伴い周辺の陸軍施設と同じく大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれ、病院宿舎、県警宿舎、戦災者住宅、自動車学校等に転用、昭和42(1967)年、文化庁、大蔵省、兵庫県、姫路市による四者協議により特別史跡姫路城跡周辺地区整備促進連絡協議会が結成され、昭和44(1969)年6月から現在まで整備事業が続けられ、現在は南側が姫山公園、歴史博物館(昭和58年開館)、北側が自動車学校、幼稚園になっています。

遺構は何も遺されていない様です。


⑱ 姫路陸軍拘禁所
明治29(1896)年3月14日、陸軍省は『陸軍平時編制』を改定(勅令第二十四號)し、第七から第十三師團の新編を決定、4月中旬、第十師團の衛戍地を姫路に選定します。

明治30(1897)年2月、姫山陸軍練兵場東端に姫路衛戍監獄が起工、明治31(1898)年11月13日、新設第十師團長・伏見宮貞愛親王中将が着任、12月、衛戍監獄が竣工します。

大正12(1923)年4月1日、『陸軍監獄官制』改正追加により姫路衛戍監獄は姫路衛戍拘禁所、昭和15(1940)年7月31日、『陸軍監獄官制』改正により姫路陸軍拘禁所に改称します。

昭和20(1945)年8月23日、大東亜戦争停戦に伴い周辺の陸軍施設と同じく大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれ、姫路拘置所に転用されます。
昭和59(1984)年、拘置所は移転、現在は広場になっており、遺構は何も遺されていない様です。


⑲ 陸軍教化隊(中部第七十六部隊)
明治14(1881)年4月30日、『懲治隊概則』が制定され東京鎭臺に重度の品行不正にして軍記・風紀に悪影響を及ぼす下士卒を収容し更生させるため懲治隊が開設されますが、明治21(1888)年8月29日、廃止されます。

明治35(1902)年6月28日、姫路衛戍監獄の一部を改修、9月19日、『陸軍懲治隊條例』が定められ陸軍懲治隊が開設され、第十師團長隷下に編入されます(明治38年2月2日から明治39年10月31日まで(日露戦役中)、懲治卒の減少、予算削減により閉鎖)。
懲治隊は『陸軍刑法』違反者のうち主に再犯者に加え異常思想者、精神疾患者を懲治卒として収容し矯正するための施設で、海軍在籍者にも適用されました。
陸軍懲治隊が姫路に設置されたのは我が国の中央付近に位置し交通の便が良く、また共産・社会・無産主義等の国家転覆を謀る左翼的な危険思想が西日本を基盤に蔓延していたためとも言われます。

大正12(1923)年12月15日、勅令第五百七號により『陸軍懲治隊條例』は廃止、軍令第十一號により『陸軍教化隊令』が制定され、17日、陸軍懲治隊は陸軍教化隊に改編されます。

昭和15年8月1日、中部軍司令部(大阪)の新設に伴い、隷属転移し、昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

以降の経緯は上記、姫路陸軍拘禁所と同様です。


⑳ 第十師團兵器部 火薬庫
上記の姫路陸軍病院 姫山分院と同様です。
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No Title

遺構が完存というのは素晴らしいですね。
皆無または一部というのも、なんともな言えないものがあります。
私の故郷にある熊本城にも、熊本鎮台府時代の軍の遺構などがあります。
しかし遺憾なのは、昨今のくだらない戦国&城ブームで観光客のために天守閣へ登るまでの巨大な階段が潰されてスロープにされた事です。
なんとも軟弱な熊本城になりました。
現在の肥後人の姿を見事に表現しています。
当時の遺構を潰すのは出来る限り避けて欲しいものです。

Re: No Title

遺構は自衛隊駐屯地に転用された施設は比較的良く残っていますね。
民間に転用されて残っているのは珍しいと思います。
金沢(第九師團)、舞鶴(鎮守府)関連の施設も一部ですが姫路のように上手く活用されていると思います。
近代遺産に比べ軍事遺産は戦後のおかしな風潮により余り大事にされて来ませんでしたが、最近徐々にですが見直される傾向にあるのが嬉しいです。
ただ、各地にはまだまだ破壊寸前の施設もあり、特に民間に売却された施設は民間任せなので何とかして欲しいところです。

熊本城が櫓や塀を復元している反面、そのようになっているとは知りませんでした。
戦国&城ブームはある意味荒廃している史跡を活性化している側面もあり、個人的にはある程度の評価はしているのですが、観光のために史跡を破壊するのは本末転倒ありえませんね。
我が大坂城も近年、天守台に名古屋城であれだけ批判があるエレベーターが設置されており景観が台無しです。
数年前に松江城でも出土した武家屋敷の遺構を潰して歴史資料館を造るとかの話がありましたが、もはや呆れます。
城は飽くまで軍事施設なので、無骨な景観もまた見所の一つと思います。
スロープのついた熊本城で加藤清正を思い、谷干城少将を偲ぶのはちょっと・・・ですね。
大衆迎合・必要以上の譲歩は無用と思うのですが。

No Title

Iの石柱ですが、波線がM字ではなく山が3つ有るのも珍しいと思います。

Re: No Title

そうなんですよ。
下のサイトによると、山が3ッの記号は明治16年、17年に使用されていた「陸軍所轄」の地図記号のようです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/archive/ac-otona/sy-hensen4.pdf
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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