当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

第十師團兵器部(旧姫路陸軍兵器支廠)、姫路陸軍病院 他

姫路城周辺の陸軍遺構紹介ですが、続いて姫路城の東側、南側を一気に紹介します。
姫路陸軍兵器支廠 西倉庫 東からパノラマ写真(姫路遺構)
▲姫路陸軍兵器支廠 西倉庫






姫路城周辺の陸軍部隊、官衙配置
姫路市全圖(昭和15)(姫路遺構)
▲『姫路市全圖』(昭和15年4月5日 平田幾次著)

姫路城210724(姫路遺構)
▲昭和21(1946)年7月24日の空撮
 南側が切れているのは仕様です。

姫路城周辺~遺構(停戦時)1(姫路遺構)
▲『姫路市全圖』を現在の地図に転写したもの

※緑文字が当記事の紹介施設
①歩兵第三十九聯隊(後、大阪師管區第四補充隊)
②城南練兵場
③姫路偕行社
④歩兵第十聯隊跡
⑤兵庫県姫路護國神社
⑥姫路憲兵隊(後、中部憲兵司令部神戸地區憲兵隊姫路憲兵分隊)
⑦第十師團経理部 被服倉庫
⑧第十師團司令部
⑨歩兵第八旅團司令部(旅團廃止後は不明)
⑩姫路聯隊區司令部
⑪第十師團長官舎
姫路陸軍兵器支廠(後、師團兵器部) 倉庫
第十師團 倉庫
姫路陸軍病院
姫路陸軍兵器支廠(後、師團兵器部) 西倉庫
姫路陸軍兵器支廠(後、師團兵器部)
姫路陸軍病院 姫山分院
姫路陸軍拘禁所
陸軍教化隊
火薬庫
名称については一般的な昭和15(1940)年頃、( )内の名称は主に停戦時のものです。


遺構について※青字は地図にリンクしています
アルファベットは遺構など、上掲地図参照
姫路陸軍兵器支廠(後、師團兵器部)
※番号が前後しますが、便宜上同じ施設はまとめます。
現在は姫路北・東高校、姫路東消防署になっています。
建物等の遺構は残っていませんが、下記の塀が僅かに残されています。

姫路陸軍兵器支廠は明治31(1898)年10月、第十師團司令部が姫路に衛戍したのにともない設置されました。
大正7(1918)年5月、大阪、小倉、広島、東京、名古屋、龍山兵器支廠を除き廃止され、各師團・臺灣總督府・關東都督府に兵器部が設置されます。
姫路陸軍兵器支廠
▲明治43(1910)年の「明治の大修理」の際の写真
 樹木の隙間から見えるのが姫路陸軍兵器支廠


M 
姫路北高の外壁の一部になっています。

L字型の塀と塀の屈曲部分を装飾する塀柱が残されています。
塀は表面が凹凸塗装で装飾されています。
M 姫路陸軍兵器支廠の塀 西から(姫路遺構)


N 
姫路東消防署の北側、中堀との境に残されています。
塀は他の現存塀と同様に表面が凹凸塗装で装飾されています。
N 姫路陸軍兵器支廠の塀 西から(姫路遺構)
▲表側

N 姫路陸軍兵器支廠の塀 内側(姫路遺構)
▲裏側
 控柱があります。


姫路陸軍兵器支廠(   〃   ) 倉庫
現在は淳心学院高校の敷地になっており、遺構は下記の石標のみで建物等の遺構はありません。

H 「陸軍」石標
敷地東北の隅(淳心学院高校の裏門)にあります。
表面がかなり摩耗していますが、辛うじて「陸軍」の文字が読めます。
H「陸軍」石標 姫路陸軍兵器支廠倉庫(姫路遺構)
▲写真では殆ど分かりません・・・


姫路陸軍兵器支廠(   〃   ) 西倉庫
姫路の陸軍遺構で最も有名な建物で、倉庫2棟が一部増改築(連結部、玄関部など)されているものの、ほぼ完存しています。
姫路陸軍兵器支廠 西倉庫 東からパノラマ写真(姫路遺構)
▲全景(左側が西棟、右側が北棟)
 西棟は増改築されています。

明治38(1905)年頃、建設され、大正2(1913)年に増築されました。
大東亜戦争停戦後、姫路市庁舎に転用された後、昭和58(1983)年、姫路市立美術館として改築開館しました。
陸軍遺構の効果的な保存活用の見本と言えます。

兵器支廠の倉庫用地になる以前に搦手口付近に号砲が設置されていました。

K 倉庫(西棟)
玄関部分が改築され覆いが設置され、北側が増築され北棟に連結されています。
姫路陸軍兵器支廠 西倉庫 南側
▲南側

姫路陸軍兵器支廠 西倉庫 西棟 南側(姫路遺構)
▲南側

姫路陸軍兵器支廠 西倉庫 西棟 西側(姫路遺構)
▲南側


L 倉庫(北棟)
大きな増改築も無く、ほぼ完存です。
姫路陸軍兵器支廠 西倉庫 北棟 東側(姫路遺構)
▲東側

姫路陸軍兵器支廠 西倉庫 北棟 北西から(姫路遺構)
▲北西


第十師團 倉庫
遺構はありません。
西側が動物園、東側が駐車場になっています。


姫路陸軍病院
現在は国立病院機構姫路医療センターになっており、遺構は下記の石標と塀以外ありません。

明治31(1898)年10月、第十師團司令部が姫路に衛戍したのにともない、5月16日、姫路衛戍病院として設置されました。
昭和12(1937)年6月、姫路陸軍病院に改称しました。

大東亜戦争停戦後は厚生省に移管され、昭和20(1945)年12月1日、国立姫路病院と改称、平成16(2004)年4月1日、独立行政法人国立病院機構姫路医療センターに改称します。

I 「陸軍」石標
敷地の東南隅(医療センター裏門)にあります。
市街地にある石標には珍しく、要塞地帯等で見かける波型の陸軍施設を表す地図記号が刻印されています。
I「陸軍」石標 姫路陸軍病院(姫路遺構)


J 
塀は他の現存塀と同様に表面が凹凸塗装で装飾されています。
J姫路陸軍病院の塀 南から(姫路遺構)
▲門柱は近年の物です。
 写真右下(塀と石垣の接続部)に上記の石標Iがあります。


姫路陸軍病院 姫山分院
遺構はありません。
現在は県立歴史博物館、シロトピア記念公園になっています。

この場所は明治31(1898)年10月、第十師團司令部が姫路に衛戍したのにともない射的場(射撃場)が設置されました。
その後、姫山射的場は小銃・火薬の改良、強力化により廃止、城外西側(名古山西麓)の高岡射的場に全ての機能を移転し、跡地は「姫山練兵場」になります。

さらにその後、姫路陸軍病院姫山分院が設置され、東半分に病棟が建設されます。
姫山分院の開院時期は不明ですが、滿洲事變・支那事變前期の外地出征師團の編合に野戰病院が無く、増加した戦傷・病者が内地に後送されていた時期ではないでしょうか?

戦後、姫山練兵場跡一帯は戦災復興住宅が建てられ、病棟も転用されます。


姫路陸軍拘禁所
遺構はありません。
現在は城内図書館の敷地になっています。

明治31(1898)年10月、第十師團司令部が姫路に衛戍したのにともない姫路衛戍監獄として設置され、大正12(1923)年、姫路衛戍拘禁所、昭和15(1940)年7月31日、姫路陸軍拘禁所と改称します。


陸軍教化隊(中部第七十六部隊)
遺構はありません。
現在は城内図書館の敷地になっています。

明治35(1902)年、『陸軍懲治隊条例』が制定され、『陸軍刑法』違反者のうち主に再犯者に加え異常思想者、精神疾患者を収容し矯正するために陸軍懲治隊が編成され、第十師團隷下として姫路衛戍監獄内に設置されました。
設置場所に姫路が選ばれたのは我が国の中央付近に位置し交通の便が良かったため、また共産・社会・無産主義等の国家転覆を計る左翼的な危険思想が西日本を基盤(今でもですが)に蔓延していたためとも言われます。
明治38(1905)年、明治三十七八年戰役(日露戦争)中に一時廃止されますが、明治39(1906)年11月、再設置されます。
明治41(1908)年、海軍水兵も編入されるようになりました。
大正12(1923)年12月15日、『陸軍教化隊令』制定により陸軍懲治隊は廃止され陸軍教化隊が新設、引き続き第十師團隷下とされます。
昭和15年8月1日、中部軍(大阪)の設置に伴い中部軍隷下となります。

場所については、姫路陸軍拘禁所内にあったとも言われていますが、昭和15(1940)年の『姫路市全圖』(上掲1枚目)では拘禁所の西側に陸軍施設を表す波型記号の「教化隊」の文字が有り、また停戦後の昭和21(1946)年の鮮明な空撮では建物こそ無いものの、建物跡のような形跡が写っている事から別の区域としました。
資料が無いため、詳細は不明です。
ご存知の方はご教示頂けたら嬉しいです。


火薬庫
遺構はありません。
現在は城内図書館駐車場、姫路中央自動車学院、白鷺保育所になっています。


以上で姫路城周辺の陸軍遺構の紹介を終わり、次回からは郊外の野里地区、高岡陸軍射撃場、姫路陸軍墓地を紹介します。
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No Title

遺構が完存というのは素晴らしいですね。
皆無または一部というのも、なんともな言えないものがあります。
私の故郷にある熊本城にも、熊本鎮台府時代の軍の遺構などがあります。
しかし遺憾なのは、昨今のくだらない戦国&城ブームで観光客のために天守閣へ登るまでの巨大な階段が潰されてスロープにされた事です。
なんとも軟弱な熊本城になりました。
現在の肥後人の姿を見事に表現しています。
当時の遺構を潰すのは出来る限り避けて欲しいものです。

Re: No Title

遺構は自衛隊駐屯地に転用された施設は比較的良く残っていますね。
民間に転用されて残っているのは珍しいと思います。
金沢(第九師團)、舞鶴(鎮守府)関連の施設も一部ですが姫路のように上手く活用されていると思います。
近代遺産に比べ軍事遺産は戦後のおかしな風潮により余り大事にされて来ませんでしたが、最近徐々にですが見直される傾向にあるのが嬉しいです。
ただ、各地にはまだまだ破壊寸前の施設もあり、特に民間に売却された施設は民間任せなので何とかして欲しいところです。

熊本城が櫓や塀を復元している反面、そのようになっているとは知りませんでした。
戦国&城ブームはある意味荒廃している史跡を活性化している側面もあり、個人的にはある程度の評価はしているのですが、観光のために史跡を破壊するのは本末転倒ありえませんね。
我が大坂城も近年、天守台に名古屋城であれだけ批判があるエレベーターが設置されており景観が台無しです。
数年前に松江城でも出土した武家屋敷の遺構を潰して歴史資料館を造るとかの話がありましたが、もはや呆れます。
城は飽くまで軍事施設なので、無骨な景観もまた見所の一つと思います。
スロープのついた熊本城で加藤清正を思い、谷干城少将を偲ぶのはちょっと・・・ですね。
大衆迎合・必要以上の譲歩は無用と思うのですが。

No Title

Iの石柱ですが、波線がM字ではなく山が3つ有るのも珍しいと思います。

Re: No Title

そうなんですよ。
下のサイトによると、山が3ッの記号は明治16年、17年に使用されていた「陸軍所轄」の地図記号のようです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/archive/ac-otona/sy-hensen4.pdf
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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