当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

姫路陸軍墓地

姫路城の西2㎞の栗林山(名古山)に姫路陸軍墓地があります。

陸軍墓地 入口(姫路遺構)
▲姫路陸軍墓地 現状

【探索日時】
平成23年5月15日





姫路城周辺の陸軍部隊、官衙配置
姫路配置図
▲『姫路市全圖』(昭和15年4月5日 平田幾次著)を現在の地図に転写

姫路陸軍墓地210724(姫路遺構)
▲昭和21(1946)年7月24日の姫路陸軍墓地空撮
 
施設の概要
㉕ 姫路陸軍墓地
明治7(1874)年7月、大阪鎭臺 歩兵第十聯隊が大坂城から移駐することが決定、明治8(1875)年2月、姫路城三ノ丸居住の士族を退去させ兵舎を起工、10月11日、歩兵第十聯隊第一中隊が大阪から移駐して来ます。
明治9(1876)年11月28日、栗林山の官有地を移管、民有地を買収(合計1,700坪)、工兵第四方面が造成を開始、明治10(1877)年10月7日、姫路第九営付属埋葬地(姫路営所付属埋葬地)が開設されます。
姫路では殉職者の遺骨は火葬の後、船場本徳寺に納められ、法要後に遺族へ渡され埋葬地か親族墓所に埋葬されました。

明治29(1896)年3月14日、陸軍省は『陸軍平時編制』を改定(勅令第二十四號)し、第七から第十三師團の新編を決定、4月中旬、新設第十師團の衛戍地を姫路に選定します。
明治30(1897)年5月、栗林山の埋葬地に隣接する民有地を買収、内務省用地(姫路監獄墓地)を移管し造成、埋葬地を整備するとともに姫路歩兵作業場を開設します。
明治30(1897)年8月17日、陸軍省令第二十二號『陸軍埋葬規則』が制定され、姫路営所付属埋葬地は姫路陸軍埋葬地と改称、昭和13(1938)年5月5日、陸軍省令第十六號『陸軍墓地規則』が制定され『陸軍埋葬規則』は廃止、姫路陸軍埋葬地は姫路陸軍墓地に改称します。

昭和20(1945)年8月23日、大東亜戦争停戦に伴い周辺の陸軍施設と同じく大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれます。

昭和21(1946)年?、姫路市に移管、戦災復興事業(失業者対策)として隣接する姫路陸軍射撃場跡とともに「名古山公園」が計画されますが、姫路市長・石見元秀(同年7月、就任)は空襲で荒廃した市街地の再整備のため計画を変更、昭和26(1951)年9月、射撃場跡は切り離し点在する墓地を陸軍用地(陸軍墓地、歩兵作業場)であった栗林山に集約し霊園の造成の開始、姫路陸軍墓地は破壊され昭和29(1954)年、名古山霊苑として開園します。
仏舎利塔(姫路遺構)
仏舎利塔のある位置が元々の陸軍墓地の中心部(昭和29年4月12日、インドの故ネール首相から姫路市に寄贈)

この造成に伴い姫路陸軍墓地は破壊され、墓標は無縁墓のように塔状に積み上げられ、見るも無残な形にされてしまい現在に至ります。

姫路陸軍墓地は現在、戊辰の役から大東亜戦争までの各戦役において散華された英霊に加え、自衛隊の公務殉職者の御霊111,500余名が鎮まっています。

姫路陸軍墓地(姫路遺構)
▲姫路陸軍墓地 見取図
 姫路陸軍墓地
 姫路陸軍射撃場

あ 姫路陸軍墓地
戦後の霊園造成に伴い姫路陸軍墓地は破壊(この言葉が相応しい状態!)、墓標は無縁墓のように塔状に積み上げられ、見るも無残な形にされています。
戦後、陸軍墓地が移転させられた箇所は多々ありますが、もう少し何とかならなかったのかと思います。
姫路陸軍墓地全景
▲姫路陸軍墓地の現況

墓標の山
西側墓標 南側(姫路遺構)
▲西側墓標の山

東側墓標 南側(姫路遺構)
▲東側墓標の山

各地の陸軍墓地を見てきましたが、姫路の状態には唖然とさせられました。
広大な敷地を有しながら何故ここまでまとめてしまう必要があったのか甚だ疑問です。
これでは、墓碑銘をなぞって英霊に思いを馳せる事もできませんし、それ以前に墓碑銘が見えません。
このやり方には英霊を敬う姿勢は感じられず、むしろ邪魔だから適当に積み上げたと見えるのは僕だけでしょうか?
悲しいを通り越して憤りすら覚えます。

外国人兵士の墓
大正三四年戰役(第一次世界大戦)に際し青島攻略戦において俘虜となったドイツ軍兵士の墓です。
収容中に病没した6名のうち引き取り手の無かった3名が眠っています。
外国人墓標(姫路遺構)

う 常陸丸殉難記念碑
明治三十七八年戰役(日露戦争)の際、ロシア軍艦により撃沈された常陸丸に乗船し散華された永吉充五郎大尉以下、第十師團第三糧食縦列(輜重兵)382名の武勲を顕彰するため、輜重兵第十聯隊兵営の営庭に建立されていました。
昭和40(1965)年7月、姫路輜重会により現在地に移転再建されました。
揮毫は姫路出身の本庄繁大将です。
常陸丸殉難記念碑(姫路遺構)
常陸丸と言えば靖國神社にある同船に乗船していた近衛後備歩兵第一聯隊を顕彰する同名の碑が有名です。


-戦後の碑-
戦没者納骨堂
戦没者納骨堂(姫路遺構)

輝英魂
輝英魂(姫路遺構)

英霊奉安之碑
名古山 英霊奉安之碑(姫路遺構)

い 殉國四十一烈士之
昭和51(1976)年10月、白菊遺族会兵庫県支部により建立されました。
兵庫県出身の法務死された英霊41名が祀られており、碑の側面に詳しい説明と、法務死された英霊の名前が記されています。
殉國四十一烈士之碑(姫路遺構)
大東亜戦争停戦後、戦勝国である連合軍は各地で我が国軍将兵多数を戦争犯罪人として起訴しました。
しかし、その殆どが確たる証拠も無い杜撰なもので、裁判とは名ばかりの報復の意味合いが強い審理を経て約1,000名が法務死を遂げました。

え 慰霊碑 獨立野砲兵第二聯隊 ・ 愛馬の碑
昭和55(1980)年4月27日、建立されました。
「慰霊碑」(独立野砲兵第二聯隊)(姫路遺構)

お あゝビルマの戦友
昭和44(1969)年4月5日、姫路ビルマ会(歩兵第百十聯隊戦友会)により建立されました。
「あゝビルマの戦友」(姫路ビルマ会)(姫路遺構)

か 南洋群島戦没者 慰霊碑
昭和42年4月、パラオ会(第五十七兵站地區隊戦友会)により建立されました。
「南洋群島戦没者慰霊碑」(パラオ会)(姫路遺構)

き 群青に眠る白桜
  鎮魂
  ビルマ戦線 つわもの四間隊の碑

「群青に眠る白桜」は昭和58年8月、十八志主会(海軍呉鎮守府大竹海兵団昭和十八年四月入団志願主計兵生還同期生の集い)、「鎮魂」は昭和58(1983)年5月22日、輜重兵第十七聯隊戦友会(揮毫は最後の師團長・酒井康中将)「ビルマ戦線 つわもの四間隊の碑」は昭和52(1977)年5月、歩兵第百十一聯隊第二中隊長・四間武治大尉以下153名を慰霊・顕彰すべく四間中隊長の遺児・細君を発起人として建立されました。
全景(姫路遺構)
▲左から「群青に眠る白桜」・「鎮魂」・「ビルマ戦線 つわもの四間隊の碑」

け 「満蒙開拓 殉難者之碑」
昭和49(1974)年12月、兵庫縣拓友会により建立されました。
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No Title

私も姫路陸軍墓地を訪れて、怒りを覚えました。酷すぎます。
境界石は知りませんでした。

Re: No Title

kanさん、こんばんは。
そうですよね、普通の感覚ならこの状態は怒りをおぼえますよね。
霊園の造成が始まった昭和21年と言えば未だ遺族の方もご存命でしょうし、まともな感覚の持ち主なら墓標を引き抜いたうえ、まとめてコンクリートで固めてこの様な状態にすることなど考えもつかないと思います。
まして、肉親を失った遺族の方の心の傷を思うと何とも言えない気持ちになります。
墓標を移転するにしてもムダに広い駐車場や、現在の陸軍墓地の前後の広場等いくらでもあったと思うのですが。正気の沙汰とは思えません。
kanさんも紹介されている深山をはじめ三重、岐阜などは荒れているとは言え何とか現状を維持していますが、姫路はそれ以前の問題です。
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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