当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

姫路陸軍射撃場

姫路城の西側約2㎞に姫路陸軍射撃場がありました。
「陸軍」石標 西面 X(姫路遺構)
▲畑地に遺る「陸軍」境界石標

【探索日時】
平成23年9月7日





姫路城周辺の陸軍部隊、官衙配置
姫路陸軍遺構姫路市全圖(昭和15) (2)(兵庫)
▲『姫路市全圖』(昭和15年4月5日 平田幾次著)
  左斜めの区画が姫路陸軍射撃場

高岡射撃場210724(姫路遺構)
▲姫路陸軍射撃場跡(昭和21年7月24日 国土地理院 USA-R522-3-1)

姫路配置図
▲『姫路市全圖』を現在の地図に転写


遺構について
 姫路陸軍射撃場
明治29(1896)年3月14日、陸軍省は『陸軍平時編制』を改定(勅令第二十四號)し、第七から第十三師團の新編を決定、4月中旬、新設第十師團の衛戍地を姫路に選定します。
明治30(1897)年5月、飾磨郡高岡村の民有地を買収、姫路陸軍射撃場を開設、11月13日、第十師團の開設とともに供用を開始します。
名称は「高岡陸軍射撃場」とも呼称されていました。

昭和20(1945)年8月23日、大東亜戦争停戦に伴い周辺の陸軍施設と同じく大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれます。

昭和21(1946)年、戦災復興事業(失業者対策)として隣接する名古山(姫路陸軍墓地所在)とともに「名古山公園」が計画されますが、名古山は「霊園」に計画変更され、昭和22(1947)年5月、射撃場西側は姫路市立高丘中学校姫路変電所用地に、東側は払い下げられ住宅地に転用され現在に至ります。

第十師團の射撃場は当記事の姫路の他、明治10(1877)年7月、歩兵第十聯隊の姫路衛戍に際し開設された姫路城北側の姫路城内陸軍射撃場と、中阿保、西阿保村内に10,000坪を買収し開設された阿保射的場がありました。
城内は小銃・火薬の改良、強力化により危険になった事から大正5(1916)年に廃止(それ以前から使用は中止)、阿保は明治35(1902)年、不要土地として整理対象になっていましたが、日露戦役に伴う速成教育のため整備されて再使用され、日露戦役勝利ののち廃止された様です。

高岡射撃場 南西端から北東(姫路遺構)
▲射撃場の現状(道路右側が射撃場跡)
  弾除けの土堤は無くなっていますが、区画がそのまま遺ります
 
土堤
高丘中学校の西側に的場の土堤が1/3程残されています。
高岡射撃場 北東端の土塁(姫路遺構)
▲かつては銃弾がよく出てきたそうです

V 「陸軍」境界石標
射撃場跡北側、農道にあります。
「陸軍」石標 北東面 V(姫路遺構)
▲北東を向いています。

W 「陸軍」境界石標
射撃場跡北側、畑の畔道にあります。
「陸軍」石標 南西面 W(姫路遺構)
▲南西を向いています。


X 「陸軍」石標
射撃場跡北側、畑の畔道、上記Wの北にあります。
「陸軍」石標 西面 X(姫路遺構)
▲西を向いています。

この3本の石標ですが、向いている方向が境界線の内側であったり外側であったりとバラバラです。

主要参考文献
『姫路市史』 各巻

アジア歴史資料センター 各資料
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No Title

こんばんは。
射撃場の敷地はすごく広かったんですね。
射撃以外にも居住施設や訓練場などがあったんでしょうか。
私も仕事で現在の射撃場など行く機会がありますが、地図で見ても分かるように小さいものです。
私の在住地域にある山口射場は射撃だけの機能しか持ちませんので非常に狭く、福岡にある曽根射場は市街地戦闘の訓練施設のようなものがあり、割と広大ですが高岡射撃場には及びません。
しかし、石標が残っているのは幸いですね。
石とはいえ風化するでしょうから、できれば大切に保存したいですね。

Re: No Title

菊陽さん、こんばんは。
陸軍の射撃場は約100x500m程が標準だったようで、聯隊の兵営跡には練兵場、陸軍墓地と並んで必ずある施設でもあり、現在も区画が残っていることが多いので探してみるのもおもしろいですね。
一般的な射撃場は警備にあたる衛兵が数名配置されていた程度で、居住施設等は無く、訓練時は兵営から直接出向いていました。

当時の射撃場は様々な距離の射撃訓練を行っていたため長大ですが、現在の射撃場はどこも短距離ですね。

福岡にある曽根射場の市街地戦闘の訓練施設と言えば、東京第二陸軍造兵廠曽根製造所の建物跡ですよね。
機会が有れば見てみたいのですが、演習場なので無理そうですが・・・

射撃場跡は区画と土塁がよく残っていますが、石標が残っているのは珍しいと思います。
畑の中にあるのですが、周辺は新興住宅地になりつつあるので、いずれ撤去されてしまうかもしれません。
風化対策と合わせて何とか保存して欲しいものです。

No Title

横須賀には海軍の射撃場跡が有りますが、海軍の境界石が有ります。
今は、コリアンタウンとして有名な新大久保には陸軍戸山学校射撃場の境界石が残ってますが、擁壁の一部となっています。

No Title

kanさんこんばんは。
情報ありがとうございます。
なかなか関東方面は行けないですが、何かの時には行ってみたいと思います。
関西でも篠山の射撃場跡にはあったと思うのですが、場所を忘れてしまいました・・・

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おじゃまします~(^O^) 姫路にも遺構があちこち残ってるんですね 保存されていくのでしょうか? 射場の跳弾除けね土手など つぶすのが大変やから残ってるかもですね そういや若い時に世話になった菱木射場も今はなにやら訓練場みたいな感じになって草ぼーぼーっぽいです。 あの「陸軍」の石標は もう不要品かもやから引っこ抜いて家の庭に置くのもよいかもですね(◎o◎) 信太山演習場にもあちこち陸軍石標があったと記憶してます、駐屯地ないの整備で隊舎横に階段こさえた時に 山から持ってきたであろう石標が階段の横にちょこんと建てられてました(^O^)今もあるのかなあ…

Re: タイトルなし

ひろしさん、こんにちは。
姫路の遺構は姫路城を含む史跡地区の整備により、師團衛戍地としてはかなり少ないものの僅かに残されています。
師團長官舎、兵器庫はしっかり活用されているので問題ないと思いますが、それ以外の細々した物(境界石標や塀など)は怪しいです。

射場の土堤は特に均す必要性が無かったためタマタマ残っているようです。
菱木射場は戦時中も射場だった?ようで、終戦直後の写真にも写っていますね。
今は「訓練場」となっているので、射撃はやっていないのでしょうか?

「陸軍」石標ですが、交野の軍用側線跡の畔道に廃材として転がっていたのを持ってみようと思いましたが、一人では無理でした(笑)
信太山演習場陸軍時代に比べかなり縮小されていますが、戦前の地図を入手したので一度探索(もちろん周囲だけですが)しようと考えています。
やはりあちこち陸軍石標がありましたか!楽しみです。
駐屯地祭に何度か行きましたが、隊舎階段に移設された石標があったのは知りませんでした。
今度注意して見ておきます(^O^)
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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