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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

二・二六事件

本日は2月26日、そうです今から73年前の昭和11(1936)年の今日帝都で陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行」「尊皇討奸」を掲げて決起した事件です。
うちの祖母が10歳の時です。

詳細は長くなるので記述しませんが、Wikipediaの記事が「クーデター」と言っていること以外は比較的客観的で整理されており、参考になります。

→二・二六事件





二・二六事件といえば、事件後陸軍の政治的立場が膨張し、戦争へ向かったと何としても戦争に結びつけたり、のちの東條英機首相の登場に結びつけたりと、一部に?な論調が目立ちますがもう少し勉強しろといいたいですね
結果論の典型で、なぜ彼らが決起したかの考察は無視して、「結果こうなった」をことさら強調するご都合主義にはうんざりです

彼らが考えた「昭和維新断行」「尊皇討奸」とは、簡単に言うと天皇陛下の御新政の実現であり、当時の不条理な情勢を生み出したのはひとえに陛下の周りに巣食う重臣どもであり、経済を牛耳る巨大財閥どもで、それらを排除すれば社会は良くなるという思想です。
自然現象で例えるなら、太陽の周りの黒雲を吹き飛ばせば太陽の光が直接大地に降り注ぐ、といったとこです。

その思想に基づき彼らは雪の降りしきる73年前の今日、ついに決起しました。
首相官邸、警視庁、陸軍省及び参謀本部、朝日新聞社などを次々に襲撃し、大蔵大臣(元総理)高橋是清、内大臣(前総理・子爵・予備役海軍大将)斎藤實、陸軍教育総監(陸軍大将)渡辺錠太郎を殺害、侍従長(男爵・予備役海軍大将)鈴木貫太郎に重傷を負わせ政治の中枢である永田町、霞ヶ関、赤坂、三宅坂の一帯を占領しました。
決起は成功しつつありましたが、彼らのねがいは陛下に届かず逆に信頼する重臣を殺害され、帝都を騒乱させた彼らに対する陛下の怒りは激しくただちに「叛乱軍」として陸軍に鎮圧するように奉勅命令が下ります。
これにより決起部隊は叛乱軍となり上官の説得により部隊は原隊に復帰し、首謀者は野中四郎大尉、河野寿大尉が自決し他は逮捕(のち大半が死刑)され事件は収束しました。

彼らが武力により政変を目指し重臣を殺害したため、その一点のみが注視されますが、大切なのは彼らの「心情」ではないでしょうか?

この決起に参加した若き兵達は東北の貧しい農家の出身者が多かったと云われています。自分達の妹や姉が遊郭に売られて行くような社会に激しい憤りを以って、社会変革の為に身を捨てる覚悟で決起しました。
すなわち、彼らは社会の不条理に義憤に燃え、敢然と立ち向かったの一言につきます。

この事は現代にも大いに通じるものがあり、社会の不条理に立ち向かう勇気こそが何よりも大切であり、その信念こそが社会を変える力になると思います。

以下に僕の愛唱する歌でもあり、決起部隊でも歌われていた「昭和維新の歌(青年日本の歌)」を掲げます。
彼らの心情を非常によく表しているのではないでしょうか。


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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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