当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大阪陸軍糧秣支廠

大阪市港区の天保山に大阪陸軍糧秣支廠がありました。
獣魂碑(大阪陸軍糧秣支廠遺構)
▲天保山公園に遺る獣魂碑

【探索日時】
平成22年7月16日





天保山(築港)周辺の陸軍官衙配置
天保山 昭和12(大阪陸軍糧秣支廠遺構)
▲昭和12(1937)年の築港付近

天保山 231230(大阪陸軍糧秣支廠遺構)
▲昭和23(1948)年12月30日の米軍空撮
  築港一帯は空襲により殆ど焼失しています

天保山(大阪陸軍糧秣支廠遺構)
▲現在の地図に転写したもの
① 大阪陸軍糧秣支廠
② 大阪憲兵隊 築港憲兵分隊
③ 大阪俘虜収容所
④ 高射砲陣地

大阪港は近畿地方最大の港湾であり、外地へ出征または帰還する陸軍部隊のための設備・施設が多数設置されていました。
築港南側(海岸通り)には上記以外にも帰還傷病兵休憩所、馬繋場、糧秣集積所等が、福崎には陸軍需品廠大阪支廠、第一船舶輸送司令部大阪支部、福崎高射砲陣地等がありましたが、昭和20(1945)年6月1日、米軍による第二次大阪大空襲により大半の施設が焼失、さらに停戦後の9月17・18日、枕崎台風により築港一帯は高潮・浸水被害を受け壊滅的被害を受けてしまいます。
さらに戦後の開発により遺構は完全に破壊され、殆ど何も遺っていません。


遺構について
① 大阪陸軍糧秣支廠
糧秣廠及び糧秣支廠は陸軍大臣に隷し、糧秣品・給養器具の購買・製造・修理・貯蔵・補給、及び調査・研究・試験を管掌しました。
大阪陸軍糧秣支廠では主に乾麺麭(乾パン)の製造を行い、他にも精米・精麦・大麦・燕麦・高粱の補給を行いました。

嘉永7(1854)年(元治元(1864年)とも)、幕府は天保山に異国船の来襲に備え稜堡式(星形)砲台を築造します。
天保山 明治23(大阪陸軍糧秣支廠遺構)
▲天保山の砲台跡(明治23年)

明治30(1897)年10月17日、大阪市は大阪港の埋立・築堤工事を開始、明治36(1903)年、大桟橋が完成します(築港地区完工)。
明治37(1904)年2月10日、明治三十七八年戰役(日露戦争)勃発、4月2日、北区老松町(現、西天満)に陸軍糧秣廠大阪派出所が開設され、砲台跡地にある第四師團経理部築港事務室で実務を行います。
明治39(1906)年2月28日、戦役終結に伴い閉鎖され、機能は神戸に移転されます。
明治40(1907)年10月、師團増設に対応するため、天保山砲台跡に大阪陸軍糧秣支廠の開設が決定、第四師團経理部により用地買収が行われ、臨時陸軍建築部により地均し、建物建設が開始されます。
明治41(1908)年4月、東京市深川區越中島(現、江東区越中島)の陸軍糧秣本廠において大阪陸軍糧秣支廠が事務を開始、明治44(1911)年7月、廠員は大阪市港湾課に派遣員事務所を開設、12月11日、庁舎の完成により天保山に移転します。
大阪港 陸軍糧秣支廠(大阪陸軍糧秣支廠遺構)
▲大阪陸軍糧秣支廠

大阪陸軍糧秣支廠 南端(大阪陸軍糧秣支廠遺構)
▲現在の大阪陸軍糧秣支廠跡
なぁ~んもねぇ!

昭和13(1938)年3月11日、管下に名古屋派出所が開設されます。
支那事変、大東亜戦争と糧秣需要の増大に対応すべく、大阪市から支廠周辺の築港、海岸通りに生産設備・集積用地を借用し生産・補給にあたりました。

昭和20(1945)年6月1日0928、米軍B29爆撃機458機が大阪に来襲(第二次大阪大空襲)、大阪陸軍糧秣支廠は焼夷弾多数を被弾、製造設備・倉庫など大半の建物が焼失してしまい、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

他の陸軍施設同様に民間の協力工場を多数持ち、また生産設備の疎開等を行っていたと思われますが、資料が無く詳細は不明です。

その後の経緯は不明ですが、他の陸軍用地同様に、8月28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれたのち払い下げられたと思われ、現在は天保山公園、団地、住宅、老人介護施設、民間港湾施設等になっており、遺構は殆ど遺されていません。

ア 獣魂碑
獣魂碑(大阪陸軍糧秣支廠遺構)
大阪陸軍糧秣支廠の唯一の遺構で、天保山公園の東端にあります。
昭和17(1942)年7月、大阪陸軍糧秣支廠において軍の糧食として給された動物を慰霊するため、当時の支廠長・土正雄主計大佐により建立されました。
獣魂碑セメント?(大阪陸軍糧秣支廠遺構)
▲碑文左側、大佐の肩書である「大阪陸軍糧秣支廠長」の刻字にセメントで塗りつぶされた様な跡があります

碑の名称からペットの墓地と勘違いする人が多い様で、以下の様な立て札が建てられています。
獣魂碑 注意(大阪陸軍糧秣支廠遺構)


その他
イ 「明治天皇観艦之所」碑
明治元(1868)年3月、明治帝の大阪行幸の際、天保山に上られ我が海軍を観閲、大正帝の銀婚式記念に明治帝の聖躅を後世に残すべく建碑の機運が興り、昭和4年5月、大阪青年聯合團によりに起工され、昭和4(1929)年10月、竣工しました。
明治天皇観艦之所碑 正面側(大阪陸軍糧秣支廠遺構)
▲正面は海側を向いています

明治天皇観艦之所碑 裏側(大阪陸軍糧秣支廠遺構)
▲背面から
  海風により劣化が進んでいます

ウ 明治天皇聖躅
大正14年5月10日、大阪青年聯合團により建立されました。
大阪市内各所には同様の碑が31本建立されました。
明治天皇聖躅碑(大阪陸軍糧秣支廠遺構)


② 大阪憲兵隊 築港憲兵分隊
大正14(1925)年5月29日、大阪憲兵隊管下に開設、昭和20(1945)年3月30日、大阪憲兵隊は中部憲兵隊司令部に改編、築港憲兵分隊は同司令部管下に配属されますが、昭和20(1945)年6月1日、第二次大阪大空襲により建物が焼失してしまい、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

敷地は隣接する大阪陸軍糧秣支廠と同様の経緯を辿ったと思われ、現在は駐車場になり遺構は何も遺されていません


③ 大阪俘虜収容所
大正3(1914)年11月16日、大正三四年戰役(第一次世界大戦)におけるドイツ軍俘虜を収容するため、大阪市西区南恩賀島町亥開(いびらき・現、大阪市大正区南恩加島1)の大阪府警察部衛生管理隔離廠舎(ペスト患者の隔離施設)を転用し大阪俘虜収容所が開設されます。
大正6(1917)年2月18日、俘虜は似島収容所(広島)に移動、19日、大阪俘虜収容所は閉鎖されます。

昭和17(1942)年9月23日、大阪港区五条通り3-41(大阪市港区築港2)に善通寺俘虜収容所大阪分遣所が開設されます。
昭和18(1943)年2月18日、大阪俘虜収容所本所に改称されます。
昭和20(1945)年6月1日、米軍による第二次大阪大空襲により全焼、俘虜は第十三分所(大阪市西成区津守町280-1・現、南津守2)に移動した後、第一分所(港区北福崎西之町・現、福崎2)に移動します。
7月10日、本所事務所のみ三島郡新田村字下新田(現・吹田市千里山)の千里第二國民學校(現、千里第二小学校)に移転し、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

大阪俘虜収容所の管下には第一(大阪港区)、第二(神戸)、第三(大江山)、第四(多奈川、のち生野)、第五(敦賀)、第六(明延)、第七(武生)、第八(野田沼)、第九(能登川)、第十(大正、のち米原)第十一(六呂師)、第十二(広畑)、第十三(津守)、第十四(和歌山)、第十八分所(脇浜)、及び第二(梅田駅構内)、第三(西淀川区淀川製鋼)、第四(此花区日立造船所)、第五(神戸川崎重工)、第六(尼崎大谷重工)、第七(相生播磨造船所)、第八派遣所(鳴尾昭和電極工場)がありました。

敷地は大阪陸軍糧秣支廠同様、大蔵省に移管されたのち払い下げられたと思われ、現在は民家や工場になっており遺構は何も遺されていません


④ 高射砲陣地
大桟橋に八八式七糎野戰高射砲が4門備砲された陣地が設定されていました。
高射第百二十一聯隊の中隊と思われますが、詳細は不明です。
大阪港(大阪陸軍糧秣支廠遺構)
▲昭和20(1945)年6月1日、米軍による第二次大阪大空襲に曝される築港
  大桟橋(突き出た部分)の先端に砲座4基が見えます。

遺構は何も遺されていません


福崎高射砲陣地
また、近隣の福崎(部隊詳細不明)にも高射砲陣地があり、高架式砲座に九九式八糎高射砲6門が備砲されていた様です。
大阪港 高射砲(福崎)
▲福崎の高射砲陣地(南東側から)
 高架式の砲座6基、指揮所、兵舎が見えます
 手前の建物は陸軍需品廠大阪支廠の倉庫

周辺は水道施設、工場等になっており遺構は何も遺されていません


<主要参考文献>
『大阪港史 第1巻』 (昭和34年3月 大阪港湾局)

官報
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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