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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

熊本旅行 1日目

10月12日・13日・14日の3日間、熊本旅行に行ってきました。

熊本城大小天守(鉄筋外観復元 )西から (2)(熊本旅行)
▲熊本城大小天守(鉄筋外観復元 ) 西から






今回はまとまった休日が取れたので、3日の日程で以前より行ってみたかった熊本城を中心に熊本に駐屯する自衛隊、周辺の軍跡、阿蘇山などを巡って来ました。
行き先は当初、これまた行きたかった「松本城」でしたが、ネットで調べると「修理中」となっており、行っても仕方ないので「熊本」に変更しました。
熊本へは今年、全線開通した九州新幹線で新大阪から2時間59分で行けるのも大きな理由でした。
今回は事前に申し込んだ「赤い風船」のJRツアーを利用しました。

朝5:45に新大阪に集合、6:00発の新幹線「みずほ」に乗車、8:59に熊本駅に到着しました。
みずほ601~新大阪(熊本旅行)
▲新幹線「みずほ」
 座席が広く、快適でした。

熊本駅(東口)(熊本旅行)
▲熊本駅
 大阪駅を見慣れている僕としては人の少なさに驚きました。

熊本市電(熊本旅行)
▲熊本中心部は市電が大活躍です。

初日は熊本城を中心に熊本城周辺の陸軍遺構を散策します。
城域に点在する陸軍関連遺構(主に石碑)の詳細は後日別記事で紹介します。

熊本縣護國神社  【公式サイト】

拝観無料、駐車場無料(参拝者のみ)

熊本縣護國神社拝殿(熊本陸軍遺構)
▲熊本縣護國神社 拝殿

まずは、旅行の初日に必ず訪れると決めている護國神社を参拝し、殉国の英霊に感謝の誠を捧げます。
熊本縣護國神社には明治維新以降の熊本県ゆかりの殉国の英霊に加え西南の役の所謂賊軍である薩摩軍加入者、大東亜戦争期の空襲犠牲者、戦後の自衛隊殉職者、消防殉職者など65,000余柱がお祀りされています。

友人とともに参拝を済ませ、境内の英霊に関する顕彰・慰霊碑、さらに併設されている「戦争歴史資料館」を見学します。
熊本縣護國神社東側の碑 全景 パノラマ写真(熊本陸軍遺構)
▲境内の顕彰・慰霊碑

こちらの護國神社には拝殿の中に主に大東亜戰争における英霊の活躍・事績紹介がパネルや絵画により展示されています。
熊本縣護國神社拝殿内(熊本陸軍遺構)
▲拝殿内の展示

また、「戦争歴史資料館」にも明治維新より大東亜戦争における英霊の活躍・偉業、遺品、戦地から帰還した遺品などが展示してあります。
特に熊本出身の著名な英霊はパネルや御遺品がそれぞれ展示されており、分かり易いように工夫がされており非常に見応えのある内容でした。
熊本縣護國神社戦争資料館 展示(熊本陸軍遺構)
▲戦争歴史資料館内の展示
 唯一残念なのは「太平洋戦争」の表示です。
 護國神社であれば「大東亜戰争」と表記すべきです。

旅行期間中の3日間、当初は2日目以降は天候が悪い予報でしたが、英霊の御加護としか思えない晴天に恵まれ、3日目の午前中いっぱい天候が持ちました。


熊本市立熊本博物館  【公式サイト】

入館300円、月曜休館、駐車場無し(周辺の熊本城有料駐車場利用)

当博物館は地質・生物・理工・考古・歴史・民族の史資料が展示されており、また県立の博物館が無いため、市立博物館に県内の資料が全てあるそうです。
熊本市立熊本博物館化石(熊本旅行)
▲トウヨウゾウの臼歯の化石

熊本市立熊本博物館機関車(熊本旅行)
▲機関車

時間の関係で、サラッと見学しましたが、ゆっくり見学したい施設です。


旧細川刑部邸(県指定重要文化財)  【公式サイト】

入宅300円、駐車場無し(周辺の熊本城有料駐車場利用)

旧細川刑部邸正面(熊本旅行)
▲正面玄関

細川刑部家は細川家3代(肥後細川家初代)忠利の弟、刑部少輔興孝が正保3(1646)年に2万5千石を与えられ興しました。
この邸宅は元々、子飼にあった下屋敷で平成6(1994)年に現在地に移設されました。
上級武士の邸宅として広大ながら、決して贅沢では無く、質素堅実な造り、佇まいになっています。
旧細川刑部邸春松閣(熊本旅行)
▲春松閣

旧細川刑部邸階段(熊本旅行)
▲箱階段

旧細川刑部邸台所(熊本旅行)
▲台所


桜の馬場 城彩苑  【公式サイト】


昼食はこちらの施設で頂きました。
今年開業した観光商業施設で、食事・土産屋などが多数あります。
また、併設の湧々座(歴史文化体験施設)では毎日催しが行われています。
残念ながら今回は時間の調整がつかず、見る事ができませんでした。


熊本城  【公式サイト】 【参考サイト】

入城500円、駐車場有料

今回の旅行最大の目的であり、長年訪ねたいと思っていた熊本城です!
熊本城は大坂城・名古屋城と共に日本三名城に数えられており、築城の名手・加藤清正が築いた堅城で、その防御力は近代の西南の役時に薩摩軍の大軍を退けた事でも証明されました。
熊本城大小天守(鉄筋外観復元 )東から(熊本旅行)
▲大小天守 東から

熊本城大小天守(鉄筋外観復元 )西から(熊本旅行)
▲大小天守 西から

熊本城大天守(鉄筋外観復元 )南から(熊本旅行)
▲大天守 南から

熊本城宇土櫓・大小天守(鉄筋外観復元 )二之丸から(熊本旅行)
▲宇土櫓(現存)・大小天守 二之丸から

熊本城は「第三の天守」と言われる宇土櫓を始め多数の櫓が現存し、また鉄筋で外観復元された大小天守は無骨さの中にも優美さを讃えており、清正の美的感覚を伺い知る事ができ、どこから見ても絵になります。
個人的には城郭は完成期の漆喰塗よりも織豊期の下見板張りの外観が好みなので、余計に見飽きません。

そして、熊本城最大の見所と言っても過言でない清正流とも言われる独特の勾配のついた武者返しの石垣の石組・高さには圧倒されます!
熊本城宇土櫓(現存)(熊本旅行)
▲宇土櫓
 熊本城内最大の現存櫓です。
 熊本城の建物で最大の見所と言っても過言ではないでしょう。
 かつては小西行長が建造した宇土城天守を移築したとも言われていましたが、解体修理の結果、移築の痕跡は無かったそうです。

熊本城宇土櫓(現存)内部 (3)(熊本旅行)
▲宇土櫓 廊下

熊本城宇土櫓(現存)内部(熊本旅行)
▲宇土櫓 武者溜り

熊本城宇土櫓(現存)内部 (2)(熊本旅行)
▲宇土櫓 階段

熊本城飯田丸五階櫓(復元)(熊本旅行)
▲飯田丸五階櫓(復元)

熊本城未申櫓(復元)(熊本旅行)
▲未申櫓(復元)

熊本城戌亥櫓(復元)(熊本旅行)
▲戌亥櫓(復元)

熊本城平櫓(現存)(熊本旅行)
▲平櫓(現存)

熊本城北十八間櫓・五間櫓(現存)(熊本旅行)
▲北十八間櫓・五間櫓(現存)

熊本城東十八間櫓(熊本旅行)
▲東十八間櫓(現存)

熊本城本丸御殿 闇り通路(熊本旅行)
▲闇り通路
 近年復元された本丸御殿(一部)の床下です。
 天守へ至る最後の防御施設です。

熊本城本丸御殿(復元)大広間(熊本旅行)
▲大広間 控の間

熊本城本丸御殿(復元)昭君之間 (2)(熊本旅行)
▲昭君之間
 前漢代の絶世の美女・王昭君が描かれている事から「昭君之間」と言われます。
 「昭君」の読み、しょうくん=しょうぐん=将軍から加藤清正が大坂に変事があれば、主君である豊臣秀頼を奉じるための部屋とも言われます。
ただ、「将軍」と言うのは幕府役職であり、この時代は「征夷大将軍」を指しますが、秀頼は朝廷官位を叙任(正二位、右大臣=右府-うふ)されており将軍職はおろか幕府の役職は持っていません(足利幕府はすでに滅亡)。
将軍=秀頼と言うのはどうなんでしょう・・・?

熊本城本丸御殿(復元)昭君之間(熊本旅行)
▲昭君之間の天井

天守に登れば三之丸側から攻めてくる敵の動きが想像でき、しばし物思いに耽ってしまいます。
熊本城天守から西側(熊本旅行)
▲天守からの西出丸、二之丸、三之丸方向

熊本城長塀(現存)(熊本旅行)
▲長塀(現存)

熊本城西出丸と西側の空堀(熊本旅行)
▲西出丸と西側の空堀

熊本城二之丸御門跡の虎口(熊本旅行)
▲二之丸御門跡の虎口

熊本城三之丸西側の堀切(熊本旅行)
▲三之丸西側の堀切

城域のあちこちで目にする郭を囲む高石垣、虎口を護る石垣、櫓台、天守台は驚嘆の連続で、石垣を見ているだけで時間が過ぎてしまいます。

自分の想像を軽く凌駕する高石垣、櫓群、塀などなど・・・写真では味わうことのできない素晴らしい城郭です!

熊本城には朝10時から夕方17時過ぎまで滞在しましたが、まだまだ見足りません。
今後も復元は続くそうなので、また行きたいと思います。

興奮しすぎて撮影し忘れた有名な「二様の石垣」を撮影するためにも・・・OTL


熊本城の略歴
文明年間(1469~1487)に肥後守護・菊池氏一族の出田秀信が熊本城の建つ茶臼山東側に千葉城を築城、出田氏の退勢にともない大永・享禄年間(1521~1531)に西南麓に鹿子木親員が隈本城(古城)を築城します。

天文19(1550)年、豊後守護・大友義鑑が二階崩れの変により暗殺されると、菊池義武(義鑑弟、菊池氏継嗣するも義鑑と敵対)が鹿子木鎮有(親員孫)の拠る隈本城に入城しますが、大友義鎮(後の宗麟、義鑑長子)により追われ、以後は大友氏に与力した城親冬が入城します。後に久基の代に島津氏に臣従します。

天正15(1587)年、豊臣秀吉の九州征伐後、隈本城には肥後一国を与えられ佐々成政が入城しますが、強引な施政を断行したため肥後国人衆の一揆が発生、周辺大名の協力を得て一揆は鎮圧されますが、成政は責任を問われ自害を命じられます。
天正16(1588)年、肥後は2分され南半分は小西行長(宇土城)、北半分は加藤清正(隈本城)に与えられます。

慶長6年(1601)年、関ヶ原の戦功により清正は行長の旧領を会わせた肥後一国52万石を領し、茶臼山全体を城域として築城工事を開始、慶長12(1607)年に完成します「隈本」を「熊本」に改名)。

寛永9(1632)年、加藤忠広(清正・3子)は、幕府による豊臣恩顧大名取り潰し策で謀反の嫌疑を受け改易(出羽丸岡に配流)されます。

同年、豊前小倉城主・細川忠利が入封、以後、細川家11代が居城して明治維新を迎えます。

明治4(1871)年、熊本城に鎭西鎭臺が設置され、明治9(1876)年、反乱士族が神風連の乱を起こしに鎭臺司令官・種田政明少将などが殺害され城内の砲兵営が選挙されますが、1日で鎮圧されます。

明治10(1877)年、西南の役に際し熊本鎭臺(明治6年改称)司令官・谷千城少将以下3,400名が西郷隆盛率いる薩摩軍13,000名の猛攻を防ぎ、撤退させます。
築城の名手・加藤清正の築いた熊本城が近代戦にも通用することを証明しますが、西南の役により天守以下多くの建物が炎上焼失してしまいます。

昭和35(1960)年、熊本市により大小天守が鉄筋コンクリート造により復興されます。
平成19(2007)年、築城400年に際、本丸御殿、西出丸の塀、戌亥櫓、元太鼓櫓、奉行丸の塀、未申櫓、南大手門などが復元され、現在も復元作業が続いています。


名残惜しいですが熊本城を後にして夕食に向かいます。
熊本城の東側に市内一の繁華街である上通・下通商店街があるのでウロウロしていると、元小結・普天王関プロデュースの居酒屋「天王」の客引きの方に誘われてそのまま入店しました。
鶏ちゃんこ鍋、馬刺し盛り合わせを注文しましたが、料理も美味しく、値段も安く、サービスも良く、店員も素晴らしい気持ちの良い店でした!
鶏チャンコ(天王)(熊本旅行)
▲鶏チャンコ

馬刺し(天王)(熊本旅行)
▲馬刺し盛り合わせ

食後は路面電車に乗り今日の宿、熊本全日空ホテルに到着、シャワーを浴びて就寝しました。
熊本の夜景(熊本旅行)
▲ホテルからの夜景(熊本駅方面)
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No Title

馬刺し(*´Д`)ハァハァ

Re: No Title

馬刺しかぁ~い(゜Д゜;)
熊本城に喰いつかんかいw

馬刺しはクセが無くて食べやすかったけど、左端の赤身以外は結構固かったなぁ。

No Title

ご無沙汰しています。
熊本へ行かれたんですね。
神風連は教科書にも出てきますし有名ですね。熊本城内に決起の碑が点々とありますが、熊本大学横の桜山神社に隊士の墓碑と資料館があります。
肥後勤王党の中でも保守派だった彼らは廃刀令に反発して決起したんですが、武器は洋式銃を忌み嫌ってわざと武士本来の刀槍のみで挑んだ、いわゆる負け戦をしたようです。仏ですら嫌う国粋主義の彼らでしたから、廃刀令もそうですが西洋化を勧める世相への訴えが主だったようです。一日での鎮圧は大将 太田黒伴雄も予見していたようですね。
太田黒伴雄は池田屋事件で死傷した宮部鼎蔵の門弟で、その宮部鼎蔵は松陰先生の親友です。松陰先生も生きていれば神風連をある程度評価していただろうと私は思います。
乱は十代二十代の若者達が起こしたものですが、彼らの愛国心は現代の若者の薬にならないでしょうか。是非ヒストリアなんかで取り上げて欲しいもんです。

Re: No Title

菊陽さん、こんにちは。

なかなか時間が無く遅れていますが、熊本城内の神風連関連の石碑の配置と簡単な解説の記事を現在制作中です。
桜山神社の墓碑と資料館も訪ねたかったのですが、時間的な余裕が無く断念せざるをえませんでした。

神風連は変事を起こして国を変えると言うよりは、急速な上辺だけの西洋化に我が国古来からの国体の危機を感じ、自分達の行動から政府首脳に何かを感じて欲しかったのかも知れませんね。

松陰先生は進んだ外国の技術を取り入れるため禁を犯して外国船に近づき何度も単身渡航しようとしましたが、実の伴わない西洋化を批判するという意味で神風連をある程度評価していたかも知れませんね。
太田黒も松陰先生同様に根幹には「国を護る」という揺るぎない考えがあっての決起だったと思います。

「青年日本の歌」に「・・・人生意気に感じては成否を誰があげつらう」という歌詞がありますが、当にその心境だったのでは無いでしょうか。

己の保身ばかり計る政治家連中、今が楽しければ良いという若者連中には彼らの激烈な愛国心を見習って欲しいものです。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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