当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

熊本城周辺の陸軍遺構

10月12日から3日間の熊本旅行の際に訪れた陸軍遺構を紹介したいと思います。

なお、紹介する遺構は僕が資料を元に実地探索をして見つけた物ですので、見落とし、間違いがあるかもしれません。
御気付きの方はご指摘頂ければ幸いです。
熊本城大小天守(鉄筋外観復元 )西から (2)(熊本旅行)
▲熊本城






熊本城は築城の名手として知られる加藤清正が築城した堅城です。
明治維新後の明治3(1870)年、熊本城も他の大型城郭同様に「無用の長物」「前時代の遺物」として、藩知事・細川護久(第12代-最後-藩主)と熊本藩を主導していた実学党との申し出により政府の了解を得て解体される事になりました。
しかし、解体当日に前藩知事・細川韶邦(第11代藩主)が不満を表明し意見が割れたため、解体は中止され一般に公開される事になります。

明治4(1871)年、二之丸に熊本県庁(明治5年、二本木に移転)、花畑(旧藩主邸宅)に鎭西鎭臺本営が設置、その後も近代陸軍創設とともに周辺には多くの陸軍関連施設等が設置されていきました。
明治10(1877)年2月19日、西南の役により惜しくも大小天守を始め多くの櫓を焼失してしまいます。
昭和20(1945)年8月15日、停戦後、陸軍施設は学校、研究機関等に転用されますが、次第に破壊されてしまいます。
昭和35(1960)年、熊本市により大小天守の鉄筋による外観復元、さらに近年、築城400年を記念して多くの櫓が木造により復元整備され往年の姿を取り戻しつつあります。

現在、熊本城は周辺地域も含め大規模な観光地開発がなされてしまったため、殆ど帝國陸軍の遺構は残されていませんが、僅かに残された遺構(主に石碑)を順次紹介していきたいと思います。

遺構紹介の前に熊本城周辺の陸軍部隊の変遷を当時の地図を元に簡単に解説したいと思います。
こちらも資料が少ないので、間違いがあるかもしれません。
御気付きの方はご指摘頂ければ幸いです。


明治4(1871)年~明治10(1877)年頃
熊本 第六師團 明治8(1875)①
▲熊本全圖(明治8年頃)

熊本 第六師團 明治10(1877)①
▲熊本焼場方角圖(明治10年)
 西南の役での焼失範囲を示した地図

熊本 第六師團(城周辺)明6~10
▲明治10(1877)年頃の熊本城周辺の陸軍施設配置
①熊本鎭臺本営:明治8(1875)年、花畑(②)から移転
②歩兵第十三聯隊第三大隊(旧鎭西(熊本)鎭臺本営):明治9(1876)年4月15日、編成
③山崎練兵場:明治10(1877)年、西南の役により焼失した空地を利用
④砲兵第六大隊:明治6(1873)年、第三砲隊が編成、明治8(1875)年、改編
⑤熊本鎭臺陸軍裁判所囚獄:明治6(1873)年、設置
⑥熊本鎭臺病院:明治4(1871)年8月、鎭西鎭臺病院として設置
⑦熊本偕行社:明治10(1877)年、設置
⑧歩兵第十三聯隊:明治元(1868)年8月20日、鎭臺兵舎が設置、明治8(1875)年4月15日、歩兵第十三聯隊に改編
⑨予備砲兵第三大隊:明治9(1876)年4月、新編
⑩輜重兵第六小隊:明治10(1877)年11月、新編
⑪工兵第六小隊:明治9(1876)年4月、新編

慶応4(明治元、1868)年2月20日、明治政府直轄軍として御親兵が創設、明治4(1871)年4月23日、東山道(石巻)・西海道(小倉)鎭臺が設置(熊本には細川藩士からなる第一大隊-約600名が配置)、7月14日、廃藩置県により、日本全土が明治政府の直轄となり、8月20日、東山道・西海道鎭臺が廃止され東北(仙台)・東京・大阪・鎭西(熊本)の4鎭臺が設置されます。

鎭西鎭臺は本営を熊本城南側の花畑(旧藩主邸宅、上図②)に、兵営を二之丸(同⑧、歩兵11個小隊)に置きます。
また鎭西鎭臺の隷下として第一分営が広島城(歩兵4個小隊)、第二分営が鹿児島城(歩兵4個小隊)に置かれます。

明治5(1872)年4月1日、鎭西鎭臺は熊本鎭臺に改称され、小隊編成から大隊編成となり九番大隊(3個小隊)、十一番大隊(8個小隊)が編成(同じく広島分営は十五番大隊、鹿児島分営は十七番大隊)されます。

明治6(1873)年1月10日、『徴兵令』の施行により、鎭臺兵は士族の志願から全国民からの徴兵により編成、歩兵に加え砲兵(第三砲隊、④)が新設され、熊本鎭臺病院(⑥)、熊本鎭臺陸軍裁判所囚獄(⑤)が設置されます(また、大隊の呼称も◎番隊から第◎大隊に変更)。
熊本鎭臺は小倉に営所、日田に分営を設置(広島は廣島鎭臺、鹿児島分営は分営出火により解体)します。
7月、第九大隊が解体され、第十九大隊が大阪鎭臺より転属してきます。

明治7(1874)年8月、熊本鎭臺に歩兵第二十五・二十六大隊が新設されます(⑧)。

明治8(1875)年3月、第十一・十九大隊は解体(歩兵第二十五・二十六大隊に編入)され、4月15日、歩兵第二十五大隊を基幹に歩兵第十三聯隊、歩兵第二十六大隊を基幹に歩兵第十四聯隊が編成(12月、小倉に転営)され二之丸(⑧)に、第三砲隊が砲兵第六大隊に改編(④)、熊本鎭臺本営が花畑(②)から本丸の天守内(①)に移転します。
明治9(1876)年4月15日、歩兵第十三聯隊第三大隊が編成され花畑(旧鎭臺本営、②)に分屯、予備砲兵第三大隊(②後に⑨に移駐)と工兵第六小隊(⑪)が新編されます。
明治10(1877)年11月、輜重兵第六小隊が編成(⑩)され、熊本偕行社が古城(⑦)に設置されます。
2月14日、西南の役が勃発、2月19日からの熊本城攻防戦により花畑一帯は焼失、広大な空地に山崎練兵場が開設されます。


明治13(1880)~19(1886)年頃
熊本 第六師團(城周辺)明13
▲明治19(1886)年頃の熊本城周辺の陸軍施設配置
①熊本鎭臺:明治10(1877)年2月19日、西南の役により本営の置かれた天守が焼失、宇土櫓に移転後、天守台東側に洋館の本営が建設
②工兵作業場:明治17(1884)年7月1日、歩兵第二十三聯隊が編成され分営
③山崎陸軍練兵場
④砲兵第六聯隊:明治17(1884)年7月、砲兵第六大隊から改編、予備砲兵第三大隊を編入
⑤熊本鎭臺病院
⑥熊本偕行社
⑦歩兵第十三聯隊
⑧熊本陸軍監獄署:明治15(1882)年、熊本鎭臺陸軍裁判所囚獄から改称
⑨漆畑陸軍射的場
⑩輜重兵第六小隊:明治21(1888)年12月1日、輜重兵第六大隊に改編され転営
⑪歩兵第二十三聯隊:明治17(1884)年7月、新編(のち②に分営)
⑫調馬所
⑬倉庫
⑭工兵第六大隊:明治21(1888)年5月31日、工兵第六小隊から改編

明治18(1885)年6月、歩兵第十一旅團本部(のち、司令部と改称)が新編(①に仮本部、のち⑭を経て飯田丸に移転=時期不明)されます。
明治22(1889)年6月13日、工兵第六大隊が大江村に移転します。


明治26(1893)年頃
熊本 第六師團 明治26(1893)③
▲熊本市街全圖(明治26年)

熊本 第六師團(城周辺)明26
▲明治26(1893)年頃の熊本城周辺の陸軍施設配置
①第六師團司令部:明治21(1888)年5月12日、『師團司令部条例』が施行され熊本鎭臺から改称
②第六師管軍法會議
③歩兵第二十三聯隊
④輜重廠
⑤山崎陸軍練兵場
⑥騎兵第六大隊:明治21(1888)年12月1日、第一中隊編成、明治28(1895)年2月1日、編成完結(明治29年5月19日、聯隊に改編)
⑦野戰砲兵第六聯隊:明治22(1889)年3月7日、砲兵第六聯隊から改称
⑧武器庫
⑨熊本衛戍病院:明治24(1891)年5月12日、熊本鎭臺の廃止により改称
⑩熊本偕行社
⑪歩兵第十三聯隊
⑫工兵作業場
⑬熊本陸軍監獄署:後(明治23年か?)、熊本衛戍監獄に改称
⑭漆畑陸軍射的場
⑮輜重兵第六大隊:明治21(1888)年12月1日、輜重兵第六小隊が改編され転営
⑯歩兵病室
⑰熊本地方幼年學校:明治30(1897)年6月9日、棒庵坂上に仮校舎が開設、明治31(1898)年5月9日、監物台に開校
⑱熊本大隊區司令部:明治21(1888)年、設置、明治29(1896)年4月、熊本聯隊區司令部に改称
⑲調馬所
⑳熊本経営部:師團経理部のことか?
㉑熊本憲兵隊本部:明治28(1895)年、『憲兵条例』改正により設置

明治31(1898)年8月5・6日、明治32(1899)年2月26日の2回に分け、野戰砲兵第六聯隊、明治34(1901)年3月23日、騎兵第六聯隊、明治31年3月26日、練兵場が熊本市郊外の大江村に移転します。


大正5(1916)年頃

熊本 第六師團 大正5(1916)④
▲熊本市全圖(大正5年)

熊本 第六師團(城周辺)大5
▲大正5(1916)年頃の熊本城周辺の陸軍施設配置

①第六師團司令部
②歩兵第十一旅團司令部
③歩兵第二十三聯隊:大正13(1924)年10月、大江村の渡鹿練兵場の一画に移転、大正14(1925)年5月11日、軍縮(宇垣軍縮)により都城に転営
④熊本陸軍兵器支廠 兵器庫:大正7(1918)年頃建設
⑤熊本陸軍兵器支廠:明治30(1897)年9月、設置
⑥熊本衛戍病院
⑦熊本偕行社
⑧火薬庫
⑨歩兵第十三聯隊:大正14(1925)年5月29日、渡鹿の旧歩兵第二十三聯隊兵営跡に転営
⑩藤崎薹招魂祭場:明治37(1904)年、建立?
⑪熊本衛戍監獄
⑫漆畑陸軍射的場
⑬輜重兵第六大隊
⑭熊本地方幼年學校:昭和2(1927)年3月31日、軍縮により廃校
⑮馬廠
⑯第六師團経理部
⑰熊本聯隊區司令部
⑱熊本憲兵隊本部
⑲熊本憲兵分隊


昭和6(1931)年頃
昭和6年頃の地図(大正15年測量、昭和6年部分修正 大日本帝國測量部)
▲昭和6年頃の地図(大正15年測量、昭和6年部分修正 大日本帝國測量部)
※着色部分が陸軍施設

熊本 第六師團(城周辺)昭6
▲昭和6(1931)年頃の熊本城周辺の陸軍施設配置
①第六師團司令部
②歩兵第十一旅團司令部:昭和15(1940)年、廃止
③熊本憲兵隊本部:昭和3(1928)年、移転
④第六師團兵器部 倉庫
⑤第六師團兵器部:大正7(1918)年5月、熊本陸軍兵器支廠から改編
⑥熊本衛戍病院
⑦熊本偕行社:昭和4(1929)年6月、⑯に移転、跡地は衛戍病院に
⑧火薬庫
⑨熊本陸軍教導學校:昭和2(1927)年7月1日『陸軍教導學校令』により設置
⑩藤崎薹招魂祭場
⑪熊本衛戍拘禁所:大正12(1923)年4月1日、熊本衛戍監獄から改称
⑫輜重兵第六大隊
⑬第六師團経理部、及び倉庫
⑭熊本偕行社
⑮熊本聯隊區司令部
⑯熊本憲兵分隊
⑰第六師團長官舎:大正14(1925)年頃、建設

熊本 第六師團(大江) 大正15
▲大江村
①野砲兵第六聯隊:明治40(1907)年10月9日、野戦砲兵から改称
②騎兵第六聯隊
③歩兵第十三聯隊:聯隊無線班設置とともに兵営の南端が拡張されます。
④工兵第六聯隊
⑤渡鹿陸軍練兵場


昭和15(1940)年頃
熊本 第六師團(城周辺)昭15
▲昭和15(1940)年頃の熊本城周辺の陸軍施設配置
①留守第六師團司令部
②熊本憲兵隊本部
③留守第六師團兵器部 倉庫:昭和18年、第四十六師團兵器部倉庫に改称
④留守第六師團兵器部
⑤熊本陸軍病院:昭和11(1936)年11月10日、熊本衛戍病院から改称
⑥火薬庫
⑦熊本陸軍教導學校
⑧藤崎薹招魂祭場
⑨熊本陸軍病院 藤崎薹分院:昭和13(1938)年頃、開院か?
⑩熊本陸軍拘禁所:昭和15(1940)年7月31日、熊本衛戍拘禁所から改称
⑪輜重兵第六聯隊 補充隊(西部二十四):昭和11(1936)年6月、大隊から改編
⑫留守第六師團経理部、及び倉庫
⑬熊本聯隊區司令部
⑭熊本偕行社
⑮熊本憲兵分隊
⑯第六師團長官舎

熊本 第六師團(大江) 大正15
▲大江村
①野砲兵第六聯隊 補充隊(西部二十一)
②騎兵第六聯隊 補充隊(西部十九)
③歩兵第十三聯隊 補充隊(西部十六)
④工兵第六聯隊 補充隊(西部二十二)
⑤渡鹿陸軍練兵場

昭和18(1943)年5月14日、留守第六師團は第四十六師團に改編され、隷下補充隊もそれぞれ第四十六師團隷下部隊に改編されます。
昭和18(1943)年10月30日、第四十六師團の動員完結後は留守第四十六師團、及び同師團隷下部隊補充隊となり、昭和20(1945)年2月28日、熊本師管區司令部に改編、隷下部隊は同師管區補充隊に改編され停戦を迎えます。


昭和18(1943)年5月14日以降の熊本城周辺の陸軍施設配置
①第四十六師團司令部:昭和20(1945)年2月28日、熊本師管區司令部に改編
②熊本憲兵隊本部
③第四十六師團兵器部 倉庫:〃、熊本師管區兵器部倉庫に改称
④第四十六師團兵器部:〃、熊本師管區兵器部に改称
⑤熊本陸軍病院
⑥火薬庫
⑦熊本陸軍教導學校:昭和18年8月2日、廃止、熊本陸軍予備士官學校開校、昭和20(1945)年7月、岡山県津山市勝間田の農学校(勝間田農林學校)に移転、津山陸軍予備士官學校に改称
⑧藤崎薹招魂祭場
⑨熊本陸軍病院 藤崎薹分院
⑩熊本陸軍拘禁所
⑪第四十六師團輜重隊(西部六十七)::昭和20(1945)年2月28日、熊本師管區輜重兵補充隊に改称
⑫第四十六師團経理部、及び倉庫:〃、熊本師管區経理部に改称
⑬熊本聯隊區司令部:昭和20(1945)年3月24日、熊本地區司令部が併設
⑭熊本偕行社
⑮憲兵分隊
⑯第四十六師團長官舎:〃、熊本師管區司令官舎に改称

― 大江村 ―
①野砲兵第四十六聯隊(西部二十一)::昭和20(1945)年2月28日、熊本師管區砲兵補充隊に改称
②捜索第四十六聯隊(西部十九):〃、熊本師管區捜索隊補充隊に改称
③歩兵第十三聯隊補充隊(西部十六):昭和18年10月20日、聯隊通信班は師團通信隊に改編、:昭和20(1945)年2月28日、熊本師管區歩兵第一補充隊(西部六十一)に改称
④工兵第六聯隊補充隊(西部二十二):〃、熊本師管區工兵補充隊(西部六十五)に改称
⑤渡鹿練兵場

熊本 第六師團221101
▲熊本城周辺

熊本 第六師團221101-2
▲大江村周辺

支那事變、大東亜戰争と戦争の長期化とともに、機密防護の見地から地図からは軍関係の名称が消されてしまうため、以降の変遷は不明です。
しかし、終戦直後の空撮を見ると、大きな施設移転は無いようです。
次回から、順番に遺構と部隊を紹介して行こうと思います。
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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