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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

熊本縣護國神社

熊本城三之丸に熊本縣護國神社が鎮座しています。
熊本縣護國神社拝殿(熊本陸軍遺構)
▲拝殿

【参拝日】
平成23年10月12日






熊本縣護國神社は元治元(1864)年6月5日、京都の池田屋において新撰組の襲撃を受け自刃した宮部鼎蔵増實命を始め幕末、戊辰の役(明治元年)以降国難に殉ぜられた熊本県出身の殉国の英霊61,164柱に加え、自衛官・警察官・消防員、空襲犠牲者、さらに神風連、そして所謂賊軍とされた西南の役の薩軍協力者など合計65,000余柱がお祀りされています。

僕は旅行、探索で地方に行った際は必ず初日に各地の護國神社を参拝しますが、観光客も熊本城を訪ねる際は是非とも少し足を延ばして護國神社も訪ね、殉国の英霊に感謝の誠を捧げてほしいものです。
熊本縣護國神社拝殿(熊本陸軍遺構)
▲拝殿

拝殿内には主に大東亜戰争における英霊の活躍・紹介がパネルや絵画により展示されています。
熊本縣護國神社拝殿内(熊本陸軍遺構)
▲拝殿内の展示

また、境内には多くの顕彰・慰霊碑が建てられています。
満ソ殉難碑
昭和46年3月、満ソ殉難者慰霊顕彰会により建立されました。
熊本縣護國神社- 満ソ殉難碑(熊本陸軍遺構)

熊本県海軍関係戦没者慰霊碑
昭和58年9月17日、熊本県海軍関係戦没者慰霊碑建立委員会により建立されました。
熊本縣護國神社- 熊本県海軍関係戦没者慰霊碑(熊本陸軍遺構)

独立歩兵第百六大隊戦没者慰霊之碑
昭和51年2月、独立歩兵第百六会により建立されました。
熊本縣護國神社- 独立歩兵第百六大隊戦没者慰霊之碑(熊本陸軍遺構)

支那事變四周年記念
熊本縣護國神社- 支那事變四周年記念碑(熊本陸軍遺構)
▲独立歩兵第百六大隊戦没者慰霊之碑の後にあります

消防殉職碑
昭和53年3月7日、熊本県消防団員・熊本県消防職員により建立されました。
熊本縣護國神社- 消防殉職碑(熊本陸軍遺構)


教育勅語
平成3年10月30日、教育勅語記念碑建設委員会により建立されました。
熊本縣護國神社- 教育勅語 碑(熊本陸軍遺構)

行幸啓記念之碑
昭和35年10月24日、天皇(昭和帝)皇后両陛下御親拝、昭和37年5月12日、皇太子殿下(今上陛下)妃殿下御参拝、昭和50年8月7日、常陸宮殿下妃殿下御参拝の記念碑です。
熊本縣護國神社- 行幸啓記念之碑(熊本陸軍遺構)


熊本縣護國神社東側の碑 全景 パノラマ写真(熊本陸軍遺構)
▲拝殿東側の石碑(右から)
第二十三師團之碑
昭和51年8月15日 第二十三師團之碑建設委員会により建立されました。

歩兵第二二五聯隊慰霊碑
昭和52年3月13日、歩兵第二二五聯隊戦友会により建立されました。

海軍軍医少佐 木下達雄廿九歳 辞世
若桜 散りゆく花を惜しまねど 後にのこせし父母ぞ思はる
昭和55年1月14日、建立されました。

英霊軍旗と共にここに眠る 台湾歩兵第二聯隊
昭和52年7月、台歩二戦友会により建立されました。

満蒙開拓青少年義勇軍之碑
昭和53年8月13日、熊本県連拓友会により建立されました。

大東亜戦争 殉国英霊顕彰碑
昭和41年9月、熊本県民一同・全国追慕者有志により建立されました。

野戰重砲兵部隊之碑
昭和55年10月25日、建立されました。

パナイ島戦歿者之碑
昭和52年3月18日、第百二師団独歩第百七十六大隊有志・パナイ島遺族会並びに追慕者一同により建立されました。

熊本縣護國神社- 西側の碑 全景(熊本陸軍遺構)
▲拝殿西側の石碑(左から)
工兵第六聯隊記念碑
昭和51年4月17日、工六会により建立されました。

神風連挙兵本陣跡
昭和51年10月、神風連百年記念事業委員会により建立されました。

忠魂 台湾軍
昭和57年4月4日、臺灣軍歩兵第一聯隊会により建立されました。


境内に建つ英霊顕彰会館の1階には「戦争歴史資料館」があり、館内には明治維新より大東亜戦争における英霊の活躍・偉業、遺品、戦地から帰還した遺品などが展示されています。
熊本縣護國神社- 熊本県英霊顕彰館(熊本陸軍遺構)
▲英霊顕彰会館

熊本縣護國神社戦争資料館 展示(熊本陸軍遺構)
▲戦争資料館

特に熊本出身の著名な方、ぺリリュー島で玉砕の中川州男中将、震天制空隊から特攻で散華した四宮徹少佐、軍神西住小次郎大尉、空母・飛龍とともに海没した加来止男少将、空の神兵・現地住民に慕われるも報復裁判に散った堀内豐秋大佐、特潜でシドニー湾に突入散華した松尾敬宇中佐、回天でウルシー泊地に突入散華した豐住和壽少佐、回天で沖縄海域に突入散華した八木悌二少佐、櫻花に搭乗し特攻で散華した緒方襄海軍少佐などはパネルや御遺品がそれぞれ展示されており、戦史に詳しくない方でも郷土の英雄の活躍が分かり易いように工夫がされており、非常に見応えのある内容です。

熊本縣護國神社【地図】 096-352-6353
【熊本縣護國神社 公式サイト】

明治2(1869)年2月、肥後藩主・細川韶邦、弟の細川護久は、明治帝の明治維新以来の殉国の英霊を奉祀するべきとの勅旨を奉戴、花岡山に社(現、花岡山招魂社)を建立し、宮部鼎蔵増実命を始め150余柱の英霊を祭祀します。

明治7(1874)年3月、内務省令第十三號により祭祀・修繕等の費用が官費からの支給となり官祭招魂社となります。

明治38(1905)年、明治三十七八年戰役(日露戦争)終結後は毎年、藤崎薹招魂祭場(現、護国神社鎮座地)において官民一体の招魂祭が斎行されます。

昭和14(1939)年3月15日、内務省令第十三號『招魂社ハ之ヲ護國神社ト改稱ス』発令により、4月1日、藤崎薹招魂祭場は熊本縣護國神社と改称します。

昭和19(1944)年3月5日、熊本市黒髪町立田山山麓に県民の奉仕により約10,000坪の敷地を造成、湯沢三千男内務大臣の許可を得て社殿の造営を開始しますが、戦局の緊迫により進捗せず大東亜戰争終戦により造営は中止のやむ無きにいたります。

昭和28(1953)年5月8日、宗教法人法に基づく『熊本縣護國神社規則』を桜井三郎熊本県知事が認証、5月11日、社殿造営予定地の立田山山麓より現在地(藤崎台招魂祭場跡)に造営地を変更します。
昭和30(1955)年1月7日、「熊本縣護國神社御造営奉賛会」が設立し、10月、社殿の造営を開始します。
昭和32(1957)年4月、社殿、社務所、手水舎、鳥居、社号標が竣工、5月10日、御鎮座大祭が斎行されます。
昭和39(1964)年12月12日、熊本県関係特別公務殉没英霊(自衛官、消防員、警察官)の列祀鎮座大祭が斎行されます。
昭和40(1965)年10月9日、「動員学徒戦没戦没英霊合祀大祭」が斎行されます。
昭和43(1968)年6月29日、明治100周年にあたり熊本県ゆかりの維新志士、神風連、西南の役(薩軍熊本隊、熊本協同体、瀧口隊、人吉隊)英霊追加合祀大祭が斎行されます。
昭和45(1970)年7月17日、熊本縣護國神社崇敬会が創立されます。
昭和48(1973)年10月29日、熊本県英霊顕彰館「遺品館」の落成奉告祭が斎行されます。

例祭日
4月1日 春季慰霊大祭/10月10日 秋季慰霊大祭

諸祭儀
毎月1、15日 月次祭
1月1日 歳旦祭
1月3日 元始祭 
2月11日 紀元祭
4月29日 昭和祭
6月30日 夏越の大祓
8月14日 みたま祭
8月15日 英霊追悼祭
11月23日 新嘗祭
12月23日 天長祭
12月30日 花岡山招魂社例祭(花岡山招魂社に於)
12月31日 除夜祭・大祓
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プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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