当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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大阪城天守閣復興80周年祭、豊臣期石垣、乾櫓・煙硝蔵、第四師團司令部庁舎 公開

今月から大坂城において開催されている「大阪城天守閣復興80周年祭」の一環として、先週の金蔵・千貫櫓・大手口多聞櫓に続く公開特別公開の第二弾「豊臣期石垣、乾櫓・焔硝蔵、第四師團司令部庁舎」の公開に行ってきました。
乾櫓 北西から(大阪城天守閣復興80周年祭)
▲乾櫓






第二弾の特別公開の最大の目玉は個人的に何と言っても第四師團司令部庁舎の内部公開です!
今回はむしろこの為だけに、重たい一デジをビジネスバッグに潜ませて持って行ったと言っても過言ではありません!
詳細は軍跡探索の別エントリーでアップするとして、今回は「豊臣期石垣、乾櫓・焔硝蔵」を紹介します。

職場が近い事もあり、例によって昼休みと得意先回りの待ち時間を利用して行ってきました。

豊臣期石垣

歴史好きの中では常識ですが(一般人は知らない人も多い)、現在の大坂城には豊臣期の建物はおろか石垣は一切残されていません。
慶長20(1615)年5月7日、大坂夏の陣で大坂城は落城、その際に天守は焼失してしまいます。
元和6(1620)年、徳川政権により豊臣家の痕跡を消すために豊臣期大坂城は全て埋められ、その上に新たに徳川期大坂城が新造(現在の現存櫓・石垣はこの際、及び以降に築かれた物)されます。
戦後しばらくまで現存の石垣は豊臣期の物と思われてきましたが、昭和34(1959)年、本丸の地質調査をきっかけに地下から野面積みの石垣が発見、さらに昭和59(1984)年に別の場所からも発見され、豊臣期大坂城の痕跡が地下に残されている事が判明します。
今回公開の石垣は昭和34(1959)年、に発見された石垣で、通常は天守前広場に開けられた巨大な井戸状のマンホールに鉄蓋がされていて見る事ができないものです。
この石垣は豊臣期大坂城の本丸下之段帯曲輪(本丸の南西隅)の石垣です。
豊臣期石垣(大阪城天守閣復興80周年祭)

公開と言ってもマンホールに付けられたグレーチング越しにしか見る事ができないので、非常に見辛いです。
当初は下まで降りられる(普通に考えたら不可能・・・)と思っていただけに、残念です。
ただ、せめてグレーチングの扉を開ける程度はして欲しかったです。


乾櫓(重要文化財) 特別公開

乾櫓 北西から(大阪城天守閣復興80周年祭)
▲乾櫓 北西から

大坂城の西北(戌亥:いぬいの方角)角にあることから「乾櫓」と呼ばれます。
形状は石垣に沿って「くの字」になっているうえ、1階・2階が同じ広さと変わった形状をしています。
乾櫓 南東から(大阪城天守閣復興80周年祭)
▲乾櫓 南東から

昭和31(1956)年から始まった解体修理の際に瓦から「元和六年(1620)」の刻字が見つかり、徳川政権による大坂城再築の初期に建てられた物と判明しました。
乾櫓 内部 (2)(大阪城天守閣復興80周年祭)
▲乾櫓 内部

乾櫓 内部 (3)(大阪城天守閣復興80周年祭)
▲乾櫓 内部
左の壁にある小さな四角い穴は「鉄砲狭間」ですが、外からは漆喰で塗り込められていて見えません。
有事の際は漆喰壁を破って使用します。

乾櫓 内部(大阪城天守閣復興80周年祭)
▲乾櫓 床
床板は釿(ちょうな)の跡があります。


焔硝蔵(重要文化財) 特別公開

焔硝蔵 北西から(大阪城天守閣復興80周年祭)
「焔硝」とは硝石を精製した硝酸カリウムの事で、これに硫黄・木灰を混ぜ黒色火薬を製造します。
江戸期には火薬を貯蔵した蔵を一般的に焔硝蔵と称しました。
大坂城代を務めた土屋政直の書状より、貞享2(1685)年に築造された事が判明しています。
大坂城の焔硝蔵は全国に現存する唯一の物であり、床・梁・壁の全てが石造という特異な構造をしています。
焔硝蔵 内部(大阪城天守閣復興80周年祭)
▲天井の石組

焔硝蔵 内部 (2)(大阪城天守閣復興80周年祭)
▲焔硝蔵 内部

焔硝蔵 東側扉(大阪城天守閣復興80周年祭)
▲扉
鉄製の扉が二重になっています。

明治維新後、西之丸には陸軍の倉庫(のち大阪陸軍兵器補給廠 城内西兵器庫)が置かれ、焔硝蔵も倉庫として活用されます。
その際の刻字が現在も東側の扉に残されています。
東の扉刻字(保管者人見大尉・代理者大畠曹長)(大阪陸軍遺構)
▲東の扉刻字(保管者人見大尉・代理者大畠曹長)


特別公開の第一弾を含む今回公開の櫓(千貫櫓・大手口多聞櫓・乾櫓)や蔵(金蔵・煙硝蔵)は毎年定期的に公開されているのですが、同じく重文の一番櫓・六番櫓は公開されている記憶が無いので、今後はこちらも公開して欲しいところです。
大坂城 一番櫓(現存)(大坂城 櫓)
▲一番櫓

大坂城 六番櫓(大坂城 櫓)
▲六番櫓
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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