当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大阪警備府 司令長官官舎

南北朝期、南朝の忠臣・北畠顕家卿が討死した場所として知られる大阪府阿倍野区北畠に大阪警備府司令長官官舎がありました。
因みに拙ブログ名は顕家卿の父・親房卿が著した『神皇正統記』が由来です。
ア 塀 北西から(大阪警備府司令長官舎)
▲大阪税関北畠宿舎に遺る境界塀

【探索日時】

平成23年12月14日





一昔前までは鎭守府や要港部、警備府と言っても殆ど伝わらなかったのですが、最近はゲーム『艦隊これくしょん(艦これ)』の影響で多少伝わる様になりました。
僕はプレイした事が無いのですが、プレイ経験のある知人に聞くと大阪警備府は出てこないとか・・・。
大湊が出て、岩川みたいなマイナーな航空基地も出て来るのに、何で大阪警備府が出てけぇへんねん!!!
そんな事はさておき、遺構紹介です。


遺構について> ※青字は地図にリンクしています
大阪警備府司令長官官舎
司令長官官舎大阪府阿倍野区北畠にあり、建設時期は不明ですが、昭和15(1940)年3月15日、阪神海軍部が開設された際と思われます。
大東亜戦争停戦後の経緯も不明で、他の軍用地同様に、8月28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により内務省を通じ大蔵省に移管、昭和30年代に官舎は破壊され、現在は大阪税関の北畠宿舎になっています。

大阪警備府司令長官舎(大阪警備府司令長官舎)
▲遺構配置

ア コンクリート製の塀
住吉高校との境に30m程遺り、躯体にレンガを使用し、外側をモルタルで塗り固めています。
当時は瓦が載せられていた様で、上部には瓦型が残されています。
ア 塀 北東から(大阪警備府司令長官舎)
▲住吉高校側から見た塀

ア 塀 北端(大阪警備府司令長官舎)
▲破損した塀の頂部から躯体のレンガが見えます

ア 塀 南端(大阪警備府司令長官舎)
▲反対側の上部
  中央をレンガで嵩上げし、両流れの瓦を葺いていた様です


ア 塀 北西から(大阪警備府司令長官舎)
▲塀の上端には瓦を葺いた跡が波打っています
  塀の手前側に破壊跡(色の暗い部分)があり、本来は敷地沿っていたのが分かります

ア 塀 北西扉(大阪警備府司令長官舎)
▲塀の中央に鉄製扉が遺っています


イ 庭園跡
現在、見る影もありませんが池の跡が遺ります。
イ 庭園(大阪警備府司令長官舎)
▲司令長官(中将)の住居に相応しい池泉回遊式庭園があった様です

また、敷地内には庭石と思われる、団地に不釣合いな巨石が散見されます。


ウ 石組
アのコンクリート塀の基礎石組と同様なので当時の物と思われます。
ウ 塀の基礎 東から(大阪警備府司令長官舎)


エ 石組
ウ 塀の基礎 北から(大阪警備府司令長官舎)
▲同じく当時の物と思われる石組


大阪警備府 略歴
大阪港は神戸港と並び西日本有数の商港であり、かつ各種兵站施設を擁し軍事的にも重要な港でした。

明治45(1912)年3月14日、大阪において海軍艦政本部から民間に委託・発注する艦船建造・兵器製造の監督・検査・経理を管掌する大阪造船造兵監督官事務所(造船造兵監督官・舟越揖四郎大佐)が住友伸銅場内に事務所を開設します。

5月31日、事務所を大阪府立工業試験所内に、大正2(1913)年4月1日、北区堂島浜通3-3に移転、6月、神戸造船造兵監督官事務所が開設され、舟越大佐は大阪・神戸両造船造兵監督官を兼職、大阪は出張所に改編され、大正14(1925)年10月1日、北區宗是町(現、中之島)に移転します。

昭和8(1933)年11月、各監督官事務所は海軍の広報活動も兼掌する事になります。

昭和9(1934)年5月1日、大阪出張所は再び大阪造船造兵監督官事務所に改編されます。

昭和10(1935)年5月5日、事務所は東区大川町31番地(現、中央区北浜:場所不明)に移転します。

昭和12(1937)年5月1日、勅令第百五十四號『海軍人事部令』が公布、呉鎭守府所管の大阪地方海軍人事部が東区大川町31番地に開庁し呉海軍区内の大阪、奈良、和歌山における下士官、兵の募集、召集、充員、観閲点呼などの人事管理、軍事扶助、軍事指導、広報、在郷軍人に関する事項を管掌しました。

昭和13(1938)年4月4日、大阪造船造兵監督官事務所、大阪地方海軍人事部は東区高麗橋5丁目に竣工した海軍共済ビルに移転します。

昭和15(1940)年3月8日、軍令海第三號『阪神海軍部令』が公布、15日、呉鎭守府麾下に大阪・神戸両港域を警備、出師準備を管掌する阪神海軍部(奥信一少将)が海軍共済ビル内に開庁します。

昭和16(1940)年11月18日、軍令海第二十一號『商港警備府令』(大湊・馬公・鎭海・旅順各要港部が警備府に改編された勅令第九百七十三號とは別)により、20日、阪神海軍部は大阪警備府に改編、司令部を北區玉江町(現、中之島5のリーガロイヤルホテル所在地)に開庁し、従前の監督官事務所、大阪地方人事部(司令部庁舎に移転)は並存となります。
警備府司令長官は天皇に直隷し、軍政に関しては海軍大臣の命を、作戦に関しては軍令部總長の指示を承けました。

同日、司令長官の下に参謀長以下の幕僚、麾下に大阪海軍軍需部(軍需品の調達、保管、補給)、大阪海軍経理部が編成されます。
また、所轄の警備区画(大阪府・奈良県・和歌山県・兵庫県南部・徳島県・高知県東部とその海域)防衛のため、紀伊防備隊(和歌山県由良町)、小松島海軍航空隊大阪海軍通信隊を麾下に編入します。

12月5日、大阪・神戸両港の警備を管掌する大阪在勤海軍武官府(昭和17年8月1日、神戸在勤海軍武官府が開府)が開府し、麾下に編入します。

昭和17(1942)年4月1日、大阪警備府軍法會議が開設、10月1日、軍衣・糧食を生産・調達する第二海軍衣糧廠姫路市に開廠、12月1日、串本海軍航空隊が串本海軍水上機基地(和歌山県串本町)において開隊し、夫々麾下に編入します。

昭和18(1943)年6月25日、軍需品の運輸・補給を管掌していた大阪・神戸両地方運輸部を改編した大阪海軍運輸部、同部神戸支部を麾下に編入します。

昭和19(1944)年3月20日、築城施設・土木建築業務を管掌する大阪海軍施設部が編成され、麾下に編入します。

5月20日、海上護衛總司令部直率の第三海上護衛隊(中邑元司少将)が編成され、串本海軍水上機基地内に司令部を開設、12月15日、小松島・串本海軍航空隊は横須賀鎭守府麾下の第九〇三海軍航空隊(高橋農夫吉少将)に統合され、小松島・串本には九〇三空の派遣隊が進出します。

5月15日、大竹海兵團大阪分團の開団が決定、9月1日、大阪商科大學(現、大阪市立大学)の一部を借用し同分團を大阪海兵團として開団、大阪警備府管下に編入します。
同日、大阪海兵團田邊分團和歌山県田辺市)が開団(昭和20年5月1日、田邊海兵團に改編)します。

6月20日、医療品を生産・調達する第二海軍療品廠大阪市東淀川區に開廠、7月15日、大阪海軍刑務所が開所、9月1日、呉海軍鎭守府所管の大阪地方海軍人事部が大阪海軍人事部に改編、神戸地方海軍人事部が新設され、夫々麾下に編入します。

昭和20(1945)年3月1日、奈良海軍航空隊(三重海軍航空隊奈良分遣隊から昇格)、宝塚海軍航空隊(滋賀海軍航空隊宝塚分遣隊から昇格)、高野山海軍航空隊(三重海軍航空隊高野山分遣隊から昇格)、西宮海軍航空隊(三重海軍航空隊西宮分遣隊から昇格)は第二十四聯合航空隊に配置、大阪警備府麾下に編入されますが、6月30日、西宮海軍航空隊が復帰、他の3航空隊は大阪練習航空隊に配置されます。

3月1日、休業中甲子園ホテルを借用し呉海軍病院大阪分院として大阪海軍病院が開院し、麾下に編入します。

13日、米軍による第一次大阪大空襲により大阪警備府庁舎(大阪警備府軍法會議、軍樂隊、水交社含む)は焼失、大阪警備府は司令部構内の大阪海軍経理部庁舎に移転、大阪海軍経理部は豊中市の大阪帝國大學、軍法會議は土佐堀に、大阪海軍人事部は大阪海軍軍需部の入る野田屋ビルに移転、海軍共済ビルも焼損したため、15日、大阪監督官事務所は大阪倶楽部を借受て移転します。

4月1日、大阪海兵團員を基幹に陸戦部隊の大阪警備隊が編成、5月25日、同じく田邊海兵團員を基幹に田邊警備隊が編成されます。
4月1日、和歌山地方海軍人事部が編成され、麾下に編入します。

5月1日、大阪港湾警備隊神戸港湾警備隊が編成され、大阪湾・和泉灘・播磨灘海域の掃海を開始します。

5日、大津海軍航空隊滋賀県大津市)が大阪警備府麾下に編入され、15日、小松島・串本に分遣隊が進出します。

15日、大阪警備府麾下に艦船・兵器の修理、装備を所管する大阪海軍工作部が開設されます。

6月1日、第六特攻戰隊(第二十二突撃隊-小勝島、紀伊防備隊)の編成が下令され、30日、司令部を田邊海兵團内に開設、大阪警備府麾下に編入されます。
以降、大阪警備府は第二十二突撃隊麾下の第十三・第十六海龍隊、第十六回天隊、第百四十五震洋隊の編成、決號作戰(本土決戦)準備を急ぐなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時の大阪警備府兵力は33,072名でした。

停戦時、大阪警備府の麾下にあった部隊
大阪海軍人事部
神戸地方海軍人事部
和歌山地方海軍人事部
大阪海軍経理部
大阪海軍軍需部
大阪海軍運輸部・同神戸支部
大阪海軍施設部
大阪海軍設營隊
第五八一 〃
第五八二 〃
第五八四 〃
第五八五 〃
第五八六 〃
第五八七 〃
第五八八 〃
第五八九 〃
第五八一〇 〃
第五八一一 〃
大阪海軍工作部

大阪海軍通信隊

大阪警備府軍法會議
大阪海軍刑務所
大阪海軍病院

大阪在勤海軍武官府
神戸在勤海軍武官府
大阪港湾警備隊
神戸港湾警備隊

大津海軍航空隊・同小松島分遣隊・同串本分遣隊
大阪練習航空隊(奈良海軍航空隊、宝塚海軍航空隊、高野山海軍航空隊)
第六特攻戰隊(紀伊防備隊、第二十二突撃隊)
大阪海兵團・大阪警備隊
田邊海兵團・田邊警備隊

第二海軍衣糧廠
第二海軍療品廠

11月30日、海軍省が第二復員省に改編されたのに伴い、大阪地方復員局に改編され残務整理を実施し、逐次復員します。


阪神海軍部 司令官
奥信一 少将 昭和15(1940)年3月15日~

大阪警備府 司令長官
小林仁 中将 昭和16(1941)年11月20日~
牧田覚三郎 中将 昭和18(1943)年3月9日~
大野一郎 中将 昭和19(1944)年4月1日~
岡新 中将 昭和19(1944)年11月1日~


主要参考文献
『新修大阪市史第七巻 近代Ⅲ』(平成6年3月 大阪市役所)

『昭和大阪市史続編 第二巻 行政編』(昭和40年3月 大阪市役所)

『大阪港史 第1巻』(昭和34年3月 大阪港湾局)

『大阪警備府 戦時日誌戦闘詳報』(アジア歴史資料センター)

『旧海軍恩給年加算調書(8)艦隊、戰隊司令部、陸上部隊、各廳その他』 (昭和60年3月 厚生省援護局)

『海軍制度沿革 巻二』 (昭和16年 海軍大臣官房)
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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