当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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大坂城 山里丸 現地説明会

本日は大坂城の山里丸で発掘された集水桝の現地説明会に行って来ました。
大坂城山里丸現説 D (4)
▲発掘された集水升






大阪城、ハイレベルな排水システム判明 雨水浄化し内堀へ 2011.12.17 19:54


 大阪城天守閣(大阪市中央区)北側の「山里丸(やまざとまる)」と呼ばれる一角で、雨水などを集めて内堀へ流す江戸時代後期(18世紀後半)の大規模な石組みの排水槽や溝が、市教委と大阪文化財研究所の発掘で見つかった。同規模の排水槽は江戸城でも確認され、巨大な城郭に張り巡らされた排水システムの状況が分かる資料となった。

 排水槽は、内堀から約20メートルの場所にあり、縦4メートル、横3メートル、深さ2.5メートル。底から1.5メートルほどの高さには、石組み溝が内堀に向かって延びていた。雨水などをいったん排水槽にため、泥やごみを沈殿させたのち、上澄みの水だけを石組み溝から流すシステム。内堀の水が汚れないよう工夫されていた。

 城内では、一辺1.5メートルほどの排水槽が数基確認されているが、今回が最大。山里丸には当時、城内警備の役所があり、1665年に天守閣が落雷で焼失するなど火災がたびたび発生したことから、防火用水の役目もあったとみられる。

 山里丸は幕末の戊辰(ぼしん)戦争(1868年)で焼失しており、調査では、焼けて変色した瓦や炭も大量に出土。過去の調査でも見つかっており、火災の状況を改めて裏付けた。(産経新聞



慶長20(1615)年、大阪夏の陣で消失した豊臣期大坂城の遺構は元和6(1619)年、徳川秀忠により全て埋められてしまい、その上に徳川期大坂城が築城されます。
現在の大坂城山里丸は元和10(1624)年に開始された第二期工事により築造されます。
山里丸の角には隅櫓が、また周囲には多聞櫓(塀状の長屋型櫓)が揚げられており、曲輪内には山里加番(城内警備)の屋敷が設置されていました。
明治元(1868)年、戊辰の役により山里丸を含む大坂城内の建物の大半が消失してしまいます。
明治維新後、大坂城は陸軍省の所轄となり城内には大阪鎭臺(のち第四師團)の施設が設置されます。
昭和6(1931)年、大阪城公園設置に伴い、山里丸も公園化され、昭和15(1940)年には陸軍省主催の最新兵器を展示、体験できる國防館が開館しますが、昭和17(1942)年、公園化の際の陸軍省と大阪市の取り決めにより一般人立入禁止となり、昭和18(1943)年5月、中部軍防空情報隊(昭和19年6月26日、中部軍航空情報部、昭和20年4月10日、第三十五航空情報隊に改編)が編成され、山里丸には兵舎、炊事場、同時期に採用が開始された中部軍防空情報隊勤務の女子通信隊の宿舎が建てられました。
昭和20(1945)年6月1日、宿舎は米軍の空襲により消失、停戦を迎えます。
戦後、空襲により破損した石組み等は復元され現在にいたります。

今回の発掘調査は山里丸東側で行われ、江戸期の雁木(階段)、多聞櫓礎石に加え巨大な集水桝が発見されました。
大坂城は何度も訪れ、石垣から石樋が突き出しているのも承知していましたが、高知城や徳島城に見られる単なる排水機構と思っていただけに驚きました。
軍跡好きとしては、山里丸の空襲時の敵弾がこの辺りにも投弾されていたのも知ることが出来ました。

大坂城山里丸現説 発掘場所
▲今回、発掘調査された場所(赤色部分)【地図】

大坂城山里丸現説 AB
▲A、B地区の実測図

大坂城山里丸現説 A
▲A地区
土中にあった再下段の雁木以外は、大東亜戦争時の被弾で破壊(上部に転がっている)されています。
奥に見える小ぶりの雁木は戦後復元された物です。

大坂城山里丸現説 B
▲B地区
A地区同様、再下段の雁木のみ出土。
発掘調査時は写真手前に敵弾の着弾痕が検出された様ですが、残念ながら埋められていました。

大坂城山里丸現説 BとCの間
▲B地区・C地区の間
現在の地表は本来より30㎝程土砂で埋まって高くなっています。

大坂城山里丸現説 CD
▲C、D地区の実測図

大坂城山里丸現説 C
▲C地区
山里丸周囲に巡らしてあった多聞櫓の礎石、土塁の補強・排水のための裏込めの栗石が大量に出土しています。

大坂城山里丸現説 D (4)
▲D地区

大坂城山里丸現説 D (2)
▲集水升
内面は幅3.9mx奥行3mx高2.5m

大坂城山里丸現説 D
▲集水升から内堀に続く水路の上部

大坂城山里丸現説 D (3)
▲水路上部(写真正面)は地中が空洞になるため、補強のための石垣があります。

大坂城山里丸現説 D (5)
▲本丸から見たD地区
見え難いですが、右側の白い樹木の下に内堀に排水する石樋があります。

大坂城山里丸現説 出土品
▲発掘調査により出土した瓦、壁材
上部の塊は火災により変形した壁材
下部は瓦(黒色が本来の色、褐色は火災による変色)

大坂城山里丸現説 豊臣期金箔瓦
▲同じく出土した豊臣期金箔瓦

聞くのを忘れましたが、この集水升は今後どうするのでしょうか?
保存度も良好なので埋め戻さずに、公開してもらいたいものです。
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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