当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

軍事保護院 傷痍軍人兵庫療養所

兵庫県三田市には大東亜戰争停戦まで、結核に罹患した軍人の療養施設「傷痍軍人兵庫療養所」がありました。

方位盤(傷痍軍人兵庫療養所)
▲方位盤






傷痍軍人兵庫療養所の場所> ※青字は地図にリンクしています。
兵庫県三田市大原にある兵庫中央病院の敷地南半分が軍事保護院「傷痍軍人兵庫療養所、北側半分は同じく結核に罹患した民間人の療養施設である兵庫縣立結核療養所「春霞園でした。

遺構について
建物等は戦後も病院として存続した殆どの陸海軍病院・傷痍軍人療養所同様に全く残されていませんが、駐車場南東の築山周辺に正門門柱など僅かな遺構が残されています。

正門門柱
南側の門柱とコンクリート製の土留が残されています。
正門門柱(南側のみ現存)(傷痍軍人兵庫療養所)

また、門柱周辺には敷居周囲の土堤の一部、舗装の一部、門扉のレールがあるのですが、レールの向きが通路から門柱に向かって敷かれています。
正門門柱(南側のみ現存) (2)(傷痍軍人兵庫療養所)
▲門柱とレール
このレールの敷き方から見ると、正門は両開きでは無く、片開き右吊元の扉だったようです。

戦後、入口が拡張された際に北側の門柱は撤去、さらに現在は入り口が北側に移った為そのまま残された様です。


方位盤
門柱の北東10m程の築山にあります。
方位盤 (2)(傷痍軍人兵庫療養所)
大きさは直径65×高さ40㎝の御影石製です。
外周には皇大神宮(伊勢神宮)、皇居、福住、篠山、豊岡、柏原、村岡、生野、西脇、北條、姫路、赤穂、加古川、土山、大久保、明石、洲本、神戸、住吉、西宮、尼ケ崎(尼崎)、伊丹、川西、内側には大阪、奈良、横須賀、京都、仙台、青森、福知山、新京(滿洲國首都)、鳥取、京城(朝鮮)、松江、廣島、長崎、鹿児島、徳島と刻字されています。
約70年、風雨に曝されていますが、今でもはっきりと読み取れます。

この方位盤は元々は療養所内に鎮座していた報國神社の境内(場所不明)に設置されていましたが、大東亜戰争停戦後、神社は近隣の集落に遷座(場所不明)、方位盤も現在の場所に移設されたようです。
移設の際に方角は考慮された様で、現在もは正確です。


国旗掲揚台
築山の北西端にあります。
国旗掲揚台(傷痍軍人兵庫療養所)

掲揚柱は既にありませんが、柱を支えていた石材と固定金具が残されています。


円形道路(ロータリー)
築山の中に埋もれていますが、建物正面にあった円形道路の痕跡があります。
正門脇の円形道路(ロータリー)(傷痍軍人兵庫療養所)

淵のコンクリート枠が僅かに露出しています。


傷痍軍人兵庫療養所
明治38(1905)年9月5日、明治三十七八年戰役(日露戦争)の講和条約が締結され我が国の勝利が確定します。
戦役により負傷・罹患した多くの傷痍軍人の凱旋に伴い、明治40(1907)年4月7日、『癈兵院法』が公布され、陸軍省により傷痍軍人を収容する癈兵院が東京府北豊島郡巣鴨町に設置されます(以降、廃兵院は全国各地に設置)。

大正12(1923)年3月31日、『癈兵院法』の改正が行われ、癈兵院は陸軍省から内務省に移管されます。

昭和9(1934)年3月24日、『傷兵院法』公布により癈兵院は傷兵院と改称されます。

昭和12(1937)年7月7日、北支事變(9月2日、支那事變と改称)が発生、続く8月13日、第二次上海事變が勃発し支那事變が拡大、多くの戦死傷者が発生してしまいます。
11月1日、政府は軍人援護事業の強化のため、内務省社会局内に臨時軍事援護部を設置、翌昭和13(1938)年1月11日、さらなる事業強化、並びに国民の体力向上・伝染病罹患防止のため、内務省から事業を分離し厚生省を新設し社会局臨時軍事援護部も厚生省に移管されます。

4月、厚生省の外局として傷痍軍人の援護業務の為、傷兵保護院が設置(総裁・本庄繁大将)され既存の傷兵院に加え各地に傷痍軍人療養所を開設していきます(戦没軍人遺家族・帰郷軍人扶助業務は引き続き臨時軍事援護部が管掌しました)。
10月1日、有馬郡三輪町に結核に罹患した軍人を療養するための結核療養所(500床)の建設が開始されます。

昭和14(1939)年7月、傷痍軍人援護業務と戦没軍人遺家族・帰郷軍人扶助業務を一元化するため、傷兵保護院と臨時軍事援護部は統合され軍事保護院が創設されます。
軍事保護院は傷兵保護院から各地の傷兵院・傷痍軍人療養所・温泉療養所・結核療養所を引継ぎ整備・拡充に努めました。
7月1日、傷痍軍人兵庫療養所が開設され、結核患者の収容が開始されます。

昭和16(1941)年6月1日、傷痍軍人兵庫療養所の北側に民間人の結核療養所施設である兵庫県立結核療養所「春霞園」が開設されます。

昭和20(1945)12月1日、傷痍軍人兵庫療養所は大東亜戰争停戦にともない厚生省に移管、国立兵庫療養所に改編、昭和43(1968)年9月、「春霞園」と統合され国立療養所兵庫中央病院、平成16(2004)4月1日、独立行政法人国立病院機構兵庫中央病院となり現在に至ります。


参考文献
神戸新聞 “刻まれた、望郷の念 旧傷痍軍人療養所方位盤”』(平成17年7月28日)

兵庫中央病院 パンフレット
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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